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宛名のないメールは小瓶に手紙を入れて海に流すような場所です。
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烏羽 さんの小瓶箱
烏羽
少し頭のネジが外れていますが、私は元気です。
Vtuberはいいぞ…
名前は、解る人に解ればいいという気持ち等から。
伝える事をはなっから諦めてるという意味ではないのであしからず。
小瓶箱トップ
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小瓶箱トップ
烏羽
…いいや、残念ながら、誰かの事を悪く言い続ける奴は、その人がいなくなれば、また別の人を探して悪口の標的にしがちだ。
辛く、苦しい、腹ただしいことだとは思うが、そんな下らない奴らのせいで死んで欲しくはない。
まあ、そんな事を言っても、所詮は他人の身勝手な言葉だ。
俺がいくら悔しがろうが小瓶主さんの行動はご自身のものだし、どうなるかは解らん。
聞き流してくれ。
…一応言っとくと、程度にもよるとは思うが、職場のいじめなどに対して、スマホだったらボイスメモとか使ったりで、なんらかの証拠を保管しておいたり、その複製を取っておくと、時には何かの役に立つかもな。
(信用できる上司や、職場外の人などでも、証拠を見せる事で何かのきっかけになるかも解らんし)
とにかく、何か自分を守れる手段がないか探しておくといいんじゃないかね。
・・・
小瓶を見る
烏羽
ダメかどうかは知らんが、自分の体を傷付けているから止められるんじゃないか?
確かに、ストレスの解消というのか、胸のつっかえの解消にはなる。
自分を守るための行為になり得る。
だが、同時に自分の体を傷付けている。
そりゃ、側から見たら心配なんだろうよ。
俺も「どうしてそんな事をするの」とか言われた事がある。
大抵、自傷経験がないと解らんよな。どうしようもなくて切った、そしたら少し落ち着けた、だなんて。
ダメな事だろうと、仕方あるめえよ。
(「深く切ってしまった」との事なので、ためらいは感じているのかと思う。それなら、自傷以外のストレス発散方法を探してみても良いかもな)
一応、自傷経験者として言っとくと、ストレスを抱えたり、自傷を繰り返す事で痛覚が鈍くなるから、深く切るのが当たり前にならないように注意な。
気持ちに折り合いを付けて、残った痕をどう見られようと受け止めるのなら良いのかもしれんが、最悪元に戻らないような後も残るし。
誰かがそれを見たら、何か聞かれたり、少し面倒臭い思いをする事もあるだろう。(リスカでの傷ではないが、俺はあるし、それなりに後悔している)
あと、切り口はちゃんと洗ったり消毒しといた方が良いぞ。雑菌が入ったりで化膿すると厄介なことになる。
・・・
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烏羽
死にたいとかじゃなくて、悔しかったり、悲しかったり、何か思いが湧き出すからじゃないんかな。
推測だからあてにはならないけど、嫌な事がないと、今ここで生きている事からの逃げたさというか、深刻に死にたいとは考えないと思うんだよな。
(順序の話)
癒えていないんじゃなくて、感情を思い出したり、整理しようとしてるんだと思う。
だから、寧ろ、癒えている最中なんじゃないかね。
「大人」はいいよなあ、勝手な事をさも正しい事のように言ってくれる。
(大人じゃなかったらごめんねてへぺろ)
これから先の、他人の人生なんて、なんの保証も出来やしないのにな。
どれぐらいの過去の話か、どんな文脈や流れからの言葉なのかは解らんので、完全な意図を汲み取る事が出来ない為の揚げ足取りになるが、今のこのご時世、何をどう、ちゃんとしていたって、いつ誰が死ぬかも解らんだろ?
(実はこのご時世じゃなくても、いつ病気になるか、いつ事故に合うか、これからどうなるかなんて解らんので同じ事だが)
相手が勝手に思ってるだけで、小瓶主さんの未来にはなんの関係もない。
因みに、泣く事で、神経物質がどうたらなって、ストレス解消し、リラックス出来るとかなんとか。
泣きたくなったら泣いていいべ、泣けるだけ泣いちまえ。
・・・
小瓶を見る
烏羽
そうだと良いね。
小瓶主さんのような良い心を持った人に、何か楽しい事や、心のあったまるような事があるといいな。
・・・
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烏羽
隠居。
・・・
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烏羽
俺もそうだなあ、生まれたから生きていて…
強いて言うなら、命を頂いているからその分申し訳なくて、それで生きようとしているだけで。
(それに見合った生き方なのかと問われるとアレだけど)
まあ、良いんじゃない?
人それぞれ、何かしたい事や、興味のある事を続けて、その中で心からやってみたいと思うものに向き合えるのかもしれん。
何が見つかるかは人それぞれだし、一生を、特に大きな、しっかりとした目標がなく死んでいく人もいるかと思う。
見つかるか見つからないかは、それぞれのペースというか、それぞれの人生、運次第よ。
また、見つかるから運がいいとか、ないから悪いとか、都合がいいか悪いかを考えて、ものことへ付けてるのは人間だしな。
何が起こるかは解らんし、日々人は変わる。何をどの状況で都合が良いと捉えるかなど、何も解らん。
小瓶主さんが、なんの罪悪感を抱く事があるのかは理解が及ばずよく解らんが…
もし他の人の姿を見て、憧れを抱き、人生の中で何らかの、立派とも言える目標を得たいのであれば、それこそ、生きてみないと得る事が出来ないんじゃないだろうか。
第一、なんとなく一日を終えたと仰るが、小瓶で悩んで書かれた事は「なんとなく」、と、その程度で収まる事ではないように思う。
十分に立派な考えからくる、葛藤ではないだろうか。
・・・
小瓶を見る
烏羽
解る。
禁止とか制限には必ず限界がある。
自分たちの心の向き合い方、つまりは認識や価値観、そこを変えるのがいいと思う。
ただ、まあ、それと同時に、思いやりや、礼節として、悪口やらも減らせる努力は必要なのかな、と。
人の心のキャパシティなんて、あてにならないし。
あと、心を強く持つと言うか、ストレス発散の方法なり、癒しなり、リフレッシュなり、精神面を自ら、ある程度だけでも支えられる方法は持っておいた方が良いんじゃないかと思ってる。
・・・
小瓶を見る
烏羽
落ち着けよ。
確かにこの社会はカスみたいな事ばっかりだ。
でも、そんな奴らや社会のせいで死ぬのも、なんだか馬鹿馬鹿しくならないか?
別に止めはせんよ。
こちとら自殺未遂経験者だ、止める力がないことぐらい知ってるわ。
だが、おかしな事を言う個人と、大人の全体図を一緒くたにするなよ。
ありもしない常識に殺されるのが一番馬鹿馬鹿しい。
・・・
小瓶を見る
烏羽
誰にだって、得意な事と苦手な事はあるし、今出来ていないから、今望んだ状態でないからといって、いつか出来ない、望んだ状態にならないとは限らない。
なのに自分で絶対に無理だ、1ミリも出来るはずが無い、そう思って行動に移さないのは、損じゃないか?
自分自身の出来ない所は、どんな小さな事からでも探せてしまう。
特に、自分が無理だ、出来ない、と強く思えば思う程に。
結果すら関係なく、例え何か出来ている事があったとしても、思い込んでしまう事もある。
だから、「自分にはできない」と思ってしまうな。
自分に友達がいないとか、孤独だとか、それらを出来ないことの理由にしてしまうな。
実際にはなんの関係もない。(大体は、環境だとかも含め、運の要素が多い)
そもそも、人間なんて、みんな変人の異常者だ。
みんなどっかしら病気みたいなもんだから、たいした事もない。大丈夫だ。
問題なのは、あなたが、誰かに支えて貰いたいとか、周りのみんなのように楽しみたい、友達と遊びたい、という事と、人と関わる時に何かミスをしてしまっているのではないか、と思っている点だろう。
支えてもらいたい…というのは、どういう事なのか俺に理解力がなく解らんが、孤独であるのが嫌なら、孤独の中でも、一人で遊べるもの、一人で楽しめる事を見つけるのも手だ。
友達がいるいないで、幸せかどうかが決まる訳でもない。(友達を作りたいとしても、一人での楽しみ方はあった方が良いんじゃないだろうか)
人を傷付けてしまう自覚があるのであれば、まず出来ないではなく、何が悪くて、そこをどうすれば変えられそうなのか、または後からカバーできそうなのかなど、考えたり、試してみてはどうだろうか。
答えが出ようとでまいと、質問のようにそれを小瓶に流してみるでもいいしな。
必ずお返事が来るかは解らないが、誰かしらは見てくれる筈だ。
また、自分の思いを文章にしてみる事で、読み返して気付くことだってあるかもしれん。
・・・
小瓶を見る
烏羽
人間は、自分の視界(頭の中)にあるもので、外の世界を認識してる。
だから、逆を言えば、自分自身の持つ要素(経験、価値観、思考、感情などなど)が、見ているものの表面(自分の視界)を作り上げている。
だから、言葉が自分に跳ね返ってきたりもするんじゃないかと思ってる。
(人の事として切り離せる分、自分を擬似的に客観視しているような状態にもなるし)
まあ、目を瞑って、何も見えない状態の中動いている、現在の自分の地点は、何かに触れなきゃ解らないからね。
例えるなら、そういうもんなんじゃない?
(昔は割とあったんだけど、今はもう視界というか、認識が変わったのか、感じないんだよな、これ…)
・・・
小瓶を見る
烏羽
97896通目の宛名のないメール
小瓶主
誰がための小瓶なのだろう。何も解らないが、言葉にしてみる。誰の為でもなく、自分の為でもなく。共感出来なくなる。昔はそうだった
・・・
小瓶の中の手紙を読む
烏羽
とりあえず、ストレスの発散方法は自傷以外にもある。
一人一人どんな事で発散されやすいかとか、好みや趣味とかでも異なるので、個人的なものだが、一応書く。
軽いストレッチでも、シャドウボクシングの真似事でも、少しジャンプするでもいいので、身体を動かす。
カラオケとかで、思いっきり、感情を込めたり、大きな声を出す。
深呼吸をする。瞑想する。(瞑想のやり方は幾つかあるので調べてみてね。俺のはいろんなのが合わさった我流なので人に自信を持ってお勧めできない)
気が向いた時でいいので、日記(雑記)を書く。
動画(松岡修造でも興味のある動物でもなんでも)を見たり、音楽を聴いたり、絵を描いたりする。
集中出来なかったり、ネガティブな事を考えがちな時には寝る。(それらは脳が疲れているサインだと思ってるので。大事なのは時間ではなく熟睡できているかどうかで、眠ることによって脳の老廃物が取り除かれるんだとか)
紙飛行機もいいぞ、飛ぶか飛ばないかは別にして、自分オリジナルの飛行機を作る事に真剣になり、飛ばしては拾って、試してを繰り返せば、少なくとも嫌な気持ちを抱える時間を減らせる。
ゲームしたりもいいな。
格ゲーとか対人要素のあるものは…、俺は平気な方だが、精神的に来る事も多いようなのでお勧めしない。
まあ、やり方は色々あるし、一つのものに限った話でもないので、自傷以外にも、精神を保てる手段を探してみたらええんちゃうか。
もちろん、宛メに吐き出すのも良い訳だしな。
・・・
小瓶を見る
烏羽
(長くなるので、お時間やゆとりのある際に読んで頂ければ幸いです)
体は動かしてるか?
たまには紙飛行機でも作って、どんな形が良く飛ぶのかとか、自分で試して、飛ばして、遊んでみないか。
(飛ばしたのを拾いに行く分、割と良い運動になる)
真面目な話、精神は体の一部なので、軽くジャンプするでも、ストレッチでも、シャドーボクシングの真似事でもいいから、何か体を動かす事で気分が改善する事もあるぞ。
(無理に楽しもうとしなくていいし、体動かすの苦手だったら他の方法を探せばいいので、気が向いたら気が向いた時にやる程度の推奨)
また、ぼーっと、太陽の光を少しでも浴びる時間を取る、とかもいいかもしれん。
カラオケに行ったり、大きな声を出せる環境で、思いっきり叫ぶのもスッキリするかもな。
あと、眠くなったらあまり深刻な事を考えず、自分の呼吸の音を聞くなり、目を瞑った時に見える暗闇の中のチカチカとした光のようなものを見て、寝るといいかもな。
眠い時は頭が疲れてる。疲れてる頭は、物事をネガティブな方向へと考えやすいらしい。
まあ、生きている意味に関しては、そうだな。
それは、生きて、自分の人生を歩む事でしか解らんよ。
歩む事で、一人一人の中に、少しずつ出来上がってくもんじゃないかね。
それが、自分で意味を見つけていく事、自分の守りたいもの、思いを見つけていく事が、生きる意味、生きていった道になっていく。
そう思うよ。
多分、生まれる前から、何のために生きるかの理由なんて決まってないんじゃないかと思う。(特に精神的な面で)
まあ、強いて言うのなら、「心から楽しいと感じたい」「楽になりたい、助かりたい、辛さを解消したい」ってのが、今小瓶主さんが生きている、進もうとしている理由なのかも解らんな。
それも立派な理由になるんじゃないかね。
何不自由なく、恵まれていても、人は死にたくなる。
そんな人間が生きていたって、大丈夫だろう。
少しでも楽しいとか、興味があるとか、そういう事があるなら続けてみたらどうだろうか。
「心から楽しい」というのが、どういう事を指しているか詳しくは解らんが、のめり込むほど夢中になるとかなら、人生の中で中々、多くあるものでもないと思うしな。
毎日、年がら年中とは言わないが、続ける事で、物事の奥深さが見えてきて、そこに興味を持って、今までよりもっと、深く楽しめる事もある。
それに、趣味なんてなくても、何か色々な事の中で、一つ一つ、切れ端からでも、楽しみを見つけられるならそれも良い事じゃないかと思う。
(無理に続けようとこだわる意味もないしな)
他、だらーっと、ぐでーっと、あえて、そういう過ごし方をしてみるのも良いかもしれん。
あとは、理由もわからなく、何故か生きている事が辛い。この漠然とした不安よな。
馴れ馴れしいかもしれんが、これは辛いだろう。
でも、不思議だよな、俺もそうだったんだが、この不安はいつの間にか来やがる。
幼い頃なんて、「生きている事」そのものが辛いなんて事はなかった筈なのにな。
そして、いつの間にか生きている事のそのものを、嫌なものにすり替えやがる。
正直、俺には言葉を書く事だけで、直接的な手出しはできないが、小瓶主さんを生かすのは、小瓶主さん自身しかいないからな。
生きる事を手放して、生きたまま楽になれるかもしれない可能性に、背を向けてしまうなよ。
あなた自身が手放したら、誰にも止められない。
生きていれば、自分の中で嫌な事とか、諦める事とかはあると思う。
だけど、何かを諦めても、自分で、自分の事の全てを手放さない。
一つを諦めても、他はまだ諦めない。
それは、覚えておいてほしい。
…ただ、人間ってのは、意外とタフでな。
エグい話かもしれんが、首を切られても意識はあるそうだ。
俺にも死んでみようとした事はあるが、未遂に終わってな、身体の意識が全力で抵抗しやがるし、意外と、高い所から転がり落ちても、運が良かったのかかすり傷程度で死ななかった。
飲まず食わずで死んでやろうともしたが、いつのまにか意識は朦朧として、水を飲んでいた。
追い詰めるようで悪いが、現実的な話、死ぬってのも、決して楽な事ではないぞ。
とりあえず、少し気分がマシというか、ご自身で元気があるな、と思えた時に、もう一度考えてみてはどうかな。
出てこない事もあるかもしれんが、生きている事の中で、何が辛かったのか、嫌だったのか、何度か考えている内に出てくる事もある。(理由があったならな)
生きたいか、死にたいか、そんな事は良いんだ。
とても楽しい事や見たい先があれば、生きたくもなるし、耐えられないような辛い、苦しい、見たくない先があれば死にたくもなる、逃げたくもなる。
日々の小さな幸せがささやかに、生きる事を支える事があれば、日々の小さな不幸が、少しずつ重荷になって、生きる事を否定する事もある。
そんな事は関係もなく、理由もなく、生きたくなる事も死にたくなる事もある。
今、心から、何がしたいか。
どんな小さな事でも、夢物語のような、非現実的な事でもいい、何度か考えてみてくれよ。
それで、気が向いたら、ストレス解消の方法や、リラックスできる事を探して、自分に合うかどうか試してみないか。
・・・
小瓶を見る
烏羽
お返事のお返事、ありがとう。
遅いか早いかは特に気にしてないからええよ。
(という体で遅めの追加お返事&長くなったのでお時間のある際に読んで頂ければ)
元気かどうかは…
いつも通りかな、特に可もなく不可もなく、気怠く生きてるわ。
スリザリンさんもそれなりに元気だと良いな。
まあ、一重に俺のお陰という事ではあるまい。
他の人との関わり、きっかけもそうだが、きっかけを何に、どのようにか結び付け、それに対して思いを巡らせ、努力をする。
自身がどのような立場にいるのかという、思い、意思、広い視界を、自分自身で作っている。
そんな、スリザリンさん自身の力もあってこそだろう。
扉を見付け、開く力は、あなた自身のものだ。
俺は結局、他人の人生に、勝手な価値の押し売りをしとるに過ぎん。
…だからこそ、礼を言ってくれて感謝の念が湧き上がるというものだ。
こちらこそありがとう。
そうそう、何度かしたお節介かもしれんが、考え方以外にも、軽い運動やらシャドーボクシングの真似(俺がたまにやる)とか何かしら、気分転換やストレスの対処方法として頼れるものを増やせれば、シンプルに頼れる支えの数や対応の方法も増えるし、良いのかもな。
あと、嫌な事を考えているとか、負の感情を抱いていると気づけた時、また、そうであったと後から気付いた時。
それが辛くなって避けたい場合には、どうすればその思考や感情から、自分自身の意識を薄められるか、逸らせるか、尚すれば止められるか、色々な方法を、一つに留まらず、一度に留まらず試してみるのも良いかもしれない。
それで方法を確立しても、いつか、その時に受け止められない辛い事は来るかもしれないし、気付かぬ内に疲労が溜まる事もある。
だけど、だからこそ、自分自身を知る事が大事だと思う。
おっしゃる通り、辛い事も、自分らしく生きる為の…、自分の人生を歩んでいるからこそ、自分だけの答えが出てくる。出す材料になる。
そうして少しずつ自分の傾向を知り、自分の体の仕組みと連なる精神の形、心の輪郭を作りつつ、理解して行く事で、ストレスへの対応も自分自身へより合ったものになって行くと思う。
具体的には、「辛い時、考え方や意識がこうなりがちだ」「悲しい時の自分にはこういう傾向がある」などと、己が身を理解できれば、それに対応する注意や、対策を練る事が出来るからな。
もし困難に塞がれる事があっても、立ち上がる力や、回復力を高められる方法がある筈だと、そう、勝手に思っている。
・・・
小瓶を見る
烏羽
なんか変なんだよな。
働かざる者食うべからず。
…単に、働いてる立場からしたら、働いてない奴にムカついてるだけじゃね?
あわよくば、都合の良いように人を動かしたいだけじゃね?
頭おかしいだのなんだの、そもそも頭がおかしいという意見を押し付けているお前の感覚がおかしいって話だし。
自分達(だと思ってる多数派の後ろ盾が欲しいのか?)が正しいものだと、そんなに思い込みたいものなのかね。
まあ、ただ、事実として体を維持するためのエネルギーが食べ物から取れてないと、体を分解して運動するためのエネルギーを得ようとするから、体は物理的に痩せ細る。
小瓶主さんも解っているとは思うが、その点では、俺は大事な事だと感じる。
(限度を超えて食えという話ではないよ、極端に言って、栄養が足りないと、筋肉や骨がスカスカになって最悪立てなくなる事もあるっていう話)
小瓶主さんが周りと比べて細いからなのか、少食なのか、ストレスとかで拒食気味なのかとかは解らんが…、なんなんだろうな、このくだらんやり取りは。
小瓶主さんが心配なら心配だと言えばいい。
みんなで食べたいならみんなで食べたいんだとそう言えばいい。
実にアホくさい。
大体の場合、こういう奴らは自分たちの立場、相手からどう見えているのかを想像しようなんてしない。
何で気付かないんだろうな、言いたい事も言えないように、自分たちがしているんだって。
何がおかしいのか、何が狂ってるのか、「自分たち」までを省みやしない。
とにかく、小瓶主さんのようにおかしさに気付ける人間がいるんだと知れて良かったよ。
俺は自分を正しいとは思えない、俺自身に微塵もおかしさがないとは口が裂けても言えない、それでも、こういうのは、まともじゃない。
人それぞれ食べ物に好みがあるなんて事は、幼い頃に知った筈なのにな。
人それぞれ個性があるなんて事は、その時点で欠片でも思いつく。
…なんでそれを集団で潰そうとするんだ?
自分と違う事なんてありふれているのに。
細かく見ていけば理由なんて腐るほど思い付くんだろうが、一体俺たちゃどんな常識とやらを学んでんのかねぇ。
ため息も吐きたくなるわ。
・・・
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烏羽
小瓶主さんが何をしたいのかはあえて聞かんぞ。
そこに存在する、息を吸う、それはこの世界にあるものへの干渉だ。
場所をとっているし、酸素も使っている。
これが迷惑かと問えば、そうではないだろうが、迷惑だと感じる人がいれば、その人にとっては迷惑なんだろう。
そうだな、迷惑をかけない場所は、一つだけあるな。
心の中だ。
それを迷惑だと思わない、考えた事もない奴にとっては、なんの迷惑でもない。
迷惑でもその程度なら平気だと感じる、そんな事だとか、関係性だとかなら、迷惑だけど問題ないと思ったりする事もあるしな。
事情は知らんが、もし「迷惑」という言葉に悩んでいるのなら、あまり深刻になりすぎるなよ。
この言葉は自分勝手でな、「迷惑だ」と言ってしまえば、どんな些細な事でも「迷惑」にしてしまえるからな。
・・・
小瓶を見る
烏羽
あ、お返事どうも。
(まりちゃんさんか?)
なるほど、助かるぜ。
…というか、まりちゃんさんだったらあれだろ、今までの感覚から俺を見て、判断してる事になるよな。
本意か…
そうだなあ、そういう所もあるときゃあるな。
無理な時もあるってのが解った上で、ってのもその通りだと思う。
ただ、どうでもいい時はどうでもいいので、割とその話の流れに合わせたり、逆に載った上で修正しようとしたりする事もあるね。
やりとりの連続ってのは、まあ現実的な話シームレスな訳でもあるから、そういうのも込みで「連続」だわ。
(長期的にも、体調やら解釈力やらの関わりとかで、一度に伝わらない事もザラにあるし)
で、なんでこんな風に事細かに説明しようとするのかというと、表現する事で自分の気持ちも見えてくるからなんだわな。
どんな意味や思いを込めた言葉だったのかとか、何を伝えたかったのかとかが、少しずつ明確になって行く。
(割と人間ってそこん所、明確でないらしく、嫌な事とか書き殴ったりするとストレス発散になるのも、そこら辺の具現化、表現化が関わっているとかなんとかようしらへんが)
…多分、そこが誤解されてるような気がするな(苦笑)
正確に伝わらないのが嫌かというとそうだけど、ものすごく嫌か?、と問われると、人の事なので後は知ったこっちゃねーぜ、がある。
(どうにもならないし、大して気にならない)
ただ、少しずれると真逆の意味になるとか、致命的なのは特に避けたいとは思ってる。(言葉は怖い)
…クックック、投えi…?
おっと、誰か来たようだ。
まあ、バイアスってやつぁ、人間の認識として誰しもある訳ですわな。(※こういう脈絡のない表現をすると解釈がズレやすかったり)
だから、それとどう関わって行くのかを、自分と相談するのが、コミュニケーションにおいて大事なんじゃないかと思うんじゃよ。(同じ話を繰り返すオヤジ)
・・・
小瓶を見る
烏羽
うーむ…
正直、あまり言いたくはないが、良し悪しを超えた状態になる、というのは、別に良いもんでもない。
当然、今とは別の状態になる訳だから、人によっては都合の悪い面が新しく出てくる事にもなるかもしれない。
勿論、都合の良い面も生まれるのだろうが。
(俺の場合、日々の原動力が薄まったので、「自分自身が何をしたいのか、どう生きたいのか」を煮詰める必要があったし、今も気が向いた時に自分と向き合っている)
はっきり言って、する事モードも、ある事モードも、状態であって、良し悪しはない。
良し悪しを付けているのは言わずもがな、一人ひとりの人間だ。一人一人が自分の人生を生きているからだ。
…もし、表現は悪いかもしれんが、勘違いをしているのなら、「評価をしないようにしよう、とする事」が「ありのままを認める事」ではないと思うぞ。
評価をしても、ありのまま、その良し悪しを認める事は出来る。
…というか、評価、価値の判断がなければ、良し悪しなんて生まれないからな。
(恐らくここが矛盾の原因ではないかな)
強いていうのであれば、単に「あれは個人的にダメだと思うけど、別の視点もあるよね」と思えれば、それでありのままを認めているという事と同義だろう。
(絶対の必要性は感じないが、何か目的があるのなら、常日頃何事に対してでもその視点を持てるようになる事が、その視点を身に付けるという事なのかもしれん。…一人の当事者としては、頭の中がゴチャゴチャでしょうがないが)
他の言い方をすれば…
良し悪しの判断、評価を付けるというのは、それだけで物事に進む力ともなる。
だが、反面、何かに執着したり、片面だけに囚われる事にも繋がる。
それだけではないだろうが、その、メリットとデメリットを理解する、「人間の認識を知る」という事だろうかな。
(真面目に書くと、脳回路としての繋がりを、人によっては新しく作る事になるので、視界が変わるには、栄養と日数が掛かる。
あと、常日頃からそういう視点だと、個人差はあると思うが、どうも複雑な思いを抱きやすくなるようで、さらに自分と向き合うというか、ストレス発散やらリラックスやら、方法を増やした方がいいかもしれん)
はは、まあ、りぃふさんの書かれたマインドフルネスがなんなのか、よく解ってはいないから、そのプログラムで目指すものと一致しているかは不明だがね。
呼吸などの身体の感覚に意識を集中させるとか、吸った息の倍吐き出すのを繰り返すとか、いくつかやり方はあるが、瞑想はいいぞ。
詳しい理由は解ってないそうだが、統計的にやり方次第で集中力や落ち着き、冷静さなどが高まる可能性が見えているからな。
・・・
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烏羽
おひさ〜。
いや、大分遅めの返信なので、色々考え巡らせて振り返るのも難しくなってるかもしれんが、前書いた「生きてる指針」っちゅーのは、あれよ。
勉強のことだけじゃなくてな、いろんな事だよ、生きていて感じる、遭遇する色んな事。
強いて大筋があるとするのなら…、シンプルな言葉にするのなら、「どうやって生きていきたいのか」。
「瞬間瞬間、何がしたいのか」。その中で「何をどう捉え、見続けるのか」。
なんというか、この小瓶でりぃふさんが書いていた殆どの事に、指針が見え隠れしていたもんで、その中で一つ取り上げ、どれだと考えると、どうにも上手くまとめられず抽象的になってしもうた。
まあ、確固たる指針として、自分が生涯貫きたい、ずっと持っていたい、と思うものもあるとは感じるが…
人間は、未来を持つからこそ、「今」が一番浅くなる生き物だとも感じる。
要は、皮肉めいた表現になるが、幼い自分が作ったデコボコな指針を、成長した自分が持ち続け、保ち続けられるのだろうか、と思うのよ。
そういう部分もあるしな、少しずつ纏まったり、散らばったり、整ったり欠けたりを繰り返しながら、道みたいなものが出来ていくんじゃないかとね。
(これに関してのお返事はせんでええよ)
・・・
小瓶を見る
烏羽
精神系の病状への理解は周知のものであって欲しいよな。
人間である以上、この大脳、神経系からなる感情の構造上、避けては通れないどころか、常に片足を突っ込んでいるような状態だという事でもある。
決して対岸の火事ではなく、差別できるものでもない。
根性や、やる気という言葉で片付けられるなら良いが、それが効かない状態であるのが精神的な病である訳で。
精神といっても、神経系を含めた、伝達物質や細胞の繋がり、体の一部からなるものであって、それ故に身体として、微妙なバランスから成り立っている。
ただ少し、小瓶主さんの文章を読む中、気を付けたいと思ったのが、「人間は」という部分だな。
俺も便宜上よく使う言葉だが、やはり人間の全てがそうだとは思えない。
何故って、別に差別やいじめをしたくない人間もいるだろう、例えそういった状況下にある人間がいたとしても、年がら年中、常にその状態である訳でもない。
人間は、いじめや差別をしたい生き物なのかどうかは解らないが、いじめや差別をする可能性のある生き物ではあると思う。
個人的に思うに、何故差別やいじめが起こるのかと考えれば、自身がストレスを感じた際の対処法として、「他へ当たる」という発露の方法があるからなのだと思う。
(実はこの方法では、ストレスが解消されない場合が多いらしい)
だから、誰にだって状況が状況であれば、そういった可能性はあると思いはする。
(「差別」や「いじめ」というものが、受け手側の認識を無視できない、2人以上の関係からなる言葉という点もある)
正直な所…、国(文化)が違えば、その発露の方法こそ、「神経の異常」「病」だと捉えられてもおかしくはない。
つまりは「何が異常なのか」など、人それぞれが決めてしまえる、という事でもある。
だから、専門的な医療定義における「精神病」を、一般の人(俺もそうだが)が判断する際、勝手なイメージを付けて見てしまう事もある。
その結果、自分と他者を見比べる比較の際や、噂などの情報など、現実との齟齬が生まれる。
その軌道修正がなされず、問題へと発展すると、これも、いじめや差別へと繋がってくるのだろう。
人間は恐らく、脳の処理上、情報や、言葉の表現が省略されやすかったり、「己が考える、都合の良い(悪い)方向へ、自動的に思考や行動を修正しようとする」能力が少なからずある。
つまり、それがあくまで推論である事を忘れ、推論を正しいと、いつの間にか思い込み、思考や行動に移してしまう危険性を持っている。
その危険性を理解した上で行動(確認とか、反省とか、謙虚的な)出来れば、多少はそこへと繋がる齟齬的問題、延いてはいじめや差別的問題を減らせるのではないかとも思う。
…ただ、この方法の欠点として、何故脳が省略しやすい処理方法を取るのかというと、省略しない、手探り状態の処理では、多くのエネルギーを使う事になるのだろう。
確認作業など、気を付ける事に多くのエネルギーが必要な場合がある点、疲れやすいと思われる点を理解した上で、無理はしない、休息を適度に取るなどを含め、行動に移したり、状況判断の材料としたい。
・・・
小瓶を見る
烏羽
87559通目の宛名のないメール
小瓶主
解った。理解できたぞ!どうしてこうも、言葉のみのコミュニケーションで、いざこざ、すれ違いが発生しやすいのか。人間は顔を見合わせて
・・・
小瓶の中の手紙を読む
烏羽
俺にもよく解ってないが、悪口は、陰口の事を含めて言う事もあるけど、特に見えるように言う罵倒や暴言の事で、陰口はコソコソ見えないように言う悪口で、愚痴は悪口や陰口の意味も含みつつ、「いやー、あいつはさー、いい奴なんだけどこういう困った事があってさー」みたいな「だべり」というか、世間話も混ざってる感がする。
また、多分、愚痴って、愚痴の対象となる人にはしない行動だよね。(他者に話すという点から、陰口に近い?)
あと、少し「悪口」とか「陰口」より、言葉から受ける攻撃的な印象が薄い気もする。
そんな風に思ってるかね。
(辞書引くと、愚痴って「言っても仕方のない事を言って、嘆く事」らしい)
「人を不快にする可能性がある言葉の種類」という事に違いはないんだろうけど、伝える際のニュアンスというか、表現的な、込める意味合いや程度などが変わってくるんじゃない?
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烏羽
そういう「傾向」があると、「言われている」事はあるな。
男性だの、女性だの、性による違いを思考回路にまで結び付けて考えられてはいたが、何の関係も無い事が解って来ているみたいだし。
(右脳派とか、左脳派とかも同じく無い)
男女差に関する俗説というのか、そういう知識って、その互いを理解するための指標として使われてるだけなのかもと思ってる。
母性だの父性だのと言われるものもあるけど、結局あれって、一人一人の親が持つ子に対しての愛情でしかない訳で、明確な形はないからね。
逆を言えば、明確でないからこそ、何か指標がある事で、理解しやすくなる…、事もあるのかもしれん。
あと、メディアにはよく、飛躍した誇張表現だったり、嘘書いてたり、古い情報が未だに使われていたりする事もあるからなあ…
「これ、筆者の偏見だろ(苦笑)」みたいな記事もあるし、意外と信用ならなかったりする事は、マジで存在してる。
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烏羽
いや、その理論で言うと、「自分がよければ」という中に、「他者の幸せ」が含まれている場合、心から願っているという図式は生まれるんじゃないか?
つまり、例えば一例として、自分自身の精神の安定などに、他者の幸せが含まれている時や、誰かを喜ばせたいという自分の思いを重視した時も、そうと言えなくもなかったりするんじゃなかろうか。
まあ、自分「だけ」がよければそれでいいと思える人もいるかもしれないけど、そうそう極端には生きられないんじゃないかね。
多かれ少なかれ、人生の中で他の人の事を考えると思うし。
そりゃ、100%心の全て、相手の幸せを自分の幸せとして喜べる人や、そういう機会は少ないかもしれないけれど、100%でなくとも、本心から人の幸せを喜ぶ場合だってあると思う。
科学が発達すればどうなるか解らんが、証明なんて出来ないから、信じるか信じないかと言われれば人それぞれだろうけれども。
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烏羽
(長いので、面倒だと思ったら読み飛ばして貰って構いませんので…、もしも飛ばさず読まれる際には、お時間と気力のある時に見て頂ければと思います)
そうだよな、俺もそう思ってる。
けど、なんでこんな悩むのかって、意見を言っても対立しない可能性があるってのも、あるからだと思う。
「意見を言う事=対立する事」ではなくて、あくまで対立する可能性のある事、なんだよな。
でも、可能性っつっても、その言葉だと何の事だかはっきりしにくい気もするので書くと、まあ、言葉の表現による可能性じゃないかと思う。
同じ意見の人には通じるし、共感もある。
だけど例えば、「俺は指で直に鼻クソをほじる奴が許せねえ、鼻クソ触った手で他のものに触れんじゃねえよ!」とか、否定的な事を挑戦的…というのか、対立的、排斥的、…簡単に言えば、攻撃的な表現をすると、そりゃあ対立、争い事になりやすいと思われる。
(汚い話ですまない)
じゃあその例を少し変えて、「俺は指で鼻クソをほじるなら、その指で色んな所を触られると気になっちゃうんで、出来ればティッシュを使ってくれるとありがたいかな」と表現すると、どうだろう、多少は柔らかくなったんじゃなかろうか。
もちろん、小瓶主さんが、「争い事を作る必要性は無いんじゃないか」と仰ってるのは、少しでもある、対立の可能性を潰すためだとは思う。
けど、表現によって、受け手が感じる言葉への解釈って結構、変わったりもする。
他に、猫派と、犬派が居たとする。
で、猫派の人が「猫には猫だけの良さがある、その良さは犬にはないし、猫は犬の良い特徴をも持ってる。犬は嫌いだ。犬は猫より劣る」なんて言ったらそりゃムッとするんじゃないだろうか。
だけど、そうじゃなく、猫派の人が「猫には猫の良さがある。だから私は猫が好きだ。犬は苦手だが、犬にも犬の良さがあるのだろう。尻尾の振りなどが猫にはあまりなく、可愛く思える」と、受け入れれば、もしかすると犬派の人も、「へー、猫って尻尾ブンブン振らないんだ。僕も猫は苦手だけど、猫にも可愛い所があるんだろうな」など会話が広がっていくかもしれない。
まあ、思い付く限り、他にも、「不快に思われたらごめんだけど」とか、「上手く言えないから傷付けてしまったりするかもしれないのだけど」とか、予め前置きとして断っとくのもあるかなあ。
そういう、ちょっとした心の声を表すというのか、争いたくない事や、上手く表現する自信がないと伝われば、聞ける体勢も整うというかね、そこで通じる話もあるかもしれない。
…多分、精神的に落ち着いてる状態とかだと、自分の嫌いなものを好きだと持ち出された所で「へー、そうなんだ、そういう事もあるよね」ぐらいにしか思わんよ。
少なくとも俺はそうだし、言い方が余程の悪意、敵意に満ちているとか、衝動的で困った言い方だと感じられなければ対立する事もないというか。
(他の人は知らんけど)
ただし、どんなに気を付けていても、どんな表現であっても、受け手が怒っていたり、見るもの全てに腹が立ってムシャクシャしているとか、平常な状態でない時は、そうでもなかったりする事もある。
(俺もそう)
あくまでも言葉とかから、どう思ったのか、何を伝えたいのかを認識するのは相手なので、相手側の解釈する力が落ちていたりすると、どんな表現でも争いの火種になる事は割とある。
(発信側の疲れなどから、表現力が下がって、伝わりにくくなる事なども勿論ある。自他共に誰が悪いとかもなく、どうしようもない時はどうしようもなくあったりする)
だから、その時に発信側が出来る事として、まず「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんだ」と謝るとか、誤解を解こうとするとか、落ち着いてもらうために引っ込むとか…、そういった行動を取れるようにするしかないかね。
正直、人それぞれ価値観や認識が違う中、「すべての人に嫌われない」って事は不可能に近いぐらい難しい事だと思うのよ。
だから、自分自身が言われてムッとした言葉を使わない、苛立ちのある時には感情的になりそうなので意見を言わない、ってな事も、時と場合で大事だと思うけど…
「言わない」事を深刻に考えるより、「対立する事やよく思われない事をどう回避できるか」、「困った事がもし起こった時に、どんな事でフォロー出来そうなのか」って事を深刻に考えた方が、少し先が見える分だけでも気楽じゃないかと思う。
畳み掛けられているように感じるかもしれんので、あんまり言いたくないけど、「言わない事」を「良くない事だ」と認識する人がいれば、黙ってても嫌う人はいないと言えない。
(黙っている事を都合よく解釈して、好意的に見る人もいるかもしれないし、そのどちらとも思わない人だっているのだろうけれども)
気休めになるかは解らんけど、よっぽど極端な人でなければ、「嫌われる=その瞬間から人が離れる、攻撃される」という事には必ずしもならないだろうし。
態々嫌われようとする意味は(目的がなければ)ないけど、嫌われないように努力した所で、嫌うのは自分じゃなくて他の人な訳で、どうしようもない時もある。
(元々人が嫌いだという人には嫌われてもしょうがないし)
こういうしんどさなのかは解りかねるが、嫌われないために作った自分があるとするのなら、その仮面が続くかどうかも別だしな。
あと、人それぞれの価値観や、解釈が違うからこそ、その人それぞれ、個人を知った上で、関わっていくのも大事かな。
どんなものが好きとか、嫌いとか、許せないラインがどこにあるとか、そこら辺が解って来ると、手探りよりは楽になると思うから。
とりあえず、言われるまでもないと思うが、小瓶主さんの気が向けばな、言えそうな時、練習ついでに試し試し、少しずつ意見を出していく回数を増やしていくのもアリだよな。
(やれとか、強制したい訳ではないので、そこん所は無理なさらず。したくないならそれでいいだろうし、方法なんて色々あるし)
この小瓶を意見として読んだ感じ、…俺が、共感なりしてるし、そういう人間だからという事もあるかもしれんが、小瓶主さんを嫌いだとか、対立的だとか、特に何も思う事はないし。(中立)
全ての人が大丈夫かは知らない(解る訳ない)が、個人の感覚からはまったくもって平気だったぞー。
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烏羽
(長くなったので、お時間や気力のある際、気が向いた時に読んで頂ければと思います)
大丈夫、自信が持てなくても、上手く行く事だってあるよ。
(当然上手くいかない事もあるが、それはそれとして)
自信があるかどうかは、確かに迷いというのか、行動に部分的な影響がありはするけど、自信を持つ事が良い結果を出すのか、それで上手くいくのかって、そんな事実はないから。
(自己評価と、結果は別物。また、他人からの評価も、その人が感じる事を伝えているだけであって、別のもの。認識はそれ以上でも以下でもなく、事実そのものではない的な)
寧ろ、不安な事や、現時点で出来ていない事があると理解していると解釈するのなら、それも充分、小瓶主さんが出来ている事ではある。
ただ、それを絶望、悲しみや苦しみのまま終わらすのは勿体ないと、手前勝手に俺は思う。
気が向いたらでいいんだけど、期待されているとか、こういう人だと決め付けられる状態とか、その中で…
なんて言ったらいいか上手く表現できないんだが、何か、人に言いたくないというか、行動を思い留まらせる理由、立ち止まる理由は思い付くだろうか?
例えば、小瓶主さんが実際どう思うかは別に、俺が適当に思い付くものとして、「嫌われたくない」「争い事になったりで、関係性を壊したくない」とか。
いわば、どういう所に不安を感じるのか、何が起こると困るのか、って感じ。
そこが明確になってくると、それを避ける為にはどうすればいいのか、もし困った事が起きた時、どんなフォローが出来るのかとか、対処方法を具体的に考えやすくなっていくと思うし、対処が見えてくれば、行動への移る為のハードルは下がるんじゃないかと。
(行動に移る際、大なり小なりの覚悟はいるかと思うので、そこは変わらないが、何も対処できないという不安は、多少なり楽になるかと)
まあ、もしやるとしたら、自分の気持ち、理由が考えても出てこない、明確にならないなんて事は山ほどあるので、長い目で見て、休み休み日を跨ぐでも、何度でも気が乗った時に考えるのをオススメする。
(ついでに、好き勝手考えていると、最初に何を考えていたか解らなくなる事もあるので、何を考えるのか、目的とかをメモするのも、考える支えになると思う)
思い返してみると、過去の自分の気持ちは、輪郭的に覚えているようでも、事細かにはあんまり覚えてない事も多かったからさ。
…本当は何もしなくとも、状況が変わってくれれば良いとは思うんだけど、都合よく変わってくれる事もなかなか無いからね。
(小瓶主さんに対して何かしろとか、とかそんな事を伝えたいのではなく、直接的でなくとも、何かしらの行動をした方が、多少でも確実に変化はあるので、考えた一例をとりあえず書いてみたというか)
あとは、人によってそれぞれ感覚が違うから、個人差は大きいと思うけど、趣味というのか、ガス抜きできる時間というのからストレスの発散方法を持っておくとかも大事かな。
(俺だったら、絵を描くとか、歌うとか、音楽聴くでも漫画読むでも景色見るでもあるし、軽く運動する、逆にぼーっと何もせず、のんびりするとか)
で、どうして生きているのか、という事に関しては、俺も興味があって考えているけど、明確には解らんな。
物理的な視点から言えば、親が産んで、育てられて育って、生命活動のその連続からとしか。
何のために生きているのか、と問えば、身体的には子孫を残す為、生きているこの状態を維持しているから、だとかは答えられる。
何か使命、役割があるとか、精神的な目的とかになってくると、解らんね。
人それぞれ違ったものになってくるとは思うが、強いて言うなら俺自身の中では、「学ぶ事」や「楽しく思える事」とかが生きている事の一つの支えというのか、一瞬その時を進んでいる、ちょっとした原動力だと考えている。
別に、疑問を持つまで意識してこなかったように、「生きたいから生きている。生きていたいから生きてきた」という訳ではない、目的があった訳ではないから、考えた所で、生きている事に関わる周りの事って結構スカスカだったりするのかもしれない。
(そもそも、生きているという事がどういう状態かなんて、物理的な反応以外に何も解ってないし、だからこそ考えたくもなるのだが)
だから、強いて言うならば「生きていたから、今も生きている」し、「生きている中でしたい事、楽しいとか感情を含めて、良くも悪くも興味のある事があるから、そこへ向く」としか、今の俺には言えないかね。
そんなもんなので、死にたいと思う事に大した歯止めもないから、そこはちょっと困る部分ではあるかもしれないが…、死ぬときゃ死ぬと思って、生命活動に関しては身体に大体をお任せするつもりになってる。
とはいえども、もちろん俺も身体の一部な訳で、喉が渇いた、腹減ったとなると飲み食いするし、寒いとかなら暖房も付ける。
意識としての俺が、体を動かして死のうとしたら、身体が苦しいだとか腹が空いてしょうがねえだとか、危機感を出して全力で止めようとするし、抗いもするしな。
…こういう、心と身体の差というのか、関わりって、人間関係の一模様に似てるよな。
似てると思ってるだけなのかもしれんが。
ここまで読んでくれたならありがとな。
長文を読み返すのも大変だろうから返事とかも無理にしてくれなくていいんで、とりあえず、風邪には気を付けて。
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烏羽
そんな説明会みたいなものがあるのか!?
俺の経験した所だと、紙に任意で理由書く所があるだけ見たいな感じだった筈。
…正直びっくりだが、小瓶主さんの思う通りに、「精神的に辛くて辞める事を決心しました」とかで良いんじゃないのか。
何かそれ以上に深掘りされて、答えたくなかったら「答えたくないです」で良いだろうし。
そう答えても、あんまり問い詰めてくるようなら…
もし俺がそういう立場だったらさ、事情とかはよく解らんから妄想なんだけど、「そういうのが精神的に辛くて辞めたくなったんです」とでも言ってやりたいね。
突き放しつつ、トゲのある言葉なので、人間関係的な意味でオススメは出来ないし、俺も多分、そういう状況になったら言えなさそうだけど。
うん、まあ、恐らく「何が」精神的に辛かったのか、聞かれる可能性はあるので、考えとくと良いかもしれない…
…と言っても、答え難かったり、曖昧というか、明確ではないかもしれんから、その時は「答えにくい」とか「言葉にならなくて、明確には答えづらいです」とでも正直に言ってみるのはアリだと思うよ。
寒いと乾燥しやすくなって、そこから風邪にも繋がるので、あったかくするとか、喉のうがいとか、ケアは忘れずにな〜。
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烏羽
んだな。
余裕がなかったり、忙しいと構ってる暇もないし。
よーし、ドラゴン描こ。
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烏羽
(上手く纏められず、読み難いだろうという懸念のある上、かなり長いので、時間や気力に余裕がある時に、読んで頂ければ幸いです)
人それぞれ価値観が違う。
だから、悪いが「人間としての価値」と言われても、俺が思う価値観でしか物事を語れない。
…が、個人的な意見を書かせて頂けるのなら。
事細かには沢山ありすぎる事と、「人間として」とはどこまでの意味を持ってのものなのか解らず、全てを書く事は出来ないが、まず、「意味を作れる事」だと思う。
どんな事に価値があるとかないとか、その価値や意味は何であるとか、因果関係を想像して結び付けられる。
勿論、それによって嫌だと思う事、避けたいと思う程の意味のあるものも生まれる。
意味を作れるというのは良い事ばかりではないが、良いも悪いも含めての価値だと俺は思う。
長所と短所は紙一重だとか、バカと天才は紙一重だとか、そんな言葉を聞いた事はないだろうか。
人は物事を対極的な、「良い所しかないもの」とか、「悪い所しかないもの」と言ったように見がちな所があるように思う。
俺は良いも悪いも、根本は同じものなのだと考えている。
何が良いのか、悪いのか、その意味を、都合や状況に合わせて判断(作っている、あるいは分断)している。
それで、いつのまにか、自分の感覚、感情や思考を伴う経験から、「これはこういう意味があるから良い」「あれはああいう意味があるから悪い」とか、延いては「この行動は良い」「あの行動は悪い」などと、意味が作られていく。
その積み重ねにより、自分の視野、認識している世界が形作られていく。
そう考えると、ここまで大きな影響のある価値はなかなかない。
…別の話だが、重なる事として、俺は「生きている事」に対して、意味を見出せていない。
ただ、今まで書いた事が、「生きている中でしか出来ない事」だとか、「生きているからこそ行える事」という視点を持って考えてみれば、「生きている中で価値を見出す事が出来る」などといった意味、価値を、繋がりの中から感じる事は出来る。
(生きている事自体に意味が見出せなくとも、ものことの繋がりから価値や意味を見出せる)
最初に「因果関係を想像して…」とか書いたがその具体例を説明したくて、上のを書いた訳だ。
そういった視点の変更や、繋がりの中から感じ入る事が出来る事、そこに意味があると感じられる事を、一つの人間の価値(人の持つ能力的な意味)として見ているというか。
…ずいぶん長々と説明したが、難しい事でも大した事でもない。
誰でもすぐにでも、特に意識しなくても出来るような事で、一言で表せば「学びがある」という話だ。
生きている中では色々な事がある。
その中に、自分自身で、価値があると思える、感情や感覚、経験、過程や結果、意味…、色々なものが、生きている事の中から見出されたり、作られていく。
「学びがある」という事を俺自身の人生で、人間である上での価値として、意味として、支えの一部にしている。
生きている中で、死ぬまで、変わらない価値があるかどうかは解らない。
人は変化するからな、価値観が変わる。感覚、認識、考え、ものの見え方も変化する。
「生きている意味とは何か」を問われれば答えが出しにくいように、「生きている中で瞬間的に、その時々に意味を見出している」のだ。
(解らない、答えが出ない、という状態も含め)
生きている中、人間である渦中、それらである事の価値、意味を考えても、その場その時、瞬間的な、小さい部分での意味しか考える事は出来ない。
変化し続けているし、ある程度かもしれないが、自分で変化する事も出来るからだ。
小瓶主さんにはどうだろうか。
俺は通算二十年ぐらい、気が向いた時にでも考えて…、いずれは違った意味を見付けるかもしれない、決して明確ではなく、頼りにも出来はしないので、支えではなくなる時は来るかもしれないが、今そういった答えを出している。
返信はしてくれなくて構わないが、今までの人生を振り返って、何か、人間としての価値…、あるいは、「どんなものが人間なのか」とか、「どういった人間に、どんな価値を感じるのか」を考え出せるだろうか。
自分の人生そのものというのか、運なども含めて、自分の作ってきた、関わってきた世界をどういった価値として表せるだろうか。
今までの人生を、考えたいから考えては来たものの、答えはそうそう出せるものではなかったと思う。
正直言って、人間としての価値とは、一体何なのかという事は、俺にとって、自分の人生とはなんだったのか、という疑問に近いからだ。
それに、変化し続けているという事もある。
こういう見方、考え方をしているので…、これが今の自分の答えだ、考えだというものは出せても、小瓶主さんの遊蝶花さん自身が持つ、疑問への答えは、悪いが出せない。
そこは、もしもだが、気が向いたのなら、その時々にでも、少しずつ、休み休みご自身で考え、いずれ導き出して欲しいし、それは一人一人違ってもくるだろう。
あなたにしか出来ない事だし、だからこそ、価値が生まれ来るのだと思う。
…まあ、多分、何か嫌な事があったとか、葛藤などから疑問がわいたとか、そういう事からこの小瓶、言葉を流したのかもしれないとは思うが、無礼は承知の上、あえて「人間としての価値」とは何かを考えさせて貰った。
何でもいいから、何か言葉を送りたいと思うのも、人間の価値…と言えるのだろうか?
もしここまで読んでくれたのならありがとう。
寒くなると免疫力が低下しがちなので、ココアなどを飲むとか、暖かくして、風邪などに気を付けてな。
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烏羽
(長文なので、時間のある時や余裕のある時に読んで頂ければ幸いです)
多分、こればっかりは関わってきた時の長さとか、返事をしてきた数なんて関係ないよ。
俺も、自分の返事を見直しては「ここ説明として足りてねえんじゃねえかな…?」とか、「この表現や言葉遣いで良いのか?」とか、色々悩んだり試そうとしたりしてる。
納得行くものにしようとした結果、補足を書き足して、書き足して…、長文になって、読む為に時間とエネルギーを使うという点から見て、受け手が読み難い長めの文章が出来上がったり、まとまりがなくなったり、言葉遣いの一貫性がなくなったりする。
自分の納得を求めるのは、一言で言うと沼よ。
突き詰めて考えると、人と人との関わりにおいて、特に誰とも解らん人に言葉を伝える事に置いて、安心なんて出来る訳もないし、納得もほぼ無理だと思ってる。
何でって、人によって、更にはその人の日々の状態によっても、言葉への解釈、意味の受け取り方、ニュアンスが変わる事なんてザラだからよ。
(発信する側としての自分自身も同じく)
だから、ぶっちゃけ何が良いのかってのは、判断が難しくなる。
例えばだけど、「敬語」で良いのか?と考えるとする。
敬語で伝えれば、統計的には言葉遣いが良くなって、言葉から受け取る印象は落ち着くかもしれない。
ただ、どんな感覚として受け入れられる可能性があるのかを考慮して、言葉を選ぶ事は出来ても、だからといって、絶対に相手へと伝えたい言葉が届くのか、というのは別なんよな。
自分じゃなくて、相手が判断するから。
また、相手側へ伝える時の問題だけじゃなく、自分としての納得も、相手への考慮とは重ならない別の所にある場合がある。
俺なんかは、敬語を使うのに慣れていないというのか、正直「日本語としての正しい敬語」がよく解っていない。
また、「普段とは別の事をする」という感覚も合わさって、あんまりしっくりこない。
だから、自分で敬語を使おうとする時、使っている時に違和感をよく感じているし、それ故にエネルギーを使う訳だ。
この納得出来なさを押し通して、敬語を使わなければ良い、という訳ではないし、かと言って必ずしも敬語を使うのが、全てにおいて良いという訳でもない。
(敬語の与える印象として、堅苦しくなってしまう事もあるので、そういうのが嫌だとかになると、使っていいのか迷う)
俺の場合で言えば、敬語を使おうという意識から、返事を書き続けにくくなる事もあるし、相手に合わせてみようとなった時、自分の意見を曲げるのが良い事なのかと感じ、葛藤する事もある。
(相手に迎合する的な事は無理があったので久しくやっていない…が、それはそれでお返事をする時、小瓶主さんの文章から読み取れる内容へ共感が出来ない事も多く、その立場を説明しようと伝える時などにはどうしようと悩んだりもする)
まあ、もし小瓶主さんからのお返事が来たり来なかったりで、伝わらなかったと感じる事があれば、気が向いた時に補足や、誤解を解くための返事を書いてみてもいいだろうし。
俺自身としては、お返事の中で思い付いた事は、ある程度やってみてるかね。
相手の事も自分の事も含めて、納得付けようとして、上手くいったり上手くいかなかったりして、今も悩みながら書いてる。
人と関わる以上は避けて通れない葛藤なんじゃないかと思うよ。
なので、お返事をする上で「何が良い」として考えてみても、具体的には説明出来ませんな。
それに、解ってるかもしれんが、やっぱ「伝えやすさ」とか、「解りやすさ」や「読みやすさ」って、自分自身が何を目的とするのかや、その都度、場合にもよるしな。
一応、曖昧に、倫理観に反しない事だとか、思いやりのある言葉遣いを心掛けるとかは言えるけども。
何か他に心掛けてる事があるとすれば、ただ正直に書くようにはしてるかね。
(それはそれで問題になる事もあると解ってるから、そういう時は返事をしなかったり、する場合には控えめな表現を意識したりもする)
伝わるかどうかは別にして、思ってる事って、「認識」な訳だからね。
言葉を発する時には、この、自分の認識から伝えようとする訳だから…、いや、俺自身がそういう人間ってのもあるのかもしれないけど、好ましさとか嫌悪感とか、そういう抱いた感情って文章(行動)に乗りやすい。
要は、良いも悪いも含め、文章から思いが滲み出てるな、って感じる事があると思うんよ。
だから、人としての節度というか、プライバシー的な線引きや、言ったら嫌な気持ちになるだろとか思う事は言わないとしても、寧ろ心を開くというのか、正直にね、その時に伝えたい事は伝えようとしてる。
(嘘付いても俺の性格上、多分すぐにボロが出る)
まあ、そうじゃなくても、場合によってはこういう長文を目にする事で、良し悪しの「圧」を感じてしまうだろう事から、意図せず「やたら熱意がある」と受け取られたり、書き方とか受け取られ方が悪くなってしまうと、「この人は自分をそんなに否定したいのか」と受け取られる事もあると思う。
(俺としては、もうこの長文を書くのが普通の感覚になってしまっているし、推敲を重ねる内にこの文章量でも長いと感じなくなってきてしまっているという…。…みたいな余計な事を書いているから、長くもなっているのだが)
気分を害すというのか、不快に思われたら困るけど、不快に思われても「それでも、これは伝えなきゃ余計困った事になるんじゃないか」と感じるものは、「不快を承知で」「気分を害したら申し訳ないが」とかで伝えようとしてみたりもした事はあるかね。
方法として良いかどうかは解らんが、こればっかりは、その都度、何を目標として求めるのか。
自分が何をしたい時に、何を見落としがちなのかとか、何が試してみてやりやすいと感じる方法だったのかとか、自分の感覚に合わせてやっていくしか、納得出来る方法はないと思う。
半ば人と接しながら、自分自身の特性とか、性格とかとも向き合う事になるかね。
ご自身が、どんな目標…、どんな返事をしたいのか、どんな事を伝えたいのかって部分を、少しずつ具体的にしていく事も大事かもしれん。
何故足りないと感じているのか。
つまりは、具体的にどういう所に不安があって、そこに対してどんな対策が出来そうなのかって事を考える訳だよな。
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