今、こうして私たちが平和に暮らしている間に、世界のどこかでは戦争が絶えず起きています。このような状況の中、世界は平和であると本当に言えるのでしょうか。私たちの周りがいくら幸せでも、世界のどこかで戦争が起きていたり苦しんでいる人が一人でもいたりするのなら、それは、平和とは言えないと私は思います。
最近は、さまざまか国で戦争が起きていますが、その中で今最も注目されているのは、ロシアとウクライナの戦争です。最初は外国での戦争なんてよくあることだし自分とは関係ないと、あまり興味を持っていませんでした。しかし、日に日にロシア側からの攻撃も激しくなりニュースでも大きく取り上げられるようになりました。攻撃により多くの方が犠牲になっているのを見て、とても悲しく感じました。なぜ争いとは関係のない人々が命を落とさなければならないのか。その人の家族、友人はどれほどの傷を負って生きていかなければならないのか。考えれば考えるほど胸が苦しくなりました。このような世の中で本当に良いのか。私は改めて戦争、そして人権について深く考えました。
ロシアがウクライナを初めて攻撃したのは二〇二二年二月二十四。ロシアがミサイルや戦車を使ってウクライナの首都キーウまで攻めこみました。その後攻撃の範囲は広がり、それと同時に犠牲者も増え続けました。テレビニュースを見ると、人がいるところを狙って爆弾を落としていることが多く、外に出ているだけで命を奪われる可能性があることを知りました。こんな世の中であってはいけないと思います。人々が、自由に安全に暮らせる世界を誰もが願っているはずなのに、爆弾という武器一つですべてが失われてしまいます。
以前私は、ロシアの攻撃から命を守るために、小さな子供が一人で親から離れて生活をしているというニュースを見ました。その子は一人で、ある国にたどり着きました。そしてその国の人々が、優しくご飯を食べさせてあげている姿を見て、とても感動しました。戦争が起きている国から避難してきた人々を差別するという問題も起きている今だからこそ差別をなくし、居場所を作っていくことが私たちにできる一つことだと思います。故郷を離れ、たどり着いた国でも差別を受け、苦しむ世界には絶対にしてはいけません。日本でもウクライナから来た人を支援する取り組みを行っています。その中で私が一番興味を持った取り組みは、住む場所を提供するという取り組みです。日本に来たばかりの人が生活するために、一時滞在できる場所が必要です。そこで、自分の家に泊まってもらって支援をするという人をテレビで見たことがあります。食事や洗濯など、できるかぎりのことをしてサポートする姿を見て自分に同じことができるだろうかと考えました。言葉が通じないだけでなく、今まで住んでいた場所や文化など何もかも違う中で、一緒に生活できるのか不安になると思います。しかし、その人は、「一番不安を感じているのは今戦争が起きている国の人々で、少しでもその人たちの役に立ちたい。」と、言っていました。日本は今、戦争がなく安全に暮らしている国です。だからこそ、戦争で苦しんでいる人たちを一人でも多く助けることが、私たちにできる一つの役目なのだと思います。だから私は、身近に困っている人や苦しんでいる人がいたらすぐに手を差し伸べられる人になり、居場所を作ってあげたいです。
ロシアとウクライナの戦争は今も続いています。日本も昔、原爆を落とされた被爆国です。だからこそ分かる悲しみや苦しみがあるので自分に今できることを考え、行動していきたいです。たとえばそれがどんなに小さなことでも、その行動に救われる人は一人でもいるはずです。自分の家族、友人、一人一人を大切にすることによって幸せの輪は世界に広がっていくと私は思います。
「平和ってなんだろう」と、考えたとき私は、誰もが幸せに生きることだと思いました。「生きる」ということは生まれてきた誰もが平等にあたえられたことです。それを、戦争という人々の身勝手な行動で奪ってはいけないと思います。戦争は平和な日常、そして命までも奪ってしまう残酷なものです。誰もが幸せで平和な世界をつくっていくには一人の努力では成し遂げることはできません。平和の尊さ、命の大切さを知って、一人また一人と、伝えていくことが、平和な世界をつくっていく第一歩だと信じ、私は行動していきたいです。