私は自分の母親が嫌いです。
これまで育ててくれたこと、お金をかけてくれたことに対する「感謝」は沢山あります。
でも、それと同じくらい、好きか嫌いかで言ったら「嫌い」の気持ちが大きいのです。
今日も突然「〇〇(私)ちゃん」「臭くて気持ち悪いよ」と言われました。
私が「え?」と訊き返すと「甘くて気持ち悪い臭いがする」と。
あぁ。ヘアスプレーのことを言っているんだとすぐに分かりました。
母親は香料の香りが苦手な傾向にあります。
そこに対しては私も配慮したいと思っているので、
そのヘアスプレーを買ったときも、母親にラベルを見せて香りの名前や成分の確認を取って、家で使うことの了承を得ました。
そして購入してからの使う前にも、ボトルの状態で香りを嗅いでもらって「この匂いなら大丈夫」「ママも好き」と言われました。
この数日間使っていて、時々確認もしていました。
その上での上記のような言われ方。
もちろん、使う量などによっても香りの感じ方などは違うので、今日とつぜん苦手に感じたこと自体はあり得ることだと思います。
でも、名前を呼ばれてから間髪入れずの「臭くて気持ち悪い」。
どうしても悲しい気持ちになってしまう。
すごく傷ついてしまう。何気ない言葉に。
毎日のようにかけられる言葉に。
悪気はないと信じたい。たった1人しかいない母親だから。
悪気はない、、、はず。
悪気がないのなら、、、無意識?
だとしたら。私も、あの人に育てられた私も、そうやって無意識のうちに誰かのことを傷つけているのかもしれない。
こうやっていつも、母親の言葉に深く傷ついた後、自分のことが怖くなってしまう。
そんなことがしょっちゅう。
ぐるぐる考えているうちに、
「そもそも母がキツくない言葉で溜め込まずに指摘のできる人だったら、私もあんなに何回しつこいくらいに確認する必要なかったよね」
とか、
「あんな人になんでこんなに気遣ってるんだろ」
とか考えちゃって。
そうするとまた、
「私も無意識のうちに友達にこうやって気を遣わせているんじゃないか」
とか
「私も誰かにとっての母親なんじゃないか」
とかまで考えちゃって。
無限ループ。
苦しい。
母親がいる限り、この無限ループからは抜け出せない。
他の人にはこんなに執着しないし考えない。
でも、たった1人の母親だから。
私は紛れもなくあいつの娘だから。
あいつの血を継いでいて、あいつに育てられたから。
私の中にもあいつの要素があるんじゃないかって。
それがすごく怖い。
自分の中に、自分が世界でいちばん嫌いな人の嫌いな部分の要素があるんじゃないかって。
ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
みなさんは、切っても切れない関係の肉親との相性の悪さ、どう折り合いをつけていますか?
ななしさん
願いとばし さん、
こんにちは! 寒い日が続いていますね。
某・精神科病院の臨床医として、日々患者さんと接している立場の人間からのコメントです。
願いとばしさんと直接お目にかかったわけではないので、わからないことも多いため、あくまでもご参考として読んでいただければ。
なぜ私が下のようなコメントを寄せようと思ったかと言うと、私自身の境遇と似ているな……と思える部分があったからです。
以下は、願いとばしさんが私の診察室を訪れてくださったと仮定して、小瓶に書かれている内容をお話しいただき、私ならどのようなお返事を差し上げられるか、それを私なりに考えたものと思っていただければ結構です。
両親(あるいは片親)に対して感謝の気持はあれど、好きでいられる存在かと訊かれれば「否」となる。
そして、そう思ってしまう、あるいは嫌でもそう思わされてしまうような事件、出来事が日常的に続いている。
願いとばしさんが書かれているように、まさに無限ループ、それは親がこの世を去るまで続くかもしれない。加えて、お母様からもそういった要素を引き継いでいて、周囲を困らせているかもしれないと不安になる、そういったご相談ですね。
具体的なエピソードとして書かれているヘアースプレーの香りの件。そこだけを切り取って考えるのなら、「他の家庭でも有り得る話なのかなぁ、うちだけじゃないのかも」とも思えるのかもしれません。
でも、願いとばしさんが今、一番に感じていらっしゃるのは、そういったことではなく、お母様が発した何気ない言葉からくる悲しい気持、あるいはお母様の語彙の選び方からくる恐怖感、そして「自分は母親の悪いところを引き継ぎ、知らず知らずのうちに他者の心を傷つけているのではないか?」という加害恐怖(強迫観念の一種です)なのではないか、と私は感じています。
悲しい気持・恐怖感・加害恐怖。これらに毎日のように苛まれ、願いとばしさんの心がとても疲弊していることと思います。現在、なにか身体的に苦しく感じるような症状は出ていませんか?
心の疲弊が長く続くと、やがて心身症として、身体症状を認めること増えてきます。具体的にどのような症状かというのは、患者さんによって様々な態様を示すので、一概にコレと言った答えが出せないのが難しいところではあります。
代表的なものとしては、頭痛・突発性難聴・めまい・味覚障害・網膜周辺疾患・顔面神経痛・胸痛・胃部不快感・下痢・食欲不振・体重減少・無月経・中途覚醒・入眠障害などが挙げられます。患者さんの年齢や既往症によっては、脳外科的疾患・心疾患・てんかん発作として急に表れる場合もあります。
文章を拝読する限り、お母様としては、願いとばしさんの様子を見て感じたことや思ったことを、まるで脊髄反射のごとく、脳より口のほうが先に動いてしまうほどに即答してしまう、それも無意識下でそういう言動をする、そんな方なのかなぁといった印象を受けます。
そして、そういったご自身の言動あるいは行動が、娘である願いとばしさんを傷つけているという事実に全く気づかない、あるいは他人から「ほら、貴方のそういう部分が悪さしてるんだよ」などと指摘されても「何のことか、見当がつかない。何か悪いことでもしましたか?」というような態度をとる(しかも無意識に)、そんな姿が思い浮かんできます。
もしかしたら、何らかの疾患によって、お母様ご自身がコミュニケーション上の困難を抱えていらっしゃる可能性も示唆されます。
ここからは私の自分語りとなってしまうので適当に読み飛ばしていただいて結構です。
私の場合、「切っても切れない関係の肉親との相性の悪さ」という表現では足りないほど、両親とは折り合いが悪いです。そのような関係になって、もう15年以上です。
もともと父は子育てに関与せず、子どものことは全て妻任せ。まあ金なら出すけれども自分自身は絶対にここから動きたくない、このままテレビを見ていたい、なぜなら面倒くさいから、そういう人物です。
以下の喩え、伝わるでしょうか。諸外国からすれば、日本の自衛隊は、装備品や訓練内容だけを見ても、実質的な「日本軍」であると見做すのが妥当、というのが世界的な考え方ですよね。でも日本国憲法に「日本は軍隊を保持しない」と明記されているので、「自衛隊は決して軍隊ではなく、隊員を戦場に派遣することもしませんが、その代わりに援護射撃としての資金援助ならいくらでも行いますよ」これが日本の外交姿勢ですね。まさにこんな感じの人物なのです。
一方で母は、教育熱心、自身も子ども園で教諭をしていたこともあり、何かと私の勉強や部活動、進路について介入してきていた、少々厄介な人物です。かなりの自信家で、他人と群れるのを嫌い、自身の考えが常に正しい(=何かあれば悪いのはすべて周囲の人達だ)と信じて疑わない人です。そして一番の欠点は、とにかく怒りっぽい(精神医学では「易怒性が高い」といいます)こと。物を破壊したり、人に八つ当たりしたりしないだけ、まだ良い方です。そこに本人が気づいておらず、また指摘しても即否定するので、これまでも相当に苦労させられてきました。
父と明確に違う部分があるとすれば、車のハンドルを握らせると性格が変わるということです。特に、機嫌を損ねることがあった後に車を運転させると、運転席で金切り声を上げながら口汚い文句を言い、時速40キロ制限の道を90キロの猛スピードで平気で走ってしまう、危険性の高い人間です。私は関わりたくないタイプで、距離を置いて付き合いたいと感じます。
父も母も、15年前から急にこのような人間になってしまったわけではなく、元々そういうタイプなんです。ただ、本人たちがそれを表に出さなかったり、私もあえて気付かないふりをしていたりして、15年前までは何とか、一般家庭と同じような体(てい)を保っていただけで。完全なる機能不全家族でした。もちろん、今で言うところのジェンダーバイアスもありましたが、もはやそれ以前の問題、この二人が子どもをもうけたら将来どうなるか、ちょっと考えたら分かるでしょう、そういうレベルの話です。
私は、少なくとも心理検査の上では定型発達の人間として判定されますが、幼少期に、とある虐待行為を経験しており、そのときに刻まれたトラウマは今でも自分の心に影を落としています。患者さんにも、必要に応じ、このお話をさせていただくことがあります。
願いとばしさんが仰る「私の中にもあいつの要素があるんじゃないかって」。この言葉が私の胸にとても刺さりました。通勤途中の車の中で、私も同じような思いを抱くことが多々あります。私の場合「あいつ」ではなく「あいつら」となりますが、願いとばしさんの思いと変わりません。
私は、もう折り合いをつけるという方法自体を諦めた上で、両親とは非常事態・緊急事態がない限り連絡も取らないし、もちろん顔を合わせることもしていません。もう、その必要性がないのです。折り合いが悪くなって長い期間が経つと、そうする意義すら感じなくなるものです。それに、もう親元から独立して随分経っていますから、私は私で、目の前の業務、足元の生活に集中するのみです。両親の携帯電話や実家からの電話は鳴らないように設定してあるので、今はそういったものに邪魔されることもありません。
あとは、自分の心を少しでも救ってあげる、凝り固まった澱みから解放してあげるために、本当に微々たる効果しかないかもしれませんが、実家に住んでいるときから私は「世帯分離」の手続をして、両親とは生計を異にするようにしてきました。要は、一つの家に世帯主が二人いるということになりますね。
かつ、私は当時20歳を過ぎていましたので、両親には既に私に対する親権もなかったわけです。「住民票の写しは自分自身のものであって、親を含めた他人からの指示を受けてどうこうするような書類ではない。それくらい大切なものだ」との考え方から、世帯分離を早くから実行しておきました。
同じ屋根の下で生きているけれども、生計は別。住民票の写しを取ってもそこには両親の名前があるだけで、私の名前はない。そして、保護措置を取ることで、両親が私の住民票の写しや除票を好き勝手に取得することを制限しました。それだけでも、随分と気持ちが楽になったことを思い出します。
私自身は、両親のどちらか、あるいは二人共に、何らかの精神疾患なり、発達障害なりが存在すると考えています。もう70代手前ですし、年齢的にもそろそろ脳ドック受診や PET 検査を受けたほうがよい時期に差し掛かっています。脳ドックのついでに、認知症の予備検査だからと言いつつ、同時に心理検査を受けるよう奨めるつもりでいます。おそらく、何かが見つかるはずです。それを本人たちが受け入れるかどうかは、また別問題とはなりますが、現実を突きつけられることも、また、彼らには必要かと思います。
とりとめのない話を書いてしまいましたが、ご参考になりましたでしょうか?
結論としては、肉親との関係にどう折り合いをつけるか、私ならまずは親と距離を置いて付き合う、できれば早めに親元から独立して生活する、自立した生活が送れるようにすこしだけ頑張ってみる(でも無理はダメですよ)。
あとは「自分は、好きになれない(≒嫌いな)親の血を引いている人間だから、結局は同類なんだよね」というネガティブ思考から離れて、ご自身の人生を生きるんだという自己肯定感を持つことが大切なのではないでしょうか?
なんだかバーチャル診療のようになってしまいましたね。もし、今回の件で、さらにお辛い気持ちになって他の物事にも手がつかなくなってしまうとか、消えてしまいたいとか、そういった状態になりそうな感じがしたら、なるべくお早めに、心療内科や精神科の扉を叩いてみてください。決して、怖いところではありませんから。ドクターもナースも、皆さんのお話を傾聴した上で、伴に寄り添って問題解決へのお手伝いをしてくれるはずです。