自分の幸せが自分1人で成立してる人はいるだろうか?
俺はいないと思っている。
例えば金持ちは金を持っていないやつがいるから金持ちという概念がうまれる。
金を払うことで自分の望むことをサービスしてくれる相手がいるからなりたつ。
イケメンや美人はブサメンやブスがいるから憧れられるしもてはやされる。
より多くの人からの羨望や好意を独占できるからモテるモテない、人気がある人気がない、フォロワー数が多い少ないの指標ができる。
スポーツであれば勝負する相手がいるから勝つ喜びがある。
個人競技なら記録を称えてくれる人がいるから上を目指す。
幸せな人がいるからそれと比べて不幸な人がいるわけで、不幸な人がいるからこそ比べて幸せを実感できる。
だから人は自分より弱いもの、攻撃しても良いものを無意識に求めてるのだと思う。
迷惑動画とかで炎上した相手は徹底的に叩く。
大きな事件を起こした犯罪者には厳しい罰を求める。
あいつは悪いことをしたのだから当然だと良心が痛まない。
悪いことをして見せしめができて、あいつのようでないから自分はまだマシだと相対的に思う。
だから絶対不幸はなくならない。
犯罪もなくならない。
不幸や悪は必要だから、幸せになれない人は絶対いる。
幸せを感じる時は誰かの幸せを奪っている。
誰かを幸せにするためには、他の誰かから奪ったものを与えるか、自分が犠牲になるしかない。
だから人は1人では幸せになれない。
俺も幸せになれない。
そう考えると生きているのが辛くなる。
191710通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
名前の有った小瓶
(小瓶主)
ななしさんへ
「1人で」という部分は勝負やマウント相手のこともそうですが、それ以外のあらゆる意味を含んだつもりでした。
尽くすための相手。
貢献先の社会。
それらの存在も自分以外の誰かが必要であって1人ではない。
1人で生活するにも絶対に他人は必要。
食べ物を生産してくれる人。
輸送してくれる人。
生活インフラを支えてくれてる人。
他人は絶対必要で、他人と関わる以上どこかで比較するしされることは避けられない。
平均、普通、常識とかの物差しが生まれて優劣が出来てしまう。
そして自分が普通であるためには普通でない存在が必要になってしまう。
平凡な幸せ、普通の幸せとか言ったりするけどもやっぱりそれも何かと比較するからこその普通であり、普通より劣れば不幸に感じてしまう。
だから自分が幸せにいきるのはむりなのだろう、と思ってます。
ななしさん
人は1人では幸せになれない。
そうかもしれないけど、考え方を変えるだけで得られる幸せというのもあると思う。
持っていないものばかりではなく、持っている物を見る。持っているもののありがたみを思い、感謝する。
持ってないものを見て嘆いてばかりいるより、ずっと幸せだと思う。
ただ、嘆きは、持つ権利を求めて運動する、持つ事を求めて行動する力にもなるから、悪いことばかりではないけれど。
でもそういう力に変えないのなら、あるいは変えない部分は、やっぱり持ってるもののありがたみを思う方が幸せじゃないかと思う。
わたしには、わたしが持ってなくてゆきさんが持っているものがすでに、最初から見えてる。
また、あなたが投げかけ、答えてくれる人達がここにいる。
それだって幸せなこと。ではないかな。
haro
ごろー
こんにちは、ゆき
ずいぶんと支配者側の思考だね、この小瓶は
江戸幕府の士農工商、えた、ひにん
なんてその考えまんまだもんね。
下級武士は職にありつけなくても、刀は持てる。
だから反乱は起こさない
農民たちは幕府の基本方針が「生かさず殺さず」
そして、大農家と土地を持たない農家が力関係が変わらないようにして、権力構造に取り組む。
貧しい農家は他の人を見て、不満のはけ口にする。
だから、凶作でもないと一揆を起こさない
戦が無くなった時に名より身をとって武士から大農家になった人もいる
職人は卸先の商人より偉いとされれば、悪い気はしない
商人は上位の武士より豊かだったから、一番下におかれても、その役回りを受け入れたんだろうね。
えたとひにんのどちらかは忘れたけど、普通に3kな部分のある公務員さんだからね。
皮のなめしとか薬剤などを使うので、匂いがきつかったとか。
職場は自ずと町中に作れなかったというのがもともとの話。
不満のはけ口にしたい人達によって真実は歪められる。
そして、支配者にとって都合がいい。
それが江戸という300年近くも続くという異常な安定を可能にした怨嗟の構造だよね。
たださ、単純に幼稚園?の子供って公園で自由にさせてもらえれば、楽しそうで
誰か見つけたら、一緒になって楽しそうにしている
理想論過ぎるけど、比較の外側にいられれば、不幸の連鎖による幸せとも離れられるのかもよ。
まあ、特に意味はないたわごとだと聞き流してくれると嬉しい
ななしさん
1人かどうかの意味
勝負やマウントの話と感じました
でもそれ以外にも幸せはあるというのが
昔から伝わる知恵かと。
親御さんやおじいさん、おばあさんは
子供や孫の社会的成功を強く望む方も多いけど、
底辺でもニコニコ暮らしてるのを見れば
幸せな方もたくさん居るし。
演歌(私は好かないけど)にあるように陰ながらでも
尽くせれば幸せとか?
研究に没頭して社会から疎遠でもむしろ幸せとか。
究極は世界や社会に尽くしつつ、
感謝やチヤホヤされるのを避けて
人さまが安全に幸せそうなのを見て
幸せを感じられるのかな?
なかなかそうはなれないけど
辛い競争以外に価値のある人生も
きっとあると思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。