はじめまして。
小瓶を拾ってくれてありがとうございます。
この手紙の要旨はラベルの通りです。長い長い手紙になります。
現在20代前半の私は、子供時代、とある新興宗教を一家で信奉していた「宗教二世」です。義務教育期間中にフェードアウトし、現在は両親のみが信者です。
具体的な教団名は伏せますが、その宗教は今カルト団体として世間から認知されており、二世・三世の方たちによる教団内部の問題を明るみにしようとする動きもあります。
問題とされていることのメインは「教団主導の児童虐待」です。実態を把握するためネット上でアンケート調査が行われ、私もそれに回答しました。
つい最近その調査報告が行われたのですが、そこで私は、教義に倣って行われていたことの数々が、世間一般の常識からかけ離れたれっきとした児童虐待であったことに気づきました。「気づいた」というか、もともと頭で理解していたものの心で受け止めきれていなかったものを、直視させられたという表現の方が近いかもしれません。
調査報告の結果から被害の実態を知り、本当にこの宗教は偽物だったのだと思い知らされました。物心ついた時から二世として教義を日常的に学んでいたので、離れても心のどこかで「やはりこの宗教は正しいのではないか、離脱した自分は間違った選択をしたのではないか」と感じていました。
そのため、報告書を読んだ時のショックは想像以上のものでした。自分が被虐待児だったと今回初めてはっきりと自覚させられ、それまで愛ある懲らしめだと認識し受け入れていた自分を、恐ろしく思いました。
遅効性の毒のように、離れてずいぶん経ってからじわじわと苦しさがこみ上げてきます。本当にこの宗教はおかしいのだと、それを両親は長年信仰してきたのだと、やっと自覚してしまいました。裏切られた、という感覚をいまさら抱き始め、怒りと悲しみと苦しみが同時に押し寄せて来て、両親も自分も今は信じることができません。
ただ、私は子ども時代のすべてが嫌な日々だったわけではなく、楽しかった記憶も存在します。両親は、私を愛してくれていると思いますし、連絡も取っています。
その宗教では、「ローカルルール・家庭内ルール・教団公式ルール」の線引きが曖昧なようで、調査報告にあったあまりにもむごい被害はさほど経験することなく育ちました。だから、過去にされてきたことは過去でしかないと割り切ってしまえば、私は悩むことなく家族とも平和な関係のまま生きられるのだと思います。
でも、どうしても割り切って楽になることができません。胎児の頃から刷り込まれてきた思想と世間一般の常識とのギャップには、子どものころから本当に苦しんできましたし、他の様々な生きづらさにも耐えてきたのに、今回分かった「虐待を受けていた」「今まで信じてきた宗教がやはりおかしかった」という事実に打ちのめされました。
これまで宗教ありきで積み上げてきた「私」という根本的な存在が、ガラガラと音を立てて崩れ去ったような。私がこれまで見てきたもの聞いてきたものが、他人から見れば全く別の様相を呈していたことに気づいて自分の軸が揺らいだような。うまく言語化できませんが、そんな感覚です。
そんな不安定な状況を誰かに話したいとは思うのですが、誰にどう話せばいいのか分かりません。家族に話すつもりはありませんし、定期的に別件で面談しているカウンセラーの方にも、伝えづらいです。
実はある友人に対しては、自分の過去と経験を話すことがあり、彼女も真剣に聞いてはくれるのですが、リアルで直接言葉にしようとするとなんだかうまく話せず、彼女もいまいちピンと来ていない様子です。正直なところ、重すぎる話題を友人に共有することに私自身抵抗があり、また相手に負担をかけてしまうのが本当に申し訳ないです。
だからといって一人で胸にしまい込むこともできず、こうして手紙にした次第です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
最後になりますが、私はその宗教や他の新興宗教、そして信仰心を否定する気持ちはありません。生きづらさを抱える人が信仰によって救われている、そんな信者の姿も見てきたからです。
また、教団に対していろいろと言いたいことはありますが、この手紙の趣旨とは異なるので控えておきます。
名前のない小瓶
194810通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
本当に色々と大変な思いやつらい思いをしたんですね。
言葉に出来ない苦しみや葛藤もあったと思います。
私は宗教というものは嫌いで無いし否定的ではありませんが、本当に複雑な言葉では良い表せない良い面悪い面があると思います。
小瓶主の宗教とは違う宗教ですが、私自身も宗教に入っている家でした。
書き切れないくらい本当に色々な様々な思いや気持ちがあり、言葉に出来ない程です。
良い所や悪い所、良い面や悪い面、嬉しかった事楽しかった事、悲しかった事苦しかった事つらかった事、怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、苦しみ、喜び、楽しさ、嬉しさ、幸せ、思いやり、感謝、思いや感情それぞれ大きかったり小さくても全てがありました。
宗教って結構は人間です。人間が信じて、その信じる人間達によってのものなので、良い意味では救いや幸せや喜びという感情、人の美徳人間の優しさ思いやり人の良さ、悪い面では人の醜さ人の卑しさや欠点、人間の生き物としての欠点や未熟さが露呈する事もあります。信じる人達の人間性と信じる人達の日々の行いが大事になりますが、小規模でも大規模でも規模が大きい程それだけその宗教に関わる人間が増えます。それだけ全く違う別の色々な人達が増えるって事です。年齢性別、性格人間性、容姿や肩書き以外にも全てです。
宗教を信じるからこそ信じているからこその起きる沢山の問題もあります。宗教で信じないからこそ起きる問題もあります。
無宗教の人達からの沢山の問題もあります。
無宗教の心無い人達からその宗教である事でいじめられたり攻撃される事もありました。
宗教に入っていてカルト〜と馬鹿にされたり、カルトと言えと言わされたり、自分達は宗教に入っていないから普段だ頭がおかしくない、あいつらはカルトだから、という考えで優越感を感じていて散々馬鹿にされたり、心ない事ばかりでした。それは子供で無く大人からです。子供時代には同じ子供や同年代からは無かったです。
宗教に入っていると、宗教嫌いや特に入っている宗教が嫌いな人、他の宗教を認めない他宗教の人からの嫌がらせや攻撃対象にされる事もあります。宗教に入っている大変さつらさはこういう所もあります。
小瓶主もこういう経験はあるかもしれませんし、カルトと世間から言われた事にや自分もそう思われているのだとショックを受ける気持ちは良く分かります。
実際に自分でその宗教を知っているので、宗教にありがちな事はあっても、危険なもの扱いされるような本当にやばいと思う事は無かったので、私の場合は子供の頃かなりショックでした。
でも全てを知っているわけではないので、他の知らない色々な面や全てを知ればカルトとか思うようになるかもしれないとは思いますが、世間の話は嘘も多く勝手なイメージを作られて、私の知っている実際とは全然違いました。
それに、宗教に入っている同士でも無宗教同士でも宗教に入っている人と無宗教同士でも関係無く、人って数人でも仲間外れやいじめが起きる事もあります、人数が増える程そういった事も起きます。規模や人数が多いことは何でも大変です。それだけ人間関係が増えるからです。それが良い方へ向かわせられていればとても良いものです。人を救ったり救われたり、助けられたり助けたり。
それによって、人って良いな素晴らしいなと思う事もあれば、人はなんて醜く悲しい生き物なのかと思う事もあると思います。
宗教そのものとそれに関連する人や人間関係がより複雑にしていると思います。でも、宗教関係無く生きていく上で避けて通れない事ですが、宗教に対する思いと同じ知っている宗教の人達に対する気持ちも混ざると言いようがありません。良い意味でも悪い意味でも。全く見ず知らずの他人に意地悪されるのと、知っている宗教の人に意地悪されるのでは私は気持ちが全く違うので余計にそう思います。他人は本当に他人、同じ宗教の人には同じ宗教であるだけですが何というか他人だけど情というか、親しく無くても仲間だというような感覚を持ってしまうというか、だから同じ宗教の人から酷い事をされると尚更怒りだけで無く絶望感と本当に心にくるものがありました。
こうやって書いていてもただ長くなるだけで、何を伝えたいのかどう書いたら良いか私自身も分からないくらいです。
小瓶主が上手く話せないという気持ち本当によく分かります。
本当に言葉に出来ない山程の思いがあるのですが、その思いや出来事は口に出して誰かに話したり説明出来ません。でも、いつか小瓶主にも私にもぽつぽつぽつりぽつりと思いや気持ち思う出来事話したい事を言葉に出来る時が来ると思います。
時間を掛けてゆっくりその時を待つのはどうですか?いつかそんな時が来て話せれば話し話たければ誰かに話そうと。
私は子供の頃、同じ宗教の同年代の子達が良い子達ばかりでその宗教のお姉さんにも良くしてもらいました。可愛がってくれた大人もいました。その宗教で勧められた日本文学を読んで感銘を受け、同じ宗教の人達を仲間だと思い意地悪をしたりして不幸にするような事は絶対にしないと決めていました。
家族も同じ宗教の人達に良くして大切にしていたのを見ていたからでもあります。
私の家族は他人に悪意を向けたりする事をしたりする事は見た事が無いですし宗教関係無く他人には優しいし良い人ですが、特に亡くなった家族達は同じ宗教の人達を誰でも仲間のように思っていましたし、大切にして本当に良くしてきました。小瓶主のように楽しかった思い出も色々あります。嬉しかった思い出も。成人した時、その宗教の昔から知っていても普段顔を合わしたり話す事も無いくらいのおばさんが、私の成人の日にお祝いをくれました。嬉しかったです。その宗教に入っていなければ知らない見ず知らずの他人であろう人達が、優しくしてくれたり思いやってくれるとその人達と宗教の繋がりに感謝を感じました。
逆に、生涯忘れないであろう恨みや憎しみを同じ宗教の人達に感じる出来事もあり、強い恨みや憎しみ怒りの後から、宗教の虚しさ悲しさ、その人達に対する同じ宗教の仲間でありながらと言いようの無い形容出来ない人の醜さを知り悲しみで絶望感や心が抉られました。
熱心な方では決してありませんでしたが、人生と付かず離れず切れず切れたり常にあったものでした。
昔、一回だけ小瓶主の宗教の人からアンケートだと言われ宗教勧誘を受けた事がありました。その人と当初よくニュースになった、親が子供を殺したり子供が親を殺したりそんなニュースを見るとつらいし嫌だなと思い心が痛むという事を話をしたり、そこから色々楽しく話して談笑みたいになり、凄く良い人だからその気が出たら一緒に入って欲しい、入ってくれたら私とその宗教に入っている人達と一緒にご飯を作るから食事したいと言われ、断りさよならしました。しつこくされたり嫌な思いはしませんでした。
アンケートだと言って騙してきた事はどうなのかなと思いますが、話すと良い人だなと思いました。
宗教に入っていると世間のデマもかなり多く事実もありその事を知っているので、小瓶主の宗教のニュースやネットも詳しくは無いですが知ってはいますが、何が何処まで事実か嘘かは分かりませんし、その人の印象があるので小瓶主も良い人なのでは無いかと勝手に思っています。
連日のTVのニュースを見てその人を思い出し今どうしているんだろうとふと心配になり、小瓶主の小瓶を読み、その宗教の人達にも色々な人がいて、良い事嬉しい事楽しい事や助けられ救われる事ばかりで無く、大変な事やつらい事様々な思いをした人達と同じそれ以上の数の複雑な思いがあるのだろうと思いました。宗教とは本当に難しいと感じました。
宗教に入っている人達からは宗教で世間から宗教、宗教に入っている人達からは宗教で世間からは宗教、カルト、宗教に入っている人達からは宗教で世間からはカルト、宗教に入っている人達からは宗教、カルト、世間からは宗教、カルト、宗教に入っている人達と入っていない人達の認識が同じや違かったり、双方かけ離れている事もありますし、どんな宗教だってカルト的な要素はあります。無宗教でも人が集まり集団になればカルト的な要素があります。
全ての人間が、集団や大勢で集まればそこに何かしらのカルト的な要素が出る事はあります。人が人間がそういう要素がある生き物で、全体主義になるからです。そもそもの集まる集団になる目的や理由や何をするかは何であれ何でもそうです。
今その人や小瓶主はどうされているのか分かりませんが、人生は苦労や苦しみと同じくらい、それ以上に幸せや喜びに満ちています。
人として生きる幸せ、人間の醜さ悲しさだけで無い素晴らしさ、それに気づけそう感じられる、これからの人生がこの先にあってくれたらと切に幸せを願います。
これからも様々な気持ちがあり、その度に悩んだり葛藤したり苦しい時もあると思います。でも、ゆっくり人として小瓶主自身として考え思い、自分の選択やその時の気持ちを大切にしてください。
小瓶主が色々な思いをした分だけ人の温かさ優しさを沢山受け取れますように。
本当に自分語りや上手く書けずひたすら長くなりましたが、小瓶主の幸せを願いますが一番言いたい事です。
ななしさん
こんにちは。
辛かったですね‥
私も多分 いや絶対あなたと同じ宗教の宗教2世、そして現役です。
あなたと同じく自分が愛ゆえに叩かれていたと思っていた事が報道によって
虐待だったのだと理解し 悲しい気持ちや怖い気持ちになりました。
ガラガラと音を立てて崩れ去ったような。
まさにまったく同じ気持ちです。
現役で未だ辞めれずにいる私はあなたが羨ましく感じます。
親は盲信していますので話になりません。
大体の人が盲信してますよね‥
あなたが仰る通り
幼い頃から教えられいるので刷り込まれているというか
どこかでほんとは正しい宗教なのかもと思う気持ちがおかしいと感じながら抜けません。
自分自身も洗脳が解けないんだと思います。
カウンセラーの方や彼女さんに話しにくい気持ちも分かります。
この宗教ならではの問題なのできっと分かってもらえないと感じますよね。
宗教2世同士でさえ宗教が違えば分かり合えないのかもしれません。
もうされているかもしれませんがSNSにあなたのような方が沢山いらっしゃいます。
私はそこでこの宗教の後遺症と闘っておられる方や現役で自分と同じ方が沢山いる事を知って少し救われましたよ。
あなたはまともですよ。
ななしさん
同じ傷を負った人でないと、小瓶主さんの辛さや孤独、怒りや怯え、悲しみや虚無感は共感できないと思います。
ブログなどで発信してる元信者さんもいるので、悩みを聞いてくれるかもしれません。
たぶん、子どもの頃からいろいろな思いに蓋をしてきた小瓶主さんは、自分の感情を否定したり、わからなかったりしがちですよね。
これからは、五感を大切に、自分の感情を大切にしてくださいね。
人間として人間らしく。
教団の「教科書通りの愛」ではなく、自らわき上がる「自然の情愛」を大切に。
それを生活の中心にそえたら、すこしは生きやすくなります。
ななしさん
とても苦しんでいるあなたに、どのような言葉をかけていいか分かりません。分からないのにお返事を書いてしまい、申し訳ないです。
ただ、これからのあなたの人生から少しずつでもあなたの苦しみが消えていくよう、心より願っています。
ななしさん
宗教好きの者です。
悔しいです。宗教を隠れ蓑した悪事。
親と宗教に裏切られた気分は、おつらいでしょう。
宗教を隠れ蓑にした、悪事。これに対しては怒ってもいいと思います。
身近な人に寄り添ってもらいたくても、お友達に重たい話は確かにしにくいと思います。
カウンセラーさんに話したくても、今はできないのかもしれません。
また、小瓶を流してください。
小瓶主さんが、信じ願った分だけ痛みなのでしょう。その痛みの分だけ、小瓶主さんの素晴らしさだと思います。けれど、感じさせたくない痛みです。
おそらく、素直さや熱心な魂をお持ちなのでしょう。その魂はどうぞ大切に。
他の宗教を否定しないでくださり、ありがとうございます。
また、小瓶を流してください。
ななしさん
私のような者が貴方にお返事をしていいのだろうかと、とても考えました。何度も読み返し、今も尚悩み苦しんでいらっしゃる事に胸が痛みました。
辛かったですね。そんな言葉すら貴方の気持ちを乱してしまうようで心苦しく思います。
ここからは、あくまで私の勝手な語りだと思って読んで下さったら幸甚です。
私の実家もとある宗教を信仰しておりました。代々続いてきたので、それを不思議に思うことすら無く育ちました。幸い戒律も教えもそこまで厳しいようなものではなかったようで、記憶にはあまり残っていません。ただ、実家を離れ社会に出て、そういう信仰を持った人が少ないことに驚きました。それまでの考えや家での常識が一つずつ崩れたとともに、世の中の広さを感じました。
当たり前だった事を疑うようになるのは、私的には自我と自立の一つだと思います。間違いとかではなく、貴方自身が信仰を外してご自分と宗教を客観視できるようになったからでもあると思います。宗教というのは難しいもので、見えないものを扱う分、人間の信じるという部分が大きく関係してきます。真理、真実など証明できるものがないからこそ、信仰心が必要なのかもしれないと思います。どの宗教にも素晴らしい教えはあると思います。ですが、信仰や教えに縛られすぎても息苦しい気がします。周りを見渡せば、信仰を持たずとも自由に生きている人達がいてうらやましく感じたりしていました。宗教を否定する気持ちはありません。だけど芽生えた違和感は貴方の本心だと思うのです。私も色々悩みましたが、たどり着いた答えは、人の心を持つ者として当たり前のことを大切にしていけばいいのではないかと。挨拶をすること。感謝を伝えること。困っている人がいたら助けること。義理を大事にすること・・。結局、自他の心を大切にしていけば、それ以上の信仰は無くてもいいかなって思いました。素晴らしい教えは残し、宗教や信仰には縛られず。
ご両親も正しいと思って一生懸命信仰してきて、教えから外れてしまうことに恐怖感があったのかもしれません。おそらく虐待という感覚ではなく、教えにのっとって子育てをしてきたのでしょう。ですが
この世に全て正しいものも、全て間違っているものも存在しないと思うので、宗教においても盲信するのではなく、自分の考えは大事になります。この度の騒動でご両親が何を思われたのかは分かりませんが。
貴方はご自分の軸が揺らいだと思っているようですが、私は逆に本当の自分の軸が芽生えてきたのだと思っています。私もそうですが、離れる事で見えてくる本心や違和感に戸惑いつつも確信に変わった感じでした。まだまだ心の辛さや葛藤が渦巻いて苦しいとは思いますが、貴方の本心を大事にして下さい
。何も貴方は間違っていません。貴方はやっと芽生えてきた貴方の本心を大事にして下さい。
小瓶の内容からずれていたら申し訳ありません。私は貴方がとても聡明で冷静に客観視できる方だと思ってますので、そんな素敵なご自分の良さをこれからも大切にしていって下さい。
長々と読んで下さってありがとうございました。
乱文失礼します。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。