人を助けることによって出る幸福物質みたいなものがたしかあったよなあ……と思って調べたら『ホワイトナイト症候群』っていう新しい知識を得てしまった。
それはさておき
幸福物質に関しては『セロトニン』と『オキシトシン』と『ドーパミン』か。
『オキシトシン』が人とのつながりによって生まれる幸福……倖せってやつだな。
今、被災地でみんなで協力して乗り越えようとするあれは、辛い気持ちを幸せによって乗り越えようと……?本能的なものがあったりする?
生物として必要なものを求めにいっている可能性……
だけど行き過ぎてもよくないのが難しいな。
幸福は依存度が高い。ゆえに、バランスを取るために……
うーん(;-ω-).。oஇ
考えるの好きだから考えちゃっているが、べつに「人とのつながりにそういう小難しいこと、理屈とか理由とかいらね」って感じでもある。めんどくさいし。
でもそういうのを研究したりする必要もあって、そういうのを生業にしてる人もいるから、こうして私は彼らが見つけ出したあれこれを使って個人的な考察みたいなものをしているわけだなあ。趣味として。趣味だから、べつに正否を知りたいわけでもなく。他者それぞれの解答……思考を求めているわけでもなく。ほんとに個人的な、戯言みたいなもの。
そもそもなんでこの思考を展開したかというと、宛メを見てたからだよね。
『人を助けている』という幸福感を、宛メだと得られやすい可能性を考えたから。いや、『人を助けられない』という不幸のほうを得てしまう可能性は……?
『人を助けている』というより、助けられはしないけど『人のために』と思って、『人』とのつながりを自分の中に構築しやすい?
悩みを抱えるものに対して「どうにかしてあげたい」などの思いが、『絆』『オキシトシン』に繋がる……とか?
だがしかし、人とのつながりは『ストレス』にも繋がるはずだ。ああでも、ストレスって何も悪いばかりではなくて良いこともあるんだっけ。適度なストレスは必要……だとかなんとか。
私の思考なんて誰が興味あんねん。
こんな頭の中ひけらかしたいだなんて、私は本当に、自分のこと大好きなんだから!困っちゃうわ。
あなたも物好きね。こんなところまで読んで。
それとも飛ばしたのかしら?
どっちでもいいわ。ありがとう。
それじゃあ、さようなら
またお会いしましょう?よければね。
197913通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前の有る小瓶
(小瓶主)
ゆき@全治1年(?)さんへ
小瓶の中身を見て、いつも思考を巡らせてくださり感謝いたします。『考え仲間』みたいな感じで読ませていただいております。
今回気になったのは
『落とし主を追いかけて届ける』
『困ってる人に道案内をする』
『そう教えられたから実践して奢る』
このあたりはけっこう、人によって違いがある話だなあと思いました。
(ぼく基準で)優しい人はこれを『普通』とするんですけど、案外それをしない人もいるよ。という感じの話だなあと。
こういう話を聞くと、ゆきさんみたいな優しい人にだいぶ世界は救われてる。と感じます。
すごい、特大の幸福あげたいな〜なんて思っちゃいます。
いつもお疲れ様です。
本当に、ありがとうございます。
名前の有る小瓶
(小瓶主)
Lerouxさんへ
いいですわね酔狂。素敵な響きですわ。
わたくしが作り出した波に乗っていただき感謝いたします、ルルーさん。
ボクもあれだな、好きなように生きて、それを書いてるだけなのに励まされたとか言われると嬉しいと思うよ。誇らしい気持ちになる。
わたし自身はものすごいクソ野郎なのに。
悪い事で繋がる結束……
集団心理とか集団意識みたいなものだろうか。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」みたいな。
時に幸福物質は恐怖物質を薄れさせる可能性……
そういえば最近『正常性バイアス』と『同調性バイアス』という言葉も新たに入手したけれど、まあここで話すことでもないから置いておこう。
そしてルルーさん。貴方は全然変なことは言っていないですよ。
『小瓶という舞台の上で、独り上映している』なんて、それこそ、この小瓶という舞台の上で自らそう表現したこともあるくらいです。
でも、そうだね。
演じている……というよりはたしかに、すべての自分をもって好きなように舞台上で踊っている、語っているだけ。演技できるほど器用じゃないんだ。恥ずかしさもあるからね。
ぱちぱちぱち……一人きりの拍手をここに。
今宵は素敵なアクトレスにお越しいただきまして光栄でしたわ。
ありがとうございました。
名前の有った小瓶
自分も辛いのに誰かを助けようとしてしまう。
自分も困るのに相手に譲ってしまう。
何故なのでしょうね。
誰かを助けることで自分が上だと無意識にマウントを取っているなら何か嫌だなと感じてしまいます。
自分が困ってるときに助けて欲しいという先行投資だとしたら打算的だなとも思います。
マウントでも打算でも良い、自分がしたいと思って相手がそれで喜んでくれれば良い、と考えた場合は相手が喜んでくれなければ行けない。
要は『ありがた迷惑』になっていないかが気になってしまう。
ここまで書いて
『人との繋がりは面倒だ』
『1人で誰とも関わらない方がよくない?』
ってなりそうなのに、完全にそうはならない。
心のどこかで誰かとの繋がりは求めてしまうから宛メなり何なりで誰かに聞いて欲しいという思いが生まれる。
打算とか理由付けとか考えたら色々あるだろうけど、それでも人助けしてありがとうと言われたら嬉しい。
目の前で財布やスマホを落とした人がいて、それに気付いてなかったら後で困るのは想像できるから拾って追いかけて届ける。
駅で乗り換えに困ってる外国人いたら案内する。
職場で先輩や上司にご飯ご馳走になって『自分が先輩になった時、後輩や新人に今日の分を奢ってやれ』
と教えられて実践する。
今となっては奢られた額より奢った金額。
親切を受けた回数より親切にした回数の方が多く、損をしてるようにも感じますが、それでもありがとうと言われたらやっぱり嬉しくなって、やってよかったなとか思ってしまう。
嫌な相手がいるから心地よい相手を求める。
その逆はないだろうけど、世の中の全員とは仲良くなれないし、なれたとしても『仲の良い人』と『もっと仲の良い人』が生まれるだけな気もする。
人との繋がりって難しいなと思いました。
ルルー
物好きなアタシ。
でも物好きって素敵じゃない?
これをアタシ語では酔狂って言うの。
ここからはアタシの自分勝手な思考。
アタシにもちょっとだけ波に乗らせて欲しい。
幸福に関する化学物質については、ぼんやりとは知っていたけど、そこまで詳しくは無かったなぁ。
人助けの幸福感、助けられることよりも、助けることの方が幸福を感じやすいのかもしれない。
アタシ個人の話で言えば、アタシはそんなに助けられたいとは思わない。アタシが苦しい時に、一緒になって苦しまないで欲しい。見えないフリをして放っておいて欲しい。
でも、アタシがただ頑張っているだけで「ルルーの姿を見ていたら頑張らなきゃって思った。ありがとう」って言われた時は、何もしていない癖に嬉しいの。
勝手に助けた気になって、勝手に助けられた気になって、心の中に繋がりを描く。
「繋がり」と呼ぶ割には、独り善がりなのかも。
でも、人助けでの繋がりだけじゃなくて、悪い事で繋がる結束が有るのも知ってる。
共通の悪口を言い合ったり、同じ敵を前にしたり。これもある意味では人の繋がりで、幸福感が在るのかもしれない。
そういう負の輪が連鎖して、炎上に繋がるのかもなってね。
かく言うアタシも思考が趣味。でも、答え合わせは要らないかも。
だって、全部アタシの頭の中で完結しているから。他人の思考をこうやって覗くのは楽しいけど。
変なこと言うけど、有さんってアクターみたいだなって思ったんだ。
小瓶という舞台の上で、独り上映しているの。一人称が時々変わるのも、そうやって役を変えているのかなって。
ああでも、アクターはやっぱり違うかな。演じているっていうよりは、ただ好きなように表現しているように見えるから。
多分アタシが舞台と呼ぶ物が、有さんにとっての脳内シミュレーションなのかな?
色々考えたけど、アタシは本人じゃないから分からないや。当然だけど。
今宵もアタシは閑古鳥の鳴く舞台で独り上映。自分勝手なアクトレスとして小瓶にお返事を詰め込む。
それじゃあ、さようなら。
またお会いしましょ。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。