当事者が発達障害について思うこと
このメールで述べるのは私見かつ愚痴です。
論文じゃなくて日頃の鬱憤を爆発させてるだけなので正確性にも欠ける点があるかと思われます。
ぶちまけたいだけなのでこのメールを見ているあなたが以下の文章を読もうが読むまいがどっちでもいいです。
ただ書いて、それを誰かが閲覧できる場所に置いておきたいだけなので。
恐らく既に誰もが言っていることの焼き直しになるでしょうが、私が私の言葉で書きたいので書きます。
①発達障害者は天才でもなければ才能持ちでもない
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクは発達障害者であることを公表している。時代を遡ればレオナルド・ダ・ヴィンチだとかミケランジェロも発達障害だったと言われている。
後ろの二人はとっくに死んでいるから検証できないが前二人は診断を受けて公表しているし、さまざまな功績を残している。マスクのほうは最近のX関連でいろいろ言われていても実績のある有能な金持ちなのは間違いない。
他にも発達障害を公表している有名人、あるいはそうだったのでは? と言われている歴史上の偉人はたくさんいる。
ここから「発達障害=天才、才能がある」の式を導き出して得意げに説法をし始める人々がいるが、当事者として言いたい。
マジで全然天才じゃないです。いい加減わかってくれ。
考えてもみてほしい。確かにジョブズやマスクやダヴィンチやミケランジェロは発達障害だったかもしれないが、では例えば大谷翔平はどうだ? マッツ・ミケルセンは? ボッティチェリやベルニーニやチャイコフスキーは?
発達障害者にも天才はいる。が、実際には健常者の天才もたくさんいる。単に発達障害をもっていたと考えられる有名人が最近話に挙げられるから目立っているだけなのだ。
視覚障害を抱える音楽家が何人かいたとして、彼らの存在を根拠に「視覚障害者には音楽の才能がある」と断言できるだろうか。ベートーベンが難聴だったのを理由にすべての難聴者が作曲家の才能を持つと言えるのか?
当たり前だが言えない。才能の有無は障害に依らない。発達障害者はイコールで天才ではないし、優れた才能を持つ人物でもない。健常者だろうと障害者だろうと天才は天才だってだけなんです。
②発達障害は個性ではない
これに関しては個性扱いされたがる当事者もいるので、されたくない側からの意見を述べる。
一般的に個性といえば何を思い浮かべるだろうか。たとえば「犬が好き」「赤色が好き」というようなものが個性として挙げられると思う。他にもいろいろあると思うが、ここではこれらを個性の代表例とする。
では障害といえば何を思い浮かべるか。発達障害、聴覚障害、視覚、知的、身体。いろいろあるが、そのどれもに共通しているのは「助けが必要だ」ということだ。
もっとやわらかくして視力の低下を一例に挙げてみる。視力が2から0.5に下がったとして、多くの人々はメガネさえかければ何とかなる!と思うはずだし、実際メガネをかけたりコンタクトを装着したりすれば何とかなる。
メガネやコンタクトがなかったら? 何ともならない。目を凝らしてもあらゆるものがぼやけたままの世界で生きていくしかない。友達が「あの雲アイスクリームに見える!」と言っても全然見えないし、目の前を通っていった動物が犬か猫かもわからない。そういう暮らしを強要される。
発達障害のみならず障害は個性だと言われがちだ。では、目が悪い人間は個性的だろうか。目が悪いということは個性になり得るだろうか。「あなたの個性は何ですか」と聞かれて「目が悪いことです」と答えるのは適切か?
人によって考えが変わるかもしれない。しかし私にとってこの問答は適切ではない。
同様に、「あなたの個性は何ですか」と聞かれて「発達障害者であることです」と答えるのも適切とは思わない。
発達障害者は日常生活において多くの困り事を抱えている。たとえば私はADHDであるがゆえに時間通りに物事を行えない。何時に起きて何時に着替えて何時に家を出る、ということができない。目の前に置いてあるものに気づくこともできず、何かを持っていることを忘れて手を離して物を落とすこともある。
ASDも抱えているため、たとえばセーターを着るとパニックを起こすし、シャンプーがいつもの位置にないとやはりパニックを起こす。寝る前には所定の仕草をしないと眠ることができない。他人に興味を持つことができず、表情を変えることすらなかなか難しい。
加えてASDとADHDのどちらのせいかは知らないが、自分の体の幅がよくわからないせいでどこかに体を死ぬほどぶつける。痛覚が鈍いために知らないうちに切り傷や痣ができているのもよくある話だ。
私がおっちょこちょいなうっかりさんだからそうなっているわけではない。脳がそういうふうになっている。脳が私の痛覚を鈍らせ、時間感覚を麻痺させ、パニックを起こさせている。
発達障害も人それぞれではあるが、これと同じような症状に悩まされているから発達障害者は病院に通い、周囲の人々に配慮を求めているわけだ。
犬が好きな人は犬が好きだからといって周囲に配慮されなければならないのか。
赤色が好きな人は周囲に対して「私は赤色が好きなので、あなたたちも私の前ではなるべく赤い服を着てください!」と言うだろうか。
犬が好きで赤色が好きな人間は、それによって生きていくのが難しくなっているのか?
なっていない。別に犬が好きでも猫が好きでも、赤色が好きでも青色が好きでも勉強したり働いたりするにあたって問題は起きない。
発達障害は、生きるにあたって問題が起きる。というか問題しか起きない。視力の悪い人間にとってのメガネが発達障害者にとっての周囲からの配慮だ。それなしでは何もできない。
発達障害は配慮の不要な「個性」ではない。配慮が必要な「障害」なのだ。
何も一から百まで理解して寄り添ってくれとは言わないから、発達障害があってこういうことが苦手なんですと言う人間にできないことを強要しないでほしい。それはメガネをかけている人間からメガネを奪うのとほとんど同じことだ。
とはいえ本人が発達障害を気にしておらず「私のこれは個性だから!」と言ってるなら話は別です。そういう人に対しては個性扱いしたらいいと思います。「発達障害って個性なんでしょ」みたいな発言を当事者全員に対して無差別にしないでほしいという話を今しました。
③発達障害は甘えではない
これは②で言ったのとほとんど同じことだが、若干違うので項目を分けた。
発達障害は甘えだと言って憚らないとんでもない人間は定期的に出てくる。しかし実際にはそうではなく、発達障害はれっきとした障害だ。
原因ははっきりしていない。「これが原因で障害が起きてます!」とは誰も言えない。脳内伝達物質が影響しているらしいが今のところは研究中らしい。早く進んでほしいですね。
だが、そんな状態でもはっきり分かることがひとつある。発達障害は先天的な脳機能の異常である、ということだ。
これは文字通り生まれつき脳に異常があるという意味で、それ以上でも以下でもない。普通の人間が人に興味を持ったり時間通りに行動したりするときに使う脳の一部分が、発達障害者の場合はうまく機能していない。生まれつき足のない人間が歩いたり走ったりできないのと同じように、私たち発達障害者は時間通りの行動や臨機応変に振る舞うことができない。
自分の周りに霊能力者しかいない、という状況を想像してみてほしい。
まわりのみんなはどこにどんな幽霊がいるか見えていて、平然と「あの幽霊はそろそろ成仏しそうだね」などと会話している。しかしあなたには幽霊が見えないので話を聞いて「そうなんだ…」と思うことしかできない。
なのにみんなはあなたが幽霊を見える人間だと思って平気で話を振ってくるし、見えないと言えば「甘えてるから見えないんでしょ」「見ようとしてないからだよ」「頑張れば誰にだって見える!」と言ってくる。
彼らは霊感を鍛える方法をたくさん紹介してくれるかもしれない。しかし「幽霊が見えるようになるおまじない」を試して実際に見えるようになった人間がどれくらいいるのか、調べなくても想像はつくだろう。
発達障害者はこんな感じの環境に置かれがちだ。脳という見えない部位に異常が発生しているから理解してもらいにくい。それどころか健常者と同じことを要求されまくる。
あなたに幽霊が見えないように、私にも忘れ物をなくすことができない。あなたが狼男に変身できないように、私にもこだわりを無視することができない。
そういうふうに生まれたのだから、自分ではどうしようもできないことなのだ。
④発達障害は誰のせいでもない
発達障害ってさァ!こういうとこがつらくってさァ!的な話をしていると、「でもお前が発達障害なのって俺らのせいじゃないじゃん」と言われることがしばしばある。
私は別に誰かのせいにしたくて発達障害のしんどいところ百選を言っているわけではない。私はあなたのせいで発達障害者に生まれたわけではないし、私の場合は両親とも健常者なので親から障害が遺伝したわけでもない。当然私が胎児だった頃に何かして発達障害者になったわけでもないので私のせいでもない。
強いて言うなら障害のせいだ。これを言うと努力不足を棚上げしているとも言われるが、していない。
例えを再び持ち出そう。足のない人間が目の前にいたとして、「歩けないのを障害のせいにしてるんじゃない?」と言えるだろうか。目の見えない人間に向かって「見えないのは努力してないからでしょ?」と言えるのか。よっぽどヤバい人間でないと言わないと思う。
同様に、発達障害者も努力とかそういうレベルではない。薬を飲んでどうにかしなければならない次元の話なのだ。なのにADHDはコンサータやストラテラといった薬があるのに対してASDは何もないので自力でどうにかしなければならない。ASD民、頑張ろうな。
あるいは遺伝子のせいとも言えるかもしれない。とにかく、私や他の発達障害者は基本的に誰かのせいで障害者に生まれたわけではないということを覚えておいてほしい。
発達障害は遺伝するらしいので、親に遺伝させられた当事者たちは親のせいにしてもいいと思う。それは被害妄想ではなくひとつの真実だ。実際に親のせいにするかどうかはさておいて、そうする権利はある。
⑤発達障害は罵っていいものではない
これはもうそのままだ。からかったりしないでほしい。道徳心や倫理観を持って行動してほしい。間違ってもガイだのガイジだのと呼ぶのはやめてほしい。
これは障害者だからとか健常者だからとかでなく人間性の問題だ。差別、やめよう。
ここまで書いて現在時刻は早朝5時、今は冬だから夜明けはもう少し先だが夏なら空も明るくなってくる頃合いだろう。
もうかなり眠いので最後にいろいろ書いて筆を置くことにする。
「発達障害を前向きに受け入れろ」と言われた経験は、当事者なら少なからずあるのではないかと思う。あるいは同様の言説を目にしたこともあるだろう。当事者でもない健常者に勝手に天才扱いされては失望されたり、障害を持って生まれたのは自己責任だと言われたり。
私は「障害者として生きることにこれ以上堪えられない、早く終わりにしてほしい」と思っている勢なので、キラキラしてるハッピ〜な言説を見ると自分の苦しみを否定されているように感じてすごく嫌な気持ちになる。
前向きに生きてる障害者は素晴らしいが、こっちにまで前向きを押しつけないでほしい。陰キャと陽キャの違いは健常者にだってあるでしょうが。石の下のダンゴムシを天日干ししようとするんじゃないよ。ひからびるだけですよ。
発達障害者はひとつの団体ではなく、意思や言葉もひとつに纏まってはいない。健常者が一枚岩ではないように、私たちにも各々考えがある。そのうえで勝手に代表者面をして言わせてもらいたい。
発達障害ってそんな手放しに前向きになれるようなもんじゃねえから!
生きるのに支障があるから発達障害なんだよ!
健常者として生まれ直せるならそうしたい!!
好きで障害者やってるんじゃねえんだわ!!!
はい。書いたので寝ます。おやすみなさい。
追伸:この文章はあくまで私見かつ愚痴であり、かくあるべし的な話はあまりしていないつもりです。また、健常者を責めるものでもありません。
追伸2:この手紙を読んで「文章が下手だな〜」と思いましたか?
話始めと話終わりで言いたいことが全然違うことになってるのも発達障害の症状のひとつなんだそうです。恐らく書いているときにADHD特有の全自動脳内連想ゲームが展開され、話がかっ飛んでいくものだと思われます。
まともに文章も書けない人生、つらいですね。
名前のない小瓶
199715通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
愚痴、と言うか真理ですね。過去の偉人に限らず、TVとかでも所謂「成功してる発達障碍者」の事を取り上げますが、あんなのは極少数。それ見て「お前たちもそうだ、頑張れば上手く行くんだ、そうなれないのはやる気と努力の問題だ」それで片づけてしまう。自分30代男性ですが、自民党政権真っただ中な事と言い、ホントに生まれちゃいけない時代に生まれてしまったもんだ・・・
名前のない小瓶
言いたいことを沢山言ってくれてありがとうございました。
お陰様でなんだかスッキリしました。
このような解釈が健常者の方々にも広まって欲しいなと思うばかりです。
ななしさん
言いたいこと、たくさん書いてもらえてなんだか心が落ち着きました
発達障害であれ、健常者であれ。他の病気、障害であれとも。みんなが生きやすくなったらいいな
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。