〜けっこう前に書いたやつ〜
ヽヽ(・∀・ )=( ・∀・)ノノ
弱い立場の人間は発言権がない。
みたいな考え方ってどっから来てるものだろう?
歴史?
感情論?
思い込み?
子供だから大人に物言えないとか
部下だから上司に物言えないとか
頑張ってないから頑張っている人に物言えないとか……
相手の立場になって考えに考え抜いてからじゃないと発言が許されない。考えるだけじゃなくて同じ経験や痛みなどを持ってないと発言が許されない。
ぼくから言葉を奪わないでよ!!
って、わたし自身にぼくが言ってる。
でももう、「自分がそうしたいからそうしてるんだ」と。晴れやかに納得するくらいには構築ができている。
「言いたいことを押し殺してる」という感覚がないくらい、「嘘の、綺麗事を言っている」という感覚がないくらい、「仮面を被っている」という感覚がないくらい……ボクはそこに、何かを抑えつけて息苦しいというそんなことは、ほぼないようにも思う。
できる範囲でやりたいことを選択すれば、常にそれは己が『したいこと』である。できない範囲まで選択肢に入れて、それができないから仕方なくこっちを選んだという考え方じゃ苦しいから……なんて書いてみたものの、思考段階と実践には差がある。
イメトレ通りに現実は進まない。
練習と本番は違う。現在と未来は違うし、現在と過去も違う。
たとえば
どんな意見であろうと国民の意見を聞いたほうが、良い国にできるんじゃないだろうか。
と思っていざ聞いてみたら煩くて煩くてもう最悪……みたいな。
良かれと思ってしてみても、蓋を開けてみたら理想とはほど遠いなあ。 ということ往々にしてあり。
それでも何かは得られたか。
後悔する人間は、何したって後悔するし。
自分が選択していること(あるいは選択なんてなくてそうするべきだと思ってること)で、苦しみを得る人は得てしまうし、得ない人は得ないよ。
それをどうにかできるのかとかそんなもの知らん。
自分の望み通りに自分(他人)を変えられて、ほとんどの人間が個性のない完璧人間な世界は面白いのか否か。
【人】のほうではなくて【車】のほうを変えて交通事故をなくそうとするのが人だ。
人を尊び、人を見限る。人のために。自分のために。
今日もいいかげんなことを書いてる気がするのはなぜだろう?
わたしにとって、どうでもいいことだから?
だけど
どうでもいいことから生きるヒントを得られるかもしれないし。
こっちじゃない。
こっちでもない。
生と死の狭間にある出口の見えない迷路を今日も歩く。
(壊せる壁で、壁壊す力があるのに、今日も壊さない。壊せない……)
209903通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前の有る小瓶
(小瓶主)
名前の有った小瓶さんへ
此度もお考えをいただき、誠にありがとうございます。
ちょうど最近読んだ本に、歴史的にこういう社会性で〜 群れで生きてきた流れで〜 的な内容を用いて人間の本質をそういうところから紐解いてるものを読んだのもあり、「ふむふむなるほど」「ああやっぱそういうもんなんだろうな」という感想や思考を抱きます。
まあだからといって、歴史(社会)的にそうだから本質(本能)的に生き延びるためにそうだからといって、そのとおりにはならずにわーわー言うのもまた人っすよねー……なんて。これは話が脱線してるか。
今回は弱い立場のほうを考えたけど、『群れ社会』の強者で考えるとそちらはそちらで言えないことがたくさんあるんだろうなあ……
『その立場ならその立場なりの立ち回り方がある』って感じ?
上手く生きたいなあ。
お返事ありがとうございました。
名前の有る小瓶
(小瓶主)
ごろーさんへ
こんにちは。
お考え書いていただきありがとうございます。
同じような立場だと言い方によっては意見可能か……さて、相手が己と対等にいると思ってくれているか否か。
こちらはこちらで難しい問題ですね。(例によって難しくしているのは私自身ですが)
おお!歴史的観点から考えてくださって感激です!勉強になります!
「戦争反対」で捕まる時代かあ……
歴史の流れ、社会、国の流れ、仕組み……
『弱者の行動が国家の決定事項を翻した』
すごいな。って思うけど、上が動く理由が感情ではなく計算のうえの利己的なところ。って考えるほうがなんだか安心するのはどうしてか。
強者側の行動理念が『感情』や『心』より、弱者側の行動理念が『感情』や『心』のほうが「っぽい」し「落ち着く」
強者側が感情で動くのは厄介… 怖い… そんな思考があるからか。
お返事最後まで読ませていただいて、最終『強かな弱者』なんて言葉が思い浮かびましたね。
お返事ありがとうございました。
名前の有った小瓶
人間は群れ社会だからだと思います。
群の存続ためにマンモスを狩って食料を調達できる力のあるものに対して、狩りにも出られない弱い子供や老人がマンモスじゃなくて川や海の近くに移動して魚を獲ろうなんて言っても、狩りに出る実働部隊の賛同を得られるかは難しいでしょう。
食料の割当てを増やしてくれなんてのも言えません。
実働部隊の割当てを減らして狩りの効率が落ちたりしたら群の存続が出来ないから。
現実だと金を稼ぐ能力だったり、生活を豊かにする能力、他の人間から日本という群を守る軍事力や交渉能力だったりを有する人が必要だと思います。
発言力や権力は能力や貢献度に比例しなくてはいけないはず。
ごろー
こんにちは、ゆうさん
私の考えです。
弱者が発言できない。
同じような立場の人場合。
> 頑張ってないから頑張っている人に物言えないとか……
自分の事は棚に置くけど、
◯◯したほうがよいと思うという言い方はあるのかなと思います
私の思う歴史感において、
歴史的なことで考えます。
> 相手の立場になって考えに
> 考え抜いてからじゃないと
> 発言が許されない
おそらく、戦後だと思います。
日本では赤狩りという言葉がありました。
赤狩り、共産主義的な人は捕まえるというものです。
戦前の日本では、戦争反対という公開の場で言えば、
捕まえる対象になりました。
国家が作ったルール(方針)に
背く発言をすると捕まえられる
状態です。
強者は弱者に対して、
ルール・罰を決めることが出来るのです
弱者の行動が国家の決定事項を
翻させたので、思いつくのは
これぐらいです。
アメリカの反戦運動により、
アメリカのベトナム戦争から
手を引きました。
これだって、反戦運動が大きくなれば、
大統領戦に影響が出てくるからというのが、
本音だと思います。
相手の欲しいものを渡せる
(賄賂やアメリカのロビー活動。
アメリカでは大統領戦も
寄付金をいくら集められるかが、選挙戦のキー要素になります)
相手より強い権力があると
その下の権力者を支配下におけます。
(国家がいい例ですし、
赤狩りはアメリカの意向が強いと私は思ってます)
では、現在で弱者の声が
日本でも届くようになるには。
アメリカや西ヨーロッパで
認められた立場の人達は
日本でも認められ易いと
私は思います。
弱者が強者に取り入り、
どんどん相手の組織に侵食することで
相手の組織ないの強者になるという方法です。
あとは一段上の強者の匙加減だと思います。
弱者の声を取り入れるか
強者が弱者を庇護下におけるか(助けてくれるか・復讐させないようにできるか)
弱者が強者を信じられるか
クラスの生徒同士なら、
教員でしょう。
上司部下なら、上司より立場の人になると思います。。
あとは。。
ほかの部分において、
強さを持つ人たちの強行でしょうか?
民主主義の国でも軍のクーデターには対応する術はないと思います。。
弱者が声をあげられない理由は
こういう感じだと思います。
弱者が大量に集まるか、
弱者が強者を説得して、
どんどん組織内に食い込むしかないと私は思ってます。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。