悲しみ、苦しみは人生の花だ、とはよく言うが、一体その花が、全体から見てどの程度のものなのか、私には見当がつかない。私にも確かにそれなりの苦悩はあった。しかし、考えようによれば喜劇とも悲劇ともつかない人生を送ってきたように思う。もちろん、人生とは必ずしも二元論では考えられないが、どうも私は、二元論が好きである。
で、その人生の花を誇張して見せることを、被害者面と言うらしい。それは各々の不安によって、時に無意識に行われる。被害者面をする本当の理由は、同情を得る為ではなく、人間としての見栄を張る為だ。
大抵の人間は、その弱さゆえに被害者面を都合の良いように行使する。人はもとより何らかの被害者であるが、被害者面というのは、その事実とは全く関係のない自己防衛の手段である。
しかし、我々の想像に及ばないほどの苦難を受けた者は、大抵、被害者面などという防衛手段を行使することはない。彼らの苦難は、被害者面などの仮初めの見栄とは比べものにならないものだ。それは時に我々に対する矛であり盾であり、同時に何か無視する事のできない不思議な力を持っている。私自身、日々その力に戸惑いを感じているが、場合によっては、私も確かに“彼ら”の一員であるに違いない。
よって、我々は常に、矛を突き付けられながら矛を突き付け、盾を突き立てられながら盾を突き立てている。それは、誰も望んでいないながらにして誰も避けられないことだ。被害者面というのは、この矛と盾を無理に創造し、自分を相手と同等の位置に置くための努力に過ぎない。しかし、結局、自分の持つ花はそれ以上でもそれ以下でもなく、常にそれとしてただ存在しているだけである。程度の差というのは、もとより存在せずにはいられない代物で、それによって生きにくさを感じでいるならば、より多くの花を持つ他はない。しかし私は断言する、いくら多くの花を持ってしても、それはただ、悩みの種が少し変わっただけで、元来人間は、生きにくさから逃れることはできないのだ。それが、人生の醍醐味であり、被害者面などはその醍醐味とは真逆にあるただの虚栄である。
子夏
名前のない小瓶
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ななしさん
難しく書かれているようですが、周りの誰もが被害者と認めるような人ならば、
本人が被害者意識を持つのはごく自然な事だと思いますが。
我々の想像に及ばないほどの苦難を受けた者は、大抵、被害者面などという防衛手段を行使することはないとは、正直全く思いません。
何故なら、想像に及ばないほどの苦難かどうかは客観的に他人が数値化できるものでもなく、本人にしか分からない事が多分にあると思うからです。
ななしさん
五、六行で簡潔にまとめて頂けると、
年齢を問わず理解しやすいのではないかと思いました。
貴方の見解が多くの方に伝わったならば、宛名を利用している中学生や高校生の心理に何らかの良い影響がでてくるのではと期待しております。
ななしさん
内容が難しいですね
深い話は好きなので参考になりました
ななしさん
せっかくいい事を書かれていると思ったので、少し要約してみました。
間違ってたらごめんなさい。
悲しみや苦しみは人生の花だという言葉があるが、その花を誇張する事を被害者面と言うそうだ。それは同情ではなく、自分の見栄の為に不安感から、時に無意識に行われる。大抵人はその弱さゆえ、被害者面を自己に都合よく演じるが、事実とは異なるただの防衛手段である。
しかし私たちの想像を絶する苦難の受難者は、大抵そのような事はしない。なぜなら彼らの苦難は、被害者面のような見栄に固執する人のそれとは比較にならないからだ。彼らの苦難は、時に矛や盾のように態度として互いに向けられ、非常に不思議な力を持っている。それは誰も望まない事だが、誰も避けられない。私自身そんな時があるかもしれない。
被害者面というのは、この矛と盾を誇張し、他者との間を対等にする努力に過ぎない。しかし苦しみである花というのは、事実それ以上でも以下でもない。生きにくさを感じてる人が、多くの花を持った(苦難を経験した)所でそれから逃れる事はできないが、多くの花を持つ事は人生の醍醐味であり、被害者面というのはそれとはかけ離れた、ただの見栄に過ぎない。
ななしさん
いい話だけど、宛メでターゲットを絞り込んだ文章を書くのはちょっと残念だなと思うよ。
強引と思っても、コンパクトにまとめてエッセンスを伝えてみては?
実は僕にも抽象な感じにしか捉えられなかったもので……(*TーT)b
ななしさん
みんなそれぞれに事情を抱えて生きてんだから
自己憐憫と嫉妬に誰も付き合ってくれない位で
誰かに当り散らしたり世間に文句言うのもなあ
それよりこの先どうしたら今より良くなるか考えたらどう?
ななしさん
嫌いじゃないよこういうの
ななしさん
多くの苦悩や煩悩を抱えたりしいられた人間の方が、多くを学び豊かになれる。
人に被害を与えたひとよりもたくましくて理知的になる。
それが結果花になるだけ。
苦難や煩悩自体を花と定義している訳では無い。
ななしさん
人より多くの苦悩や煩悩を背負ったり感じたり強いられたりした人の方が多くを学んで豊かになれる。
人の揺れ動く心理も理解できたり感じるようになる。
人として深みをもった味も出る。
それは、芸術的な表現にも力になる。
そうして結果として花になる。
苦難や煩悩自体が花と定義してる訳では無いと思う。
ななしさん
6月5日 20時配信分の方へ
要約してみました者です。
なるほど、言われてみればその通りかもしれませんね。
ご指摘頂いてありがとうございます!
いや~奥が深い(汗)
私の要約スキルでは5~6行にまでとても縮められないので、
どなたか中高生にもわかりやすくまとめて頂けるとうれしいです?
ななしさん
>その人生の花を誇張して見せることを、被害者面と言うらしい。
ここでの花は、やっぱり苦しみって意味にも思えるな…
うーん…まるで高校の現代文みたいだ。わからんw
ななしさん
2013年6月4日 13時に反映された者です。
2013年6月5日 20時の二つの要約コメントは、私ではありません。
小瓶主の素敵な文章を、更に推敲し、多くの子に魅せる事が出来るのも、その権利があるのも小瓶主のみです。
ななしさん
推敲して、多くの子に魅せてくれると私も嬉しいのですが…
子夏さんのお返事に期待したいです。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
お返事ありがとうございます。小瓶主の子夏です。
たしかに、苦悩がそのまま花となるわけではないと思います。
しかし結果として、花の種は苦悩だというのなら、その定義の違いには大差は無いかと思います。
失礼しました。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。