最近、多様性って、よく聞くよね。私は、多様性が苦手です。
こんな事を考えてしまうのは、思ってしまうのは、自分が素直じゃないからなのかも知れないのですけど。
「多様性だから、しょうがない。」
「多様性だから、受け入れなきゃ、いけない。」
これに、腹がたつんです。
だから、なんですか?多様性だから、何なのでしょうか。多様性だからといって、個人個人の思いを全て受け入れる。それって、わがままを聞いているだけじゃないですか?
特に、女子だけど制服のスカート履きたくない、っていうのが理解できません。いや、はきたくないのは別にいいと思うんです。でも、だから自分だけ変えてもらうというのは違いませんか?だって、制服なんです。私服、じゃないんです。制服を着たくない人なんて、いっぱいいます。だって、めんどくさいですもん。その気持ちと、スカートを履きたくないって気持ちは、どう違うんですか?スカートを履きたくない、という気持ちだけ多様性だと受け入れるのは、それを普通じゃないと認識しているからじゃありませんか?多様性、という言葉自体が多様性ではないのではないですか?多様性を使わずに、いしきしずに。誰もが誰のことも否定しない世の中。それこそが、本当の多様性な社会だと思います。
213639通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
多様性とは、人種・性別・宗教・年齢・障害・価値観など異なる人たちが、共存しながら、それぞれが尊重されるということだそうです。
「いろんな人が存在してよい。誰でも意見を言ってよい。もし意見が異なっていれば、話し合いをしましょう。」というのが、本来の多様性の考え方だろうと思います。
一人一人が意見を言えることこそ、大事なことです。
でも、どんな意見もすべて受け入れる必要なんて、ありません。
「私は、あなたと違う意見をもっている。だから、話し合って、よい解決策をいっしょに考えましょう。」で、よいのです。
ななしさん
少し分かります。多様性という言葉を振りかざせば何でも受け入れてもらえて当然、のような世の中ですよね。
真に多様な社会ならばそれを理解しない多様性だってあって良いはずなのに、そちらには言及しない。少数派の権利を守ることと多数派を迫害することをたまに履き違えているような気もします。
個人的には、何でも他者にお伺いを立てるからそういう奇妙な多様性が加速しているのではないかなと思います。好きにしたいなら最初から誰にも聞かずに好きにすれば良いのに、周囲を大々的に巻き込んでルールとして確立させている事例が多いような。そしてそのルールが社会全体に広がってしまって公的に異論が認められなくなっているのかな、と。
そして別に内面化もされていないですよね、この多様性という考え方。言えば炎上する、反感を買うということになっているから大抵の人は言わないだけで、実際どんな多様性でも受け入れられる人はそんなにいない気がします。裸の王様という童話がありますが、王様を多様性の実践者に置き換えると、現代でも無邪気な誰かがおかしさを口に出したら一斉に笑い出す状況は変わっていないのではないかと時折感じます。
例えるなら何のためにあるのか分からない校則に対して、決まりだから表立って破りはしないけれども裏で皆こっそり文句を言っていて、さらにバレなければ別に破っても良いや、というような空気感です。
ただ制服のスカートを履きたくない、という例に限って言えば、制服が面倒だからというのとは違う場合もあるかもしれないと私は思います。
自分が通っていた学校では途中から誰でも制服が選べるようになり私自身スカートをやめたのですが、知らない人に妙な絡まれ方(顔が見えない角度で傘を差して立っていたのに足元のスカートだけ見て不愉快な発言をされたりだとか)をされる機会が格段に減ったんですよ。男性相手では力が劣るから誤った対応をして何かされたらどうしようという恐怖があったので、それと面倒を同等に捉えられるのは若干違和感があります。
あくまでこれは私の考え方なので、れいにゃむさんがこれを読んでどう思うかはもちろん自由です。
多様性という言葉を使わずに全員が自由でいられる世界が真に多様性だというのは本当にその通りだと思います。
様々な背景やそれに伴う考え方があるということを知った上で、受け入れを強制されることなく共存できるようになりたいですね。
長文失礼しました。
ななしさん
多様性って言葉は、その物事や場合によっては好きじゃないです。
皆違って皆良いというのはそうですが、
自由という言葉も都合良く使われる事があるように、自由と無秩序無責任は違いますが、多様性も随分都合良く使われる言葉だなと思う時もあります。
いつの時代も色々な事がありますね。
名前の有った小瓶
共感します。
「多様性」という言葉が一人歩きしてるというか、免罪符のように使われているような違和感を覚えます。
同様に男女平等という言葉も嫌いです。
性差がある以上、完全に同じには出来ないと私は考えます。
専業主婦を望む女性と専業主夫を望む男性とでは実現の難易度は別だとも思いますし。
職業が同じで、男性が家事、女性が仕事で収入を得る場合、女性が妊娠したらその間の収入はどうするの?となります。
男性が働いた方が理にかなってると思いますし、私は男性なので結婚するとしたら収入面では自分の方が多く負担するから、家事の比率は女性にやってもらいたいと考えます。
制服に関してはそもそもなんで男女に分かれてるんでしょうね。
今までは特に気にしたことなかったですが…。
冬でもスカート強制だと寒いだろうし、選べる方が良いかなと思います。
あと、私は男性なので仮に「男女平等だから男も女も制服はスカートにします」なんて言われたら嫌ですね。
男性でもスカートを履く国や文化もあるらしいからそこは別に否定しないけど、押し付けられたら嫌です。
どこまでが多様性なんでしょうね…。
ななしさん
確かに、何でもかんでも多様性すぎは良くないですよね。
多様性だから、
何でもやっていい訳では無いし、
受け入れすぎも良くない。
制服は最近、色々と変わって女子でもズボンが可能なところが増えてきてますよね。
私的にはズボンを履くのが禁止の学校で、
1人だけ特別はズルいですが、
皆可能にするのはズルじゃないかと思います。
でも、別にスカートを履いてもいいけど、
ズボンの方が楽というのもありますよね。
私はそれもありだと思います。
スカートって動きにくいし、
暑いし、座った時にクシャってなるし、
だったら、ズボンの方が良くないですか?
皆のルール、昔からスカート、だから、ダメじゃなくて、
皆何履いてもいい、制服なら。
それでいいと思います。
男子も女子もスカートズボンが選べるのがいいと思います。
これは欲張りでも、我儘でもなんでもない、
過ごしやすくするためにやることです。
これならいいと思うのですが、、
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。