大人になれば感情のコントロールくらい…なんて言葉をどこかで聞いたことがある気がする
ここでのコントロールは一般的に「制御」という意味であって「操作」や「支配」ではない。
曖昧すぎて嫌いな言葉の一つである。
受動的なものである感情を支配、操作することはできない。
能動的に感情だけを発生させることはできないからだ。
怖いという感情は怖い要素がなければなり得ない、
誰かのの感情を出すには、目的の感情を出すためのアクションを起こさないと行けない。
つまり
感情が人を動かしているに他ならないのである。
そして、感情は人を支配することができる。だから「制御」する必要がある。
感情一つで人は、怪物にも天使にでもなれる。
そもそも
心はどこにあるのだろうか。
脳みそを切り開いたとしてもそこに心はないし
胸を切り開いてもそこにあるのは心ではなく心臓だ。
知識や感情、意志といった目に見えないものは別の次元の何かなのかもしれない。
自分のことは自分が一番理解している
という言葉があるが、
これは他人に比べてなだけであって
決して自分のことを理解できているわけではない。理解しているつもりなだけだ。
なぜそう言えるか。
目に見えず実態の無いものは感覚的にしか理解できない。そして見えてるものは基本的に誰でも理解できる可能性を秘めている。
現にモノの存在証明は視覚や触覚などの感覚器官で認識する事で、ここにあると一応は言えるのである。
感情が持つ力は我々が想像するよりもはるかに強いものだと私は思う。
なので今あなたが1つの感情で動いているのであればあなたは感情に支配されている状態なのかもしれない。