まず「チャンスをくれてありがとう」みたいなことを思ったり。
(今ここで、そういえば「してやったり」って言葉があるけど「たり」って……(ネット検索中)へ〜『完了』と『存続』があるの? なんて考えを間に挟みつつ)
なにもいわずに生きることも
なにもいわずに死ぬこともできるのに
こうしてここで声を上げて、みんなにぼくを伝えるチャンスをくれてありがとう。
いろんなことに感謝です。
*̩̩̥+✧ *̩̩̥*̩̩̥。+✧ *̩̩̥*̩̩̥。+ *̩̩̥
言わないほうが平穏だと思われるので、ぼくはそれを、そっと仕舞った。
ということだけは記録させてほしい。
人に構うより、自分を構うとするか。
……次の精神科への通院時、何を話そう?
【過剰適応】について聞きたいんだよな……
数ヶ月にその言葉を知って、結局まだそのワードを主治医に出してないんだ。
そういうことはけっこうある。
「あれ話そう!」「これ話そう!」って思って、でもその時になって「あ、まずこれ話したいな」とか思ったりして予定と違うことになる。
ってかまずこれ奇跡だと思ってる。
精神科行って、精神科医と雑談できる。
これたぶん相当恵まれてるっていうか、先生が特殊。だって先生、カウンセラーとして仕事してるんじゃなくて精神科医として仕事してるはずだから。
感謝です。ありがとうございます。
でもどうなんだろう?
勝手にこっちがレアケースだと思ってるだけで、数十分のカウンセリング治療もやってくれてる精神科医の先生ってまあまあいらっしゃるんだろうか?
そもそも資格的にはどうなんだ?
実情や内情がわからないから、いろいろあったりしますよね〜
どこもかしこもさ。
詳しくない。知識がない。
からこそ、言えることもあれば言えないこともあり。
詳しい。知識を持ってる。
からこそ、言えないこともあれば言えることもある。
人を見てるのは楽しい。……苦しいことも当然あるけど。
好きなところも、嫌いなところもある。だから楽しいし、苦しい。
𓂃𓂂𖡼𓏸𓂂𓐍𓏸𑁍𖥧𖤣𓈒◌𓂃܀
貴方に、そんなふうに思わせてしまう文字を紡ぐこの手を、いっそのことなくしてしまいましょう。
……なんてことはしないけれど。
たとえ話。
そんなふうに脅されたら、「そんなふうに思っちゃいけない」「そんな考え方をしちゃいけない」
「それを抱いたら、あの人が気に病んでしまう……!」
誰かの思考を、誰かの感情を、縛る行為。
心の中に自然に生まれてしまったいろんなものの扱いが、難しくって。幾度となく間違えて。
間違えて、間違えて、間違えて……
今だってたぶんそうで。
ああ、でも。 これは
頭に作ってしまったもの であって、
心に生まれたもの ではないな。
『頭で考えられることを書いているだけであって
心で感じていることを書いているわけではない
そんなふうに考えたこの言葉は、はたしてどっちから生まれたもの?』
最近書こうとしてたこれを、ちょうどよさそうだからここに置いておこう。
こういった思考にも、自分の中でブームがあるのかもなあ。
ゴールしない思考の迷路の宝箱に、それが入ってただけかも。
じゃあまたね