うわわわわ、それ願望じゃなくて事実なんだよってか本当はもっとシビアなんだよ下手したら差別的発言だよそれうわぁ、うわわわわ やめなよやめなよやめときな無知って怖い。
って思いながらも見てみぬフリな僕。ごめんね。
知ってて言ってるならもっと怖いけどね。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
差別的発言でもそれが許されてるのが、この国です。思想、発言の自由ですね。差別近くにあるのは無差別。「無差別テロ」とか言う使い方をしますね。
日本において、差別は根深い問題です。
当然ではありませんが、そう言う人(差別主義者)もいるという事も頭に入れておいてください。けれど、多くはありません。大多数は分かっていて、その様な発言をしない人ばかりです。相応の立場にある人なんかは、責任を問われる立場なのでそんな事は口が裂けても言いません。つまり大人と言う事ですね。
その人はある意味、精神的に子供で差別的発言をして強く見られたいのでしょう。差別発言ができるから、偉いと勝手に思っているんでしょうね。
しかしその人も、差別主義者としてですが生きているんです。他人がどう生きるのかを決めるのはその人の自由です。リスクもデメリットも承知の上のはずです。ネットなんかは特に。
差別が残る社会が、今の日本には理想形かも知れません。無くなった文化を再び復興するのはとても難しい事なんです。差別されるような事をする方が悪いんだ、という意見もあります。本人にとっては悲しい事ですが。
私は、人間の無差別性が合法化される世の中の方が怖くて仕方がありません。無差別に人を襲う、とか無差別に物を壊すとか。
だから、人は差別的発言にも寛容になってしまいます。無差別よりマシだろうと。差別は文化と密接に関係していますが、無差別は事件と関係しています。だから、世間的には「今更差別なんかして幼稚だね」と言われるに留まっています。
けれど、差別されている人を見ていい気になった事はありません。
同じ人間なのに、可哀想だとは思います。
差別的より無差別の方がいいと言う意見は、それはそれで差別なんじゃないかななんて思ったりします。笑
理解、共感、寛容出来る社会になったら、もっとこの国は良くなると思いますね。
お小言の様に聞こえたらすみません。参考になれば幸いです。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
名前のない小瓶
222156通目の小瓶
小瓶の中の手紙を読む