泣いてる子供や階段登るの苦労してるおばあさんを、
雑音や、視界に写ってるものの一部としてしか捉えられないひとをなんでなんだろうと、思ってしまう
なんで
そこで手を差し伸べないのだろうと、
なんで、
手を差し出した人間が 悪く言われないといけないのだろうか、と
周りの目を気にしてしたわけじゃない、
でも、すこし、おかしい。わたしが?
おかしいのかも
いい子だと言われたいわけじゃない、
あなたが正しいと、言ってほしいわけじゃない(私が正しいわけではないので)
理解も共感も、
そうじゃなくて、
これは自分で したことか、
周りに何言われようと
受け流すのが、正解?
名前のない小瓶
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お返事が届いています
沙樹
気持ちは理解できる。目にも止まらない人、見てもなんとも思わない人、いるだろうね。
私は、子どもだったら声かけるけど、お年寄りはよっぽどじゃないと助けないかな。それがその方のためだと思ってる。(助ければ、自力で登る筋力がどんどん失われてしまう)
障がいを持った方も、全盲の方が人込みにいて困ってるようなら声かけるけど、それ以外は見守る。
手助けする、しない、どっちもメリットデメリットあるからどちらが良いとは言えないけど、
ひとつ言い切れるのは、
視野を広く持ち、見て、自分の頭で考えて、行動を選択することが大前提。
小瓶主さんはよく見えてる。
見えていて考えてスルーする人じゃなく何も見えてない人の意見なら、耳を貸さなくていいと思うよ。
名前のない小瓶
私は、差し伸べる述べないが正解ではないと
思います。
傍目には、
「泣いている子」「お年寄り」「からだの不自由な人」と
ひとくくりに見えても、
同じ症状を持っていても、同じくらいの症状を持つ人がいても、
一人一人、事情が違います。
欲するものは違います。
あなたが、手を差し伸べたことで、外野がなにか言う分は
正直、知ったこっちゃない、で、
私なら解釈します。
(言われておもしろい気持ちにはならないと思いますが)
それよりも、手を差し伸べられた人側が
果たして、どの人も、それを望んでいるのか?
大事なのはそっちだと思っています。
大変そうに見えても、
「ええ、これ、リハビリの一環なんです」
という人もいます。
「かまってくれるな」という人もいます。
(達成感の阻害、と受け取る人もいれば、
そこに自尊心というものを、置いている人もいます)
だから、手を差し伸べる=いつも正義、だとは思わないので
どうしても、大変そうに見えたら
とりあえず、手伝ってよいか、声かけすることのほうが
重要だと思います。
明らかに、ホームに落ちそうな人なら、
かまってくれるなと言っても、無視します。
(ここまで書くのも情けないけど、そういう幼稚な
重箱のつつき方をする人もいるので)
だから、あたしは、正直、だからといって
役にたったとしても
「ありがとう」をもらっても、
あまり、心に何も響かない人間です。
ポカーンでおわりです。
「承認欲求埋まったわ!キャハ*」はないです。
これも程度問題なので、
自分も欠陥あるんですけどね。
長くて失礼、おば。
ななしさん
人類全員に賛同されることなんてない。
何が正解かも人それぞれ。
沙樹
あら、まいたんさんが上手に正確に書かれていますね。そちらだけ読んで下されば。
こういう考え方もあると理解した上で、小瓶主さんが信念をもって今後も手を差し伸べるのであれば、「周りに何と言われようと受け流すのが正解」だと思います。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
差し伸べるのが正解とか正義とかそういうことを言いたかったわけではなかったのです
差し伸べないなら差し伸べないで、差し伸べたやつに対して ごちゃごちゃ言うなと、そこまで言うなら最後まで無視しきれと、思った次第です
ただ、お返事はどれもしっくりとくるもので(?)参考になりました
これからは視野を広く、ちゃんと考えてから行動しようと思います
お返事ありがとうございました
小瓶主
ななしさん
その通りなんでしょう。悲しい事ですが。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。