お返事は沢山書いてきましたが、実は小瓶を流すのは初めてで、一体どこにその窓口があるのかすぐには気が付きませんでした(笑)。
以下Oshoのブログからの一部抜粋です。
必要とされることを求めるというのは、あまりに大きく、あまりに根深い条件付けだから、独力でそれに気づくのは不可能だ。
だれかがあなたにそれを見せる必要がある。他人にあれこれ求めるというのは、自尊心に欠けているということだ。
それは屈辱的だ。ひとりで立ちなさい。みずからに充足するようになりなさい」
(この文章を読むと、誰かに気持ちを発信してはいけない、SOSを出してはいけないと思う方がいらっしゃったなら、文章の趣旨とは全く違います。そうは決してとらないで下さい)
出だしの文章が私に一撃をくらわせております。
私のやっていることはこの通りなのかもしれないと、前々から疑っていました。お返事を流した後でなにやら落ち着かない気分になったこともあり、また実際にそういう状況を与えてくださった方もあり、しばらく頭を冷やしてみようと思います。
自分と宛メの距離を測ることをしなくてはならないと思っております。
読んでますけどね(笑)
41857通目の宛名のないメール
お返事が届いています
冬
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
8通目の方。
すみません、留守にしていました。お返事ありがとうございます。
まさかここでOshoのことで小瓶いただけるとは。宛メってホント懐が深いですねー。
昨年からちょっとそっち系に足を踏み入れてまして。もう私にとってはその先端にOshoがいるから大丈夫だよね、って感じです(笑)
ダメな私もなかなかの私も、ただただ遊んでるって思えればオッケーですな。まあ、そんなもんなんでしょう。
だから楽しめるといいですね。
嬉しいお言葉ありがとうです。m(_ _)m
またときどき現れます。
ななしさん
どうでもいいかもしれませんが、Osho(さん?)ブログ、いいですね。
昔どこかで見た覚えがあったような気がするので、懐かしい反面、忘れた頃に見れたというか、あの時とは違う視点で読めて新鮮でした。
いやあ、なんだか場違いな気もしますが、どうも(笑)
因みに私も、冬さんのお返事に安心感を貰っていた1人です。
かねがねありがとうございます。
冬
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
まいたんさん
お返事はいらんわーと、書かれていたのですが出したい気分が出てきたのでお返事させて下さい。
書かれていることに一言一言が身に染みてまして、そうだよね~と盛大に思いました。私も承認欲求はあると思います。それが無いと多分お返事書いてない。これは私だけでなくて大小はあれど全員だと思います。その承認欲求の部分だけを殊更に取り上げていたのかと、今は思い至っています。
4通目の方の一言が、私には案外突き刺さっていまして、それは「あんたのやってることはそれ以上でも以下でもない」と言われていて、実はそれ以上をどこかで期待している自分が透けて見えています。それが嫌でして。
でも嫌だったんですが、承認欲求も含めて「伝えたいことを伝える、それだけ」でいいのかとある意味開き直りつつあります。それで、いいのだ。
そうしてこういう自分の中のうだうだを出すのがここの流儀じゃんとも思います。そうだった。皆さんは正しい利用の仕方をされているんだよね、と。それに対して、こうもある、ああもある、否定も肯定もある、ってことなんだよねえ。
自意識過剰も承認欲求も、まあいいんじゃん、それでいいじゃんと思えるかな、今は。
自分の抱えていたものをオープンにすると、お返事が来る場所なんだなと、実際に体験させてもらいました。熱烈感謝です。
孤独だと思った時の感じ方に、より敏感な方はいらっしゃるのだと思います。それでも孤独であるということの対象はどこまで行っても他者ではなく自分であり、自分がそこに居ることに気付けば、存在を感じることが出来れば、瞬間であってもそれを掴めば、孤独というのは頭の中で創り上げたものだとわかる、そうです。瞑想、座禅等がそのお手伝いになるのは確かです。
怖さというのがなければ、自分を掴むことが出来ないのもまた事実ですし、怖さは私達を変容させる素敵なギフトと考えられます。
友達に見捨てられる怖さも、人から認められない怖さも、孤独を感じる怖さも、全て変容のスタートに欠かせないアイテムです。
怖いものは「そうすべき」と思っている時にも表れるようです。もう怖い怖いと言ってる時間は私にはあまりないので、怖いものを突っ切って玉砕しようと思います。承認欲求があると書くとか、これも実は恐かったなあ。
まいたんさんにはまいたんさんのぱっかーんがきっと来ると強く感じています。
あっちゃー、また語っとる。
どうも、自分はここではそういうことがやりたいらしいです。
ごめん、長くなりました。
名前のない小瓶
お返事、長〜〜〜いやつ、2回書いて
あまりに、長過ぎて、出すのやめました。
と、やっているうちに、小瓶主さんからのお返事来たよ
が載っている・・。
で、それも読んで、ああ、宛メへのおたより=
承認欲求と解釈しているジレンマか?と
最初の小瓶でも、それを思ったけど、やっぱそうなのかな?って。
まあ、紫煙さんや、主婦さんなど、超絶に色が濃い主さんが
いる頃から、
冬さんもわたしもここに来ている人なので
読み専とはいえ、例えば、私ひとりだけを見ても、
お返事の仕方を見れば一目瞭然で、
承認欲求丸出しで、相手を自説の自称「正論」で
ねじ伏せようとやっきになったり、
同じく、そういう私の辻褄の合わなさが気に入らないと
これはこれで、承認欲求のかたまりの女性と大もめになったり
あまりに正論で、身もフタもなさ過ぎたお返事をくれた
青年に、
読んですぐキレたままお返事書いて、更に冷たくたしなめられる
ということなど(これは、のちに反省)
泥試合もたくさんしていて、
そういう過程も含め、経てとは言いがたいけど、
小瓶は、ハガキ職人ノリで書いているけど、
(今は、ブログに移行しているので、前ほどは
投稿しなくなりました)
お返事に関しては、この、バカ丸出しの時期、
あと、近年、視点の舵切りに微量ですが変化があり
ちょっと、言語化が出来ないのですが、
(ということは、まだ過程の人だからか?)
結局のところ、助けてーって言われても
助けられるのは本人だけだしなぁ・・に着地が多く、
不幸なんです!不幸なんです!助けてください!と
100回連呼されても、
スルーしか浮かばない。
聞いて聞いて〜は、聞くけど。
ああ、聞いてほしいんか。と。
だから、承認欲求の受け皿にならないものを
正直、がんばって選んで、身につけようとしているんだと
思います。
それまでの癖があるので、ついやってるときも
多分にあるけど。
結構前に、学校内ヒエラルキーについてのお便りがあって
そのお返事に、
「へんなの、どっちもただの同じ学生じゃん」みたいな
のがあって(言い方若干違うけど)
あたしは、あたまをスコーンと打ち抜かれまして、
ああ、この感じの視点が欠落していた!
ま、超個人主義の人なんだろうとは思うけど
なんかその辺から、距離感が変わって行きました。
(あくまで当人比)
今年の春頃、ほんというと、宛メのお返事熱がほぼなくなっていて
基本、こんなの誰に頼まれてやっているわけでもないし
惰性で書いてる部分がほとんどだけど
私的な事情で、自分の生存確認用という意味だけで
若干無理に書いているのが、現在です。
それ以前には、投影の勉強用として、みなさんをダシにして
お返事を書いていたので(すごい使い方・・ひどいよね)
その頃は特に
「本人の気持ちを知らないくせに、見知ったような事
書くんじゃねーよ」というお返事をよく頂いていました。
だって、それが、投影の練習なんだもん・・と思っていたけど
それは言えないので、今、初めて書きましたが。
なんだかんだ言って、また、長くなってるよ〜
個人的には、この頃の冬さん、宛メ卒業かな?と思っていました。
リア充!バッチリ、という感じで。
マイナスからゼロへ埋めるばかりのゼロスパイラルではなく
ゼロからプラスに向かう、活きた生活が、お返事から
垣間見えます。
勝手なことを言えば、冬さんは、宛メの中でも
(自分が知る限りの時期の中ですが)
全く別枠の人です。
年齢関係なく、一人立ちに苦しむ殻の中の
ひよこ以前の人が多い中(わしも)希有な
視点の引き出しの多いおとなの人です。
それなりに、抱えているものはあると思います。
垣間見えます。でも、それでもそう見えるのです。
ずっとずっと変わらずです。
読むたび、どれだけ、絶句状態の時でも
別角度というものが、ここにあるんだよと
示してくれる、希望の光です。
それも、いろんな葛藤ありき、日常の中で気づいていたものを
シェアしてもらえているのかもしれません。
承認欲求ちゃんとは、受けて目線だと思った事は
ありません。
> それは屈辱的だ。ひとりで立ちなさい。みずからに充足するようになりなさい」
私事ですが、本当に偶然、
寸分違わずこれと同じ事が
この世で一番私が恐れていた事だと知りました。
孤独という状況が怖いのではなく、
孤独という状況に立たされた自分が、感じた気持ちというのを
感じるのが怖かったというのが。ほんとのとこです。
もうながいのでやめますー
(めんどくせーから、ななめよみでいいです)
お返事はいらんわー。(悪いんで)
冬
(小瓶主)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
お返事ありがとうございます。
お心遣い頂き、とても嬉しいです。そして私と同じように感じられた方もまたそのままで、というご意見も頂き感謝です。
お返事に対してどう関わるかは自分の反応だということは重々承知です。それ以外は出来ないしそれ以外のことをやったら嘘になる。4通目の方の「伝えたいことを伝える、それだけでしょ」というのはまさしくその通りだと思います。
2通目の(沙樹さんだったと記憶しているのですが違ったらごめんなさい。)方の言われるように苦しさや辛さは自力ではどうにもならないのも事実です。自分の慣れ親しんだ思考や感覚が上手く機能しないから不自由さや辛さを感じるわけで、他者や他説を知って、そういうこともありかあ~と思えれば変容は起こってくる。
そういう意味で誰かの成功体験や想い、ご意見は必要だと思っています。
それを踏まえたうえで、私自身の問題として、私がお返事の小瓶を流すことが、うまく言えないんですが「必要とされることを求めている」のではないかという疑問が出ている現状です。
長く宛てメにお邪魔するようになって、宛てメとの距離感、自分の書き方や言い方に対する疑問が出てくるのは悪いことではないと思っています。
もうしばらく深く潜航しながら考えてみます。
お返事頂けるのは嬉しいことですね。これは初めての経験でした(笑)。ありがとうございます。
ななしさん
伝えたいことを伝えればいいんじゃないですかね。
それだけだと思いますよ。
ななしさん
私もそう思って、読むだけの人になりました。
時々こうやって返事しちゃう事もありますが…
沙樹
他人に穴を埋めてもらうのではなく、自分で埋められるように試行錯誤を繰り返す。
私はこの部分ではマイナスからのスタートだったので、人と比べれば今でもマイナスだけど、当時の自分を基準にすればだいぶ進歩した気がします。
でも自力のみで進歩したわけではなく、結局人からヒントをもらってばかりなんですよね。
ひとりで立つために、人から何かを分けて頂く。矛盾しているようですが、リハビリだと思えばいたって普通なんですね。最終的な目標さえ見失わなければ、きっと大丈夫なんだと思います。
私、冬さんからたくさん分けて頂いております。(需要と供給が一致?)
この場を借りて‥、いつも本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。
インプットばかりでなく、アウトプットできるくらいに自分に馴染ませたいなぁ。
ななしさん
えっと、私、診断がでたことがあるほどの発達障害なので、難しいことはわからないし、この小瓶についてもまだあまり理解できてないですが、とりあえず、私が宛メにいて、何時も安心感を感じたのは冬さんのお返事からでした。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。