いじめられる方にも原因がある、という話について
“いじめ”という言葉自体が、無視をすることから集団暴行まで様々な行為を含んでいるので、単純にいじめは〜とはいえない。
複数人に無視されることも“いじめ”に含むとすれば、ある人が嫌われて、クラスメイトらが関わりたく無い為に(自衛の為に)離れていくというケースでも、本人からしてみればいじめに見えるかもしれない。
だが、例えば悪意をもって「皆であの子を無視しよう」という連絡を回したとすれば、それはただ関わりたく無い為に無視するのとは違い、嫌がらせという意味合いが出てくる。
こういう嫌がらせをされても仕方がない、という場合もあるかもしれない。
例えば、その子が過去にクラスメイトに対して同じことをしていたとか、それ以外にも悪意のある嫌がらせをしていたとかいう場合は、(その時の当事者に限れば)仕返しと言えなくはないかもしれない。
もしも、個人の判断で離れていったのが結果的にいじめになった、もしくは過去の仕返しのつもりだった、というようなケースを除くならば、いじめられる方にも原因があるという考え方は、多数に好かれる努力を怠るなということでもあるかもしれない。
何故なら、いじめのきっかけは本当に様々で、その人物の性質が暗かったとか、関わらなければ実害はないが友達としてお喋りするには難がある(例えば、異様に態度がつんけんしている等)、もしくはお喋りにも支障はないがどこか変わり者である、などなど、一見すれば『一般的に好かれることはないが、関わらなければそれで済んだ』ようなことが要因になる場合があるためである。
暗い性質よりも明るい性質の方が多くに好かれるのは確かで、それがいじめのきっかけならば、性質を明るく改めればいじめられずに済むかもしれない。
態度がつんけんしているせいでいじめられたのなら、その態度を改めればターゲットにはならないかもしれない。
そのように、自身に原因を見出すことが出来れば再発防止策を練ることは可能である。
ただし、それはあくまで『いじめられることを防ぐ』だけに焦点を絞った考え方でもある。
性質というのは、本人のアイデンティティに関わっていることもあり、自身の意思で変えることが出来ない(あるいは、不可能ではないが大きな苦痛が伴う)ことも多い。
また、そもそも周囲に実害をもたらしていないにも関わらず“実害で返された”こと自体が理不尽な出来事といえるため、再発防止策を練るまでもなく、環境が変わってからはいじめられなくなるという場合もある。
結論、何書きたかったのか忘れた。