ここ数日の気づきの小瓶。
小学2年生までは、母親から家庭内で英才教育を受けてきた。
(その頃の母親は、変な方向に教育熱心で食材から子供の教育まで、「これがいい」と聞いたものは何でもやるタイプだった。)
英会話、ピアノと絶対音感の訓練、右脳開発、中学受験用の教材…。
幼稚園に入るか入らないかの頃、まわりのお友達がお勉強も、和音聞き取り訓練もしてないことを知って、幼いながらに自分の家庭は変わっているんだなと思った。
母は「勉強のできる」私が好きなんだろうなと子供心に思っていた。
父は算数の解説の時に、私のケアレスミスがあると怒った。凄く怖かった。
怒鳴られて、間違えた問題を10回解けって言われて、泣きながらやった記憶がある。
2つ下の妹に関しては、長女である私に対する教育が熱心すぎたためか、早期教育に限界を感じたらしく、けっこうなおざりにされていた。
(そのためか、今でも「お姉ちゃんばっかり可愛がられてたよね!」と恨みがましげに言われる。私は、にこにこしているだけで母に愛される妹が羨ましかった。)
そんな我が家の教育方針が大幅に変わったのは小学3年生の時。
下の妹を母が妊娠して、家庭内教育どころではなくなったのがきっかけだった。
今度は、家の手伝いをよくする子が好きな母になった。
「勉強出来なくてもいいよ。その代わり、ママの手伝いをたくさんしてね。」
母のこの言葉に出さない欲求と、幼い頃からの、勉強ができないと愛されないという思い込みに、私は板挟みになっていた気がする。
さらに、認められたくて、学校ではいわゆる「リーダー」の役割を積極的にやっていた。
向いてもいないくせに。
そのため「勉強できるしっかり者」のレッテルが貼られ、レッテルと実際の自分のギャップにも苦しんでいた。
中学2年生まで、体調を崩すまで、
いや、体調を崩してからも、
ずっと私は認められたくてもがいていた。
先日、母が
「あの頃のママは確かにいかれていた。あなたを普通に教育していたら、普通に育っていたのにね。」
と、冗談ぽく言われた。
悲しかった。現在の私を否定された気がした。
けれど、思ったより傷つかなかった。
多分私は、どこかで自分がこうなってしまったのを母親のせいだと思っているのだと思う。
だから、この言葉はある意味それを肯定していたから、大して傷つかなかったのだろう。
そんな自分がなんだか嫌だ。
今年は大学受験の年。
志望校や学部は、1年生のわりと早いうちから決めていたのだけれど、ずっとその進路でいいのか悩んでいた。
というのは、決めた学部でやりたかった勉強が、幼い頃からの両親の刷り込みとそれに対する承認欲求、まわりへのキャラクター作りのために好き!と言い続けてきたことだったからだ。
認められたいを手放すと決めてから、
(違和感自体はそれ以前から抱いていたけれど)
ずっとこの進路でいいのか、その道を選んで正解なのかともやもやしていたのだけれど、
昨日あたりにふと、
はっきりと求められたわけでもないのに、それを好きでいることを苦痛だと思わず今まできたっていうことは、
それが好きだと思っている自分がちゃんとどこかにいるんだ!と気づいて、自分の進もうとする道に少し自信が持てた。
まぁ、もし間違っていたとしてもその意志があるならいつからでもやり直せるしね。
これは、宛メを見ていて思ったこと。
どうでもいいけれど、歩くのは、いいこと。
登下校中や散歩の最中に考え事をしていて閃くことってけっこう多い。
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今日、学校から帰ってきたら、父方の祖母が来ていた。
父方の祖母は、品があって、手先が器用でかっこよくって、大好きなのだけれど、
祖母が昔の話をしている時に、承認欲求の片鱗が見えたような気がした。
祖母は閉鎖的な田舎社会で、長女として厳しい母親に育てられてきたらしい。
まわりの言う事を素直に聞くことで、私は七人兄妹のなかで1番愛されてきたのだ、ということを嬉しそうに話していた。
父も、(違う小瓶のお返事にちらりと書いたような気がするけれど)承認欲求の強い人だ。
GWの法事の時にも、あれ?と思うことはあったのだけれど、やはり、私の承認欲求のルーツは父方だなぁと思った。
自分の中の承認欲求を、目を逸らさずに真っ直ぐ見つめられるようになったのは成長だと思う。
中間テスト、終わった。疲れた!