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強ければ、傷つけ、弱ければ、傷つけられる。人ってそう言う事なんでしょうね。そして自覚が無くても知らないうち

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強ければ、傷つけ、弱ければ、傷つけられる。
人って、多分そう言う事なんでしょうね。
そして、自覚が無くても、知らないうちに人を傷つけている。
自分で、傷ついた事は分かるのに、他人を、傷つけた時は分からない。
でも、誰も傷つけずにいれる人なんて、絶対にいないんでしょうね。
きっと、神様にもできない事です。
だって、それぞれの意思があるから。
でも、だからといって、人を傷つけていい理由なんてどこにも無いわけです。
人って、ものすごく単純で、けれどものすごく難しい、そんな生き物なんでしょうね。
相手を、分かろうとする気持ちと、相手に、分かってもらえるようにする気持ち。
きっと、それが大切なんでしょうね。

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烏羽
傷付くこと、傷付けることを良しとする訳ではないが、人は摩擦によって磨かれる事もあり、摩擦の熱で身をよじる事もあり。

とはいえ、人の心、形ある物体ではないのだから、なんだろうな…

自分自身に価値をつけて、それが良い悪いを生み出す事もあり、時に自分自身から価値を削ぎ落として、自分自身を見失ったかと思えば、本当に価値のあるものを良し悪しの外に見つけたりもする。
強さ弱さ、それがなんなのか、俺はまだ全然よくわからん。

人の心、確かに傷はつく。
ただ、それは、人の心を宝石のように思えば、きっと輝きを放つ時もあるものだろうし、大事な何かが欠けてしまう事に、繋がる事もあるかもしれん。

というのも、やっぱ人の心は宝石でもなんでもない。
液体のようなものかもしれないし、個体のようなものかもしれない。両方を併せ持ちながら、気体のようであるかもしれない。
考えうるすべてのものの形を取れるかもしれない。

が、ようわからん(笑)

傷付ける事、傷付く事、それはある。
避けられる事もあれば、振り返れば避けられなかったであろう事もあるし、傷付いた事がバネのようになったりする事もある。
ありようや、心掛けによっては、傷は癒えねど誰かを癒す事は出来るかもしれん。出来ない事もあるかもしれん。

だが、正直なところ、「傷が付く」という表現が、心に対して正しい表現と言えるのかさえわからん。

ただ言えるとすれば、自分自身も心の、例えるなら一葉であり、枝でも幹でもあるかもしれん、と思う。
光合成をしたり、水を行き渡らせたり、身体そのものを支えたり。

あるいは、本来なら餌を取る必要のない動物…とでもいえばいいのかな?
…よく寂しい気持ちになったりとはあるかもしれんが、愛は食べ物ではないし…というか、たき火のような、素朴な暖かいもの…、あるいは、目の覚めるようで爽やかな水、という認識かな。

その心地よい暖かさ、冷たさが、身の丈にあった強さとも取れるし、自分の枠を出ない弱さとも取れるように思う。
また、心地よい限度を越した、激しい暑さ、厳しい寒さは、身に応えるような強さだろうし、身に合わない弱さとも取れるように思う。

まあ、激しいのが身の丈に合う、生温さが合わん、それは人それぞれではあるだろう。
そんなもんは人がその時その時思う事で変わるかもしれん。
あの時の激しい暑さがちょうど良い、寒さが生温い、そう言うこともあるやろな。

その感じる適温の変化もまた、それはそれで強さや弱さと言えるのかもしれん。
人を見比べて、暑い中、寒い中、動いているのを強い弱いと思う事もあるかもしれん。

これは我ながらお節介だと思うので、聞き流してくれてもバリクソ構わないんだけど…
わかってもらおう、わかろうとする、それも大事なことではあると思う。

けれど、やはりそればかりに目がいっても、その部分の価値観に、何か思うところのある人もいるかもしれない。
やっぱ、自分が快適でも火の温度が高いって言う人もいるかもしれんわけだ。

つまるところ、わかってもらおう、わかろうとする、その部分に何か思うところを抱えた人もいるかもしれない。
人と向き合っていればいつかは、多分わかる事もあると思う。だから、気にするのはその時でもいいとも思う。

その時考えて、答えが出せなくても、またいつか、考えた事が活きて来ることもあるかもしれない。

誰ぞの思った大事な事は、誰かの大した事ではないかもしれない。
それは一見恐ろしい事でもあるように感じるが、だからと言ってその誰かが、大した事と思う可能性はあるかもしれない。
その中で、と限定ではあるかもしれんが、地に足のついた考え、自分の日々の経験や日常の中の行動などと結び付いているかどうか、が大切なのかもな。

…って言っても、俺も対して人と向き合ったと言えるほどの事もしてないし、偉そうな事言えた口でもないから、与太話だと思って聞き流してくだされ。

んまあ、自分を大切にというか、「自分」がなきゃ始まらない事だと思うけど、本当に誰かを理解したいだとか、誰かを傷付けたくない、苦しませたくない、そういった思いの本質が行き当たるのは同じとこなんじゃないかと思います。
手段はそれぞれですし、時には本質から逸れる事もあるかもしれません。でも、実現は難しいものだとしても、傷付かない時があるように、色々な事を知っていく中で、何か、それを減らす事も、それぞれの対応を考える事も出来ると思うんです。

理解すると言っても倫理が大事、倫理が大事だと言っても、倫理に対する理解が大事。
こう書くとなんて言うか…、言い方はアレですが、市役所みたいじゃないですか?(苦笑)

だからこそ、自分自身が、少なくとも…
倫理とか、そういう踏み間違えちゃ困るだろうという線のようなものが出てきた時、考えてみる事がいいのかもしれません。
もちろん、考えてもわからない時はわからないので、その時は保留、もしくはゆっくり考えをあっため続ければ良いんじゃないかと。

ぶっちゃけ、本当に大切な事があるとしても、自分自身がそれを持っている時、と言うのはどうしても当たり前、という他ないかと思うので、蔑ろになりがちなのかもしれません。
ですので、そこから考えれば寧ろ、どんな事からでも大切な事を見出したり、思い出せるチャンスはある、かもしれません。多分。

それに、早々出せた答えが本当に間違っていないかどうかは、ずっとわからないかもしれませんし。例外だってあるかもしれません。
そう思って、疑問を抱き続けて、考えた事を続けたりもしてます。
1つの答えではあるかもしれませんが、万人の答えであるわけもありませんし。

自分も上手くいっている訳ではないですし、寧ろ今まさに!、もしかしたら失敗してる事もあるかもしれません。
ですが、人を知る、と言うのはそういう…なんだ、境目を知るというか、そういう事もあるのかなーと、悩んでます。
弱い強いというのはどこに基準があるものなのでしょうか。そこんところを教えていただけたら幸いです。

私は外からは傷は付かないと思ってます。傷は自分がそこはダメだとか隠したいとか、負の感覚を持っているところに外からの何かが来てヒットした時出来るというふうに捉えています。それは無意識のものもありますので何故辛くなるのかわからない時もあると思います。

だから弱さを克服するというより、身の内の弱さや柔らかさをそのまま認めることができればと思ったりもします。これまた難題ですが。その難題をお修行と称してやってくことがまあ、生きてくってことでしょうか。

例えば友達が少ないということを指摘されて傷つくとしたら、元々それがよくないと思っているからではないでしょうか。
友人が少ないのは単に事象です。求めない人も実は世の中にはたくさんいます。知らないだけです。そこに良い悪いのは評価は本当はいらないものです。学校というのは少ないことに対して低評価を下しますから事象だと思えないだけです。多ければストレスもごちゃまんとありますしね。

ヘラヘラ笑ってんじゃない!と言われて傷ついたとしたら、先ずは愛想を振りまいいることを自覚することです。その上で何故そうしているのか、そのことで何を守り、何を恐れているのか自己を理解することからではないでしょうか。そしてそれを受け入れることです。
ありがたいことに今世紀に入って様々に自分を捉えるやり方、手法、理論は山のように出て来ました。

ただしだからと言って故意に人を傷つけていいなんてことは論外です。そういう人はご自分の欲求不満を他者で紛らわしているに過ぎません。そういう人こそ自己理解が必要なのですが。

神様でも無理だとおっしゃった傷つける人についての私見はこの様なものです。
うーん、読み返してちょっと理想論的だと思いつつも、とりあえずお返事します。
でもなんにしても自己を理解することはスタート地点だなあ。

ななしさん

わたしからしたら、人間なんてみんな弱いと思う。欲があるから傷付きやすいし、脆いと思う。
マリンスノー日記帳
(小瓶主)
皆様、お返事ありがとうございます。
下のお返事は、二通目までしか掲載されていないときに書いたものなので、お二方、と言ってしまいましたが、皆様、本当にありがとうございます。
お返事が載るたびに、この方にはこういう考えがあるんだ、と言い方はおかしいかもしれないですが、勉強になります。
強くても、弱くても、傷つけあう、そして、傷つきあう。
お返事をくださった皆様、何回も言いますが、ありがとうございます。

ななしさん

弱者を下さないのが強者
マリンスノー日記帳
(小瓶主)
お二方、お返事ありがとうございます!
正直、お返事を書いていただけると思わず…とても嬉しいです。
考えは十人十色、人それぞれなんでしょうね。
お二方の考え、なるほどな…と思いながら読ませて頂きました。
まりちゃんさんに至っては、わざわざ過去お返事を読んでいただいてありがとうございます。

ななしさん

強いから傷つけるとは限りませんが、弱いと傷つくのはその通りだと思います。

心が傷つく時、人は他の誰かにその原因を押し付けようとすることがあります。
あの強い人さえいなければと。
でもね、傷つくのは、相手が強いからではなく、自分が弱いからなのです。自分が力不足だったからです。強い人に何かされたというよりは、強い人と弱い自分を比べて勝手に落ち込んでいたり、あの人には敵わないと勝手に諦めているだけなのです。ひとり相撲です。そうして落ち込んでいる間も、強い人はどんどん先に行き、差は開くばかりなのですがね。

ななしさん

強ければいじめはしないし、仲間外れもしない。強いのは、そういったものに動じないで自分の意思を持って、平和に過ごしたいって思える人が強い人。傷付けたりする人は心が弱い証拠。弱い人が多いから、そういう弱い人はすぐに誰かをいじめようとしたりする。強いんじゃない。ただ底意地が悪いだけ。そんなの強さじゃない。弱さです。醜い類とはいじめが好きな人で簡単に人の嫌がる事をするような人。
vazakn
ダイヤモンドはダイヤモンドかそれ以上の硬度でしか研磨出来ない。
傷つけられることもあるし、傷つけることもあり、それに関連してか、人間は意思を持つ。選択肢を選ぶ意志がある。
傷がつくということは磨かれていくということでもある。
そうやって綺麗に美しくなっていけばよいのでは。
揺らがなければ大丈夫。
僕はそう思っている。
まりちゃん
私は、いい気持ちしか感じたくない、
他人にもそれを望む
(他人もいい気持ちしか感じてはいけない)

が、ある限り、
傷つく、という視点から
抜けるのは難しいかな?と思いました。
(主さんの、過去お返事も読んだ上でのお返事です)
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