自分は別にうつ病じゃない
ただ、世間のうつ病の認識ってなんだかおかしく感じる
うつ病は仕事の過度なストレスによってなるものと思われている
性格特性、思考のあり方、あたりも世間には浸透してきたかな?
ストレスの量=うつ病みたいな認識がある
だからうつ病を甘えと言ったり、反対に不憫に思ったり、する
でも個人的に心の病は、ストレスの量で決まるわけじゃないと思う
色々言われているけど
生活習慣を正すこととかもそうだし
そいつの考え方、ストレスの対処法
サポートしてくれる人がいるかどうかとかね
ただ単に、環境があってないとかもあるか
ただそれらを総括している本当に根本的な部分は、もっとずーっと昔に作られている
生まれてすぐに作られる
そしてそこからその後の長い人生が始まっている。長い人生にずーっと影響を与え続けている
まあ、ストレスが原因と言ったらそうかもしれないけど
それはその仕事、職場でのストレスが原因じゃない
きっかけではあるかもしれないけど
長い人生の積み重ねで本当は出来上がったもの
温室で育ってストレス耐性がないって意味ではないよ
まあ必ずこうだからそうなるとパターン化できることじゃないけどね
きっかけだけを見ていても本質は見えてこない
他人の苦労って軽く見える
自分の苦労は360度から見えるけど他人の苦労は正面からしか見えない
で、うつ病に必要なのは、社会の厳しさに耐えられるレベルに戻すことじゃなくて
本人が幸福を感じられる生き方にシフトすることだと思う
なんか心の病なんていうと「私だってつらいんだよ。」みたいな人も出てくるけど、そういう人も幸福を感じられる生き方にシフトチェンジすることが理想なんだと思う
理想だよ
でもどれだけ苦しい思いをして耐えて生きてるかレースなんて
誰も幸せになれない
なんかね、うつ病って、''死ぬほど我慢して頑張ったから、休むのを許してあげますよ"って意味を暗に感じてしまう
楽に幸せに生きることが悪みたいな風潮はもういい加減終わってほしいね
というより、そういう生き方しかできない、知らない人たちはそう思うのも仕方ないのかな
ただの長い独り言でした
異論は認めます
名前のない小瓶
51107通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前のない小瓶
楽に幸せにいきることが悪、
ありますね。そういう考え方。
そして、そんな考え方に偏る中で働いていると
自分が違和感でしかないです。
ななしさん
その通りだと思います。
社会的にその方が稼ぎを得る人が出来ているからこその”欝病”なのでしょう。
しかし、欝で苦しんでいる人を、取り敢えず”なんとか”出来るシステムが、今、それしか無いのもまた事実です。
欝を一括りにしていますが、その苦しみは多種多様で、
それは死へとすら至りやすい危うい精神の均衡です。
”死ぬほど我慢して頑張ったから、休むのを許してあげますよ”
でも良いかな、とは思っています。
何しろWEBが流行る以前は、それすら許されない社会システムだったのですから。
脳を掻き取って一部を除去し、完成の一部を物理的に破壊する、
”ロボトミー施術”。
西暦1975年頃まで日本でも行われていたんです。
やっと半世紀でしょうか。
次の半世紀で本当の幸せとは何か?
そしてそれを手に入れる、良い手が見つかればと思います。
ななしさん
共感です
ななしさん
その通りだと思います。
一言で言えば愛されていないという思いというか・・・。
NLPで人生脚本というものがありますが、そういうのや母親や父親との関わりや環境、トラウマ、思い込みなど色々と複雑に絡み合っていると思います。
自己犠牲しすぎることや他者犠牲しすぎることや、依存しすぎたり自立しすぎたり、何事も過剰になった時に人は苦しくなるようで、バランスが取れれば安定するんですがそううまくいかないですしね・・。
不幸も伝播するように、幸せも伝播するんだそうです。だから、幸せに遠慮する必要はないそうです。どんどん幸せな人が増えたらなって思いますがそれも自分の勝手な願望何ですけどね。
一意見失礼しました。
名前のない小瓶
私はこの小瓶に書かれている事はあっていると思います。
ここ数年、『自己肯定感』『精神的虐待』『毒親』なんて言葉を耳にする様になってきましたが、自分が子供だった頃はそんな概念なんてなかったのだと思います。その概念がないから、気づかないうちに精神的に虐待され、根っこの部分に不安を抱えたまま大人になり、ストレスを溜め込みやすい人や発散する手段がない、もしくはうまくない人は鬱病になってしまうんじゃないかな。
今、生まれてくる子どもたちや幼稚園の子供たちが大人になった時、私達の世代はまだ社会に貢献していると思うので、『楽に幸せに生きるのが悪』と言う風潮はあと35年は続くのではないかな?とも思っています。親世代の背中を見て育った団塊世代Jrは、馬車馬の様に働く事が美徳として育てられましたから。
まとまりのない文、失礼しました。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。