小学生くらいの頃から 死にたいという気持ちがなくなりません。
運良く 比較的に裕福な家庭に生まれ育ちましたが、自分で すること 、人がしていること、 買ったもの 、其れ等があること この世に存在する 物質的な物事 に対して価値を見出せません。
最近 話題のインスタ映え とか言う いいね 稼ぎ遊びにも疲れました。一時期は人から承認されることに躍起になったりもしてみましたが、昔から抱える虚しさを埋め合わせる事はできませんでした。
漫画を読んだり、 音楽を聴いたり、カラオケに行ったり、珈琲を淹れたり、ボウリングをしたり、日本のいろんなところを旅行して回ったり
確かにしている瞬間は 楽しかったりすることも多少はありますが、定期的に 「この 死ぬまでの時間を 働いたり 遊んだり 時間や コンテンツを消化し続ける この日々の繰り返しが 何なのだろうか?」という気持ちが浮かんできます。
何かを 自分が する側 だろうが される側だろうが、どちらにせよ 別にあってもなくても一緒じゃんという気持ちが なくなりません。
何かを 積み上げていく という生き方ができません。物事の数値的な目標を達成したり、何か夢を叶えたり っていうことが瞬間的にはあっても、また新たな 目標ができて っていうそのサイクルがとてつもなく不毛に思えます。
睡眠は 広義の死だと言いますが、朝起きるたびに また今日も意識が目覚めてしまったか...夢現の中で非現実の中を揺蕩っていたかった そう感じます。夢をハッキリ覚えて目覚めた日は、その荒唐無稽なカオスな世界に心踊ることを抑えられません。
すべての無価値化は定期的にやってきて、全部をちゃぶ台をひっくり返すように最初から無かった ことにしたい、そんな感覚に襲われるのです。
生きていることすべてが無意味に思えて 日々のルーチン全てを 無くしてしまいたい衝動がなくならないのです。
こんな怠惰な性分のおかげで 歯磨きや風呂に入ること、それら一般的?とされる生活習慣が 保育園くらいのころからまともに身についていませんでした。
そんな人間が就労したところで 迷惑をかけるだけなので、労働にも適していませんし、 労働に従事することが 学生の頃から 心の底から忌避したい事柄でした。
姉夫婦の子供をみると 生まれてきたことが不憫で可哀想で仕方ありません。これから先、生まれてきてしまったせいで 何らかの役割を担うことを期待され、勝手に期待した癖に それをスポイルすると 役立たずは死ね とされ、そんな世界に放り出される これから生きていかなければならない この幼子の不幸を嘆かずにはいられません。
わたしには 生まれてきたことそのものが罰なのではないかと感じられてなりません。
生きている限り 何かほかの命やエネルギーを消費していないと生きていられませんが、そんな自分が 生きるために 殺生をして 他と競争して 自分の優位性を誇示したり、なんらかの既得権益を主張したりして 経済活動を続ける それ等すべて 続けること、人間ひいては生命のサイクル、歴史、それら に何の価値があるのでしょうか。
目に見える殺し合いは無くなりましたが、結局 金 というツールを使った戦争が繰り返される世界が、今後も存続する ことに何の意味があるのでしょうか。
もうそろそろ人類 滅びてもいいんじゃないでしょうか。
人間は考える葦と言いますが
命が生じなければ 物事が生じなければ
最初からすべてが 発生して無ければ
そもそも この私の 感覚も苦悩も
また、ほかに生きる 全ての生命の苦悩も
無くなるのに そう思うのです。
どうか新たな命が生まれる そのサイクルが終わりますように。
名前のない小瓶
54492通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
同じ思いを持っています。
家族には(育ててくれたということを中心に)感謝しているものの、「生まれてきてしまった」という感覚は小さい頃から少しも抜けてくれません。
比較的恵まれた生活を送ってきたはずなのに。
こんな身で労働にも就き、人に迷惑ばかりかけています。
朝から晩まで働いていたら全然自分の言葉が出てこなくなってしまいました。
人ともあまり話したくありません。
でも、小瓶主さんの文章は厚みがあって好きです。
言いたいことをぐっと言語化してもらえたような嬉しさがあります。
ありがとうございました。ただちょっとした嬉しさでお返事を送ります。
ななしさん
こんにちは、拝見いたしました。しかるにあなたは意味のあることをして時間を消費しなければいけないという考えに縛られているのかと思います。
食べる、清潔に体を保つ、寝るだけの、本当に何もしないで、思案にふけり、ただひたすら時間が過ぎるのを待つ生活をしてみてください。流行りのキャンプ生活がいいかもしれません。
何かを積み上げなければ生きている価値はない、意味はない、そんな考えに囚われているだけなのではないか。
疑ってください。本を読んでみるのもいいでしょうね。
あなたがこれからあと50年生きるとして時間は438000時間あります。そのうちの10年の87600時間を潰してみてもまだ350400時間あります。
生きているのは無意味、おっしゃる通りです。意味なんてない、なのに意味のある事をしなければならないというジレンマに陥ってるのですよね。私は思います、あるのは存在と反応だけだと。とにかくいろんな考え方に触れてください。知識を吸収・反芻するのに遅すぎるなんてこともない。苦悩しかないわけがない、喜びがあるから逆の反応の苦しみというものがあるんです。今が苦しいなら逃げてください、行動してください。あなたがやりたいことを、やってください。この社会ではルールに従う限りそれが許されています。
オチませんがこの辺りで失礼しますね。生きてくださいね。
ななしさん
凄く共感できました。
同じ意見の方が多くて感動しました。
少し安心したのもあり涙が止まりません。
ななしさん
すごくわかります。泣きたいぐらいわかります。
私の生活を改めて読み返してるんじゃっ?ってぐらい共感です
ななしさん
同感です。
ななしさん
まるで本当に自分の日記を読んでいるように、同じ事を思ってる。小さい頃から今この瞬間までも、何も意味がなくて死にたくてたまらないし、自分の幸せは死ぬことにしかない。毎日生きている事のストレスを忘れるためだけに生きている()。
寝たら二度と目が覚めないで欲しい、覚めたら、また始まるのか…って思うことまで一緒だなんて。
生まれてきたくなかった。勝手に作られても困る。
ななしさん
全てに共感
ななしさん
その空虚さ、わかる気がしました。ここの書き込みに返信貰うのも虚しく感じているかもしれない(私がそうだから)
人間の為す事に価値を見出しているのは人間だけですが、そこに共感できない我々のような人間は現状、世界の邪魔にならないように寿命を待つしかない、らしいです。
私個人の考えは倫理に反するので割愛致しますが、死ぬのはいつでもできるので。私と一緒に自殺以外で死ぬまで死にたいと思う人、やりません?笑
ななしさん
わたしも最後の一行すごく共感します
ななしさん
お気持ち察します。
私も小学校1年の時から死にたいと思っていました。自分のお誕生日会の時にやったかくれんぼで、見つけられるのをじっと待っている時に「しにたい」と指で書いていたことを思い出します。
風呂も歯磨きも、本当は全然やりたくありません。それをやらないと社会的に迷惑をかけるので嫌々やっていますが。
食事も別に取らなくて済むならそれでいいし、カプセルのようなものでも構いません。
寝ることだけが唯一の嗜好です。
そんな自分ですが、流されるままに怠惰に就職し、命じられるままに仕事をしていたら何故か評価され、部下15人を持つ課長をやっています。一度「業務に情熱的」と評されて、心底驚き、同時に気持ち悪く感じました。
実際は断るのが面倒で、ただ目前の仕事を片付けているだけです。
自分が空っぽなので、仕事を命じられたほうがまだマシです。時間が勝手に埋まるし、生きていても他の生物の犠牲を増やすだけだという事実から目を逸らすことができます。
一昔前なら業務過多で過労死していたのでしょうが、幸いにして今はライフワークバランスとか、就業時間の規制など様々な枠があるため、死ぬほどの負荷もありません。
こんな例もありますので、試しに就業はしてみても良いと思います。会社には意思を伴わない歯車としての人間の方が重宝される場面もあります。
無闇に「感動」だの「一体感」といった感情の発露を求められていた学生時代より、単に成果だけで評価される会社の方が余程楽です。むしろ感情を出さない方が高評価を得られます。
どう生きても寿命までは生きてしまうのです。少しでも楽な方へ。
ななしさん
ね。
ななしさん
自分と同じ事を考える人がいて安心しました。10年後生きている自信が無いとずっと思っていました。ですが、頑張っていたいです。
ななしさん
すごく共感しました。
2歳頃からずっと、人と関わると気持ちが悪くなり、死にたいです。
子供の頃の夢は「自由になりたい、早く死にたい」で、高校時代の課題のライフプラン表にも「自殺」しか思いつかず、何も書けませんでした。大学時代は、体重を落としたり自分の身体を深めに切って血を集めている時だけ、物珍しさで少し気が紛れました。
人が気持ち悪いので、社会参加のモチベーションも当然マイナス値です。色々出来るようになれば、もしかしたら死にたさが和らぐかと思い、努力と自殺未遂を繰り返していますが、頑張れば頑張る程に周りが怠け始める経験などから、根本的に人が嫌いになり過ぎて常に死にたいです。
友人や夫はなんだかんだで物欲があるので、こういった内容の話が合わず、話していて孤独を感じます。こちらで似た感性の方々の存在を知れてよかったです。
ななしさん
すごく分かります。
自分も子供の頃から何故生きてるんだろうとそればかり。
瞬間的に良いことや楽しいことがあったって、死ぬまでの埋め合わせというか…。そのくせ辛いことや悲しいことが多い。
すべて無意味だと思うし、そうすると何もかもが面倒です。
同じような人がいて、少し安心しました。
ななしさん
ジーク・イェーガーと同じ考えですね!
ななしさん
20代半ばです。わたしも同じです。子どもの頃から生きづらさと希死念慮があり、大学生になっても就職しても変わりませんでした。社会人1年目で本格的に生きるのがつらくなって通院と内服もしていました。結婚して転職し、夫と暮らすのは落ち着くししあわせですが生きづらさと死にたい気持ちの波は変わらないです。
小瓶さんのお話、みなさんのお返事を読んで、同じような人がたくさんいるな〜と思って少し救われました。いまは夫と暮らすのが楽しいし、いつでも死ねるのだから、いまは夫のためにできることをしていこうかなと思いました。
ななしさん
同感します。
ななしさん
私も小学3年生の頃からずっと同じ気持ちです。
まず、ずっと言語化できずもやもやしていた気持ちを言語化して下さった投稿者の方に感謝致します。
大人になったら死にたい気持ちは消えると信じて生きてきました。だから、二十歳を終えるまでは頑張るとこころに決めていました。
数日前私は21になってしまいました。しかし、幼い時からの感情は全く消えず、絶望しています。死にたい気持ちは募っていくばかりです。どうしたらいいか分からず、目をぎゅっと瞑って開けたら自分の存在が消えていないかなとかそんな不毛なことしかできません。
ななしさん
力が抜けました。ありがとうございます。
わたしも子どもの頃から、死にたいという考えがずっとあります。そう思わない人が羨ましいです。
ななしさん
気持ち、分かります。
わかりすぎるくらい
ななしさん
就労は試みてもいいかなと思います。
絶望してる人は不思議と仕事ができる人が
多いと思います。たぶん、承認欲求や競争心が薄いからかと。
ななしさん
わかる。すごくわかる。
ななしさん
私も小学生の頃から死にたかったのですが、アラサーにて死にたくないかは、盲目的に楽天的な未来を信じられるか否か、という結論にたどり着きました。
つまり、一つの電球でも前者は狭い道だからで事足りる(一つの可能性しか考えない)、後者は広い道だから足りない(様々な可能性を考えられる)=不安を覚えることだと考えました。
きっと、貴方も様々な事を考えられる方なのだと思います。でも、それは生きる上で仕方のない事で、それでも私も貴方も生きているのは、だからこそなのだと思いますよ。
私はこの歳になって、嫌だったら何もかも構わず死んでやると開き直って生きています。
貴方を応援しています。
ななしさん
同じこと考えてます。
私も苦しい。
ちょっとやそっとでは変わらなくて。
話は変わりますがノヴァル・ハラリだだったか、海外の学者さんが書いた「ホモ・サピエンス全史」という本にヒントらしきものはありました。
我々の祖先の原始人が、幻覚性のキノコだか何だかを食べるようになって、脳組織が変容した可能性。
その時に地球上の生物で唯一『虚構』を信じられるようになった、と。
虚構を信じるとは物語を信じると言い換えてもいいです。
他の動物とは桁違いの集団的結束を可能にした宗教、国家、文化習慣などが良い例です。
人類が生態系の頂点に立ったこの能力が、私たち少し足りないんじゃないでしょうか。
人間の生存能力として虚構を駆使しなければならない(集団に溶け込まなければならない)のに、『それって本当のところ価値あるの?』と思ってしまう。
現生人類はホモ・サピエンス一種ですが、同時代に生きた絶滅種のネアンデルタール人とも交配はしていたようです。彼らは虚構を信じる能力がない、もしくは高くなかったと見られている。
私たちネアンデルタール人の血が濃いのかもしれませんね。妄想ですけど、隔世遺伝かな。
彼らの時代は即死につながる危険と隣り合わせの生活だったから、現代の複雑に虚構が絡む社会に呼び出したら、訳が分からなくて発狂するかもしれません。
何が言いたいかというと、私たちは信じられる虚構・物語をもってこそ生存できる種族なのに、その部分が働いてない私たちは、物語を持たないという物語が必要なのかなと。
手ぶらではいられないけれど、白紙のノートを持つことは出来るし、それが必要なのだと。
変な話でごめんなさい。
私たち虚構や物語から醒めてしまってシラフが責められる飲み会に迷い込んだ会社員みたいなものなんじゃないかなあと思った次第で。
少しでも気晴らしになるものが、
あなたや、ここの人たちに見つかればいいなと思います。
ななしさん
自分と同じ考えの人がいるんだと勝手に安心しました。
お風呂も歯磨きも食べることも
生きる上で当たり前のことすら
全て面倒くさいです
起きるたびに思うのも
まだ生きてるって毎日思います!
何で生きてるんでしょう?
ななしさん
歯磨きや風呂のお話、私と同じで驚きました。
小学3年生の頃から生きたくないと考えるようになりました。社会人になった今でもどうせ死ぬし、どうせ私なんて、という考えが拭えず熱中できるものはありません。
でも、最近主さんが考えているような思考をする頻度が減ってきました。
理由は2つあると思います。
1. 仕事忙しく考えを巡らせる時間が少なくなった。
2. 私を必要としてくれる人(犬もいる)が現れた。
まあ一つめは本質的ではないですが、二つめに関しては私の価値観をほんの少し変えるものでした。
誰かに必要とされるとある種の使命感みたいなものが生まれ、他人ありきで自分の存在価値を見出せるようになってきました。
根本的な考え方は主さんと同じですが、世の中に一定数いる、活き活きとして人生を楽しんでいる動物達の”生”に自分が少しでも、瞬間的にでも、必要とされればそれでいいかなと。生きてやるか、と思っています。
ななしさん
全く同じこと思ってました。なんか同じこと思ってる人がいて安心しました。
ななしさん
ヘルパーズハイってご存じですか?
ご存知なければ検索してみてください。
どんな酒や薬より多幸感が味わえ、
死にたい気持ちが薄れます。
これは癖になります。おススメ。
ななしさん
私も、小学生の頃から死にたいと思うようになりました。
友達を束縛しすぎて、自分が嫌になりました。
その時から思った事を小声で言ったり
暴力を振るようになってしまいました。
こんな事したくないと思っているのにやってしまいます。
部屋に誰もいない時はすぐ泣いてしまうようになりました。
『 自己嫌悪』だと思います。
20歳になったら死のう。
と、思ってました。
ななしさん
40代女です。
主さんと考え方がとても似ています。
私の場合は、流れに逆らわずにいた結果、3人の子どもを持つ母となりました。主さんの意に沿わない結果となりごめんなさい。
どの子も同じ母が産み育てたと思えないほど、タイプが違います。私ともタイプが違います。
生物として種の存続の為に、バラバラの個性を強制されたと解釈しています。私のこの他人とは分かり合えない考え方も、です。
人間の無意味さは、シンギュラリティによって新たな解釈が生み出されるのでは、と密かに期待しています。
でもどうせ、終わりは来ます。あせらなくても人類は滅びるし、主さんと私達の苦悩が終わるのはもっと早いです。楽しみですね。
ななしさん
私は十三歳ですが私も同じように思っています。人生いつか死ぬのに必死に足掻いて、周りと合わせるために仮面をかぶることが疲れました。
ななしさん
考えが一致するものが多く驚きました。
今まで小瓶さんと似たような自分の考えを他人に話して、共感を得たことがありませんでした。似た考えの方に出会え、感動しています。
最後の一文に、激しく同意します。
ななしさん
私も同じです。
生きることが辛くて死ぬことを考えたりします
何をしたって頑張ってもなんにも変わらなくて
ななしさん
私も小学生の頃自殺をしようと計画を立てていたことがあります、実行には至りませんでしたが。18歳の今も、暇になったり1人になると死にたいと思います。将来簡単に人を殺せてしまうような職業につくので近い将来こっそり死のうかと思ってます。
ななしさん
私も小学生の頃から同じようなことを思っていました。自分が生きていても死んでも特に問題ないと思いますし、自分以外の誰かが死んでも、正直「だから何?」と思ってしまいます。同じ種類の生物として、人が殺されると人は恐怖を感じ、同じ種類の生物を守りたいという本能から、殺人はしてはいけないと大多数の人は思っているんだと思います。でも正直どうでもいいです。人類滅亡してもいいと思います。人類絶滅しても、動物が一種類いなくなるだけです。
しかしだからといって自殺する勇気はないですし、誰かを殺そうとも思いませんし、痛いのも苦しいのも嫌なので、自分が死ぬまで待つしかないかと思っています。
そして死ぬまで待ってる間、退屈なのは、それはそれで苦痛なので、適度に目標と楽しみを作って達成し、また目標と楽しみを作って達成し、というのを繰り返しています。
同じようなことを考えている人がいて嬉しいです。投稿してくださってありがとうございます。
私は死ぬまでの暇つぶしの間に、この思いは何なんだろう、自分の存在って何なんだろう、というのを見つけ出すことを小さな目標にしています。まあ、見つけられなくてもいいんですけどね。
ななしさん
私も同感です。惑星でもぶつかって地球もろとも滅びてほしいと常日頃から願っております。
ななしさん
分かります。どうせ死ぬのになぜ生きてんだろう。何してんだろうと日々思います。この私が到底世の役に立つとも思わないし、かといって生きた爪痕を残したいとも思わないし、そもそも人間なんかいない方が地球は平和だと思います。一体人間は何のために存在して何がしたいんだろう。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。