ななしさん
自殺したい本人が死んでしまったら、本当に自殺願望があったかどうかがわからないからです。
遺書なんかいくらでも偽造できますよね。だから自殺に見える現場でも警察は一応調べるんです。他殺の可能性はないのかと。
それに、いくら普段から死にたい死にたい言っていても、いざナイフやロープなどを見たら怖くなってやっぱりやめると言い出す人もいるでしょう。
それを「自殺を手伝えと言っただろう!」と押さえつけて殺したら、それは手助けですか?もはや殺人ですよね?
本人の死ぬ意志が明らかなのは、自殺以外にあり得ないのです。
原則、他人の死には介入すべきではないと思います。
死んだら灰になって終わり、100%幸せにはなれません。苦しみから解放されたのは幸せと言う人もいますが、現実的に考えたら死んだら意識がないのだから、幸福感だって感じられないのです。
でも生きていたら、いつか幸せになれる可能性がある。少なくとも死ぬよりはある。現に若い頃死にたがっていた人で今幸せな大人もたくさんいます。
数%であっても、その人が幸せになれるかもしれない可能性を、他人が潰すのはやっぱり駄目なのです。本人が自分でやらないと、そんな可能性は要らない、信じないと決心した証拠にならないのです。
だから自殺は犯罪ではないけど、自殺幇助は罪なのです。
自殺幇助は、死にたい側からしたら救世主だと、書いてありますね。
では、幇助する側にとって自殺したい人とは何ですか。
他人の手を汚したまま去っていく人。
自分で頼んでおきながら、相手が命を奪った重さを、共に背負うこともしないまま、自分だけ意識を失って楽になる人。
そんな関係は、どう考えても、不公平だと思います。
生きるにしても死を選ぶにしても、自分を本当に救えるのは自分自身だけなのです。
自分の命や人生を他人任せにしていては、生きても死んでも幸せにはなれません。