今日、50歳になったおばさんです。
支えてくれる夫がいて、大きく成長した大切な子どもたちもいます。
ですが、どう頑張っても「死にたい」という気持ちが消えません。
普段は全くそんなことを感じていないけれど、医師いわく、理性で止めているだけなんだそうです。
根本的な部分で「死にたい」気持ちがあり、消えないのです。
消えないため、疲れていたり、気持ちが沈むと「死にたい衝動」が起きます。
起こるけれど、そんなことを誰にも言えるわけではなく。
夫は心配するでしょうから伝えられませんし、子どもたちへは、私のそんな気持ちを伝えられても、彼らは困ると思うので言えません。
私は、何故死にたいのか?
幼少期に受けた虐待が起因しています。
医師からは「かなりハードな虐待。あなたのような体験をした人はなかなかいない」と言われました。
身体的虐待・精神的虐待・性的虐待・ネグレクト。様々な経験から、私は身体や心の痛みを切り取ることができるようになりました。
どんな痛みでも「痛くない」と念じれば、痛みがなくなりました。血が出ても、やけどをしても、「痛くない」と思えば、本当に痛みが消えました。
耐えられないことも「これよりも辛いことはたくさんあった」と考えると、心の痛みも耐えることができました。
けれども。
10年前、本格的な治療を始めてから、「痛み」を切り離すことができなくなりました。
治療が進んで回復が進むにつれて、「痛み」を受け入れることが、できるようになったらしいのです。
切り離すことができなくなってから、苦しくて苦しくてたまりません。
回復するには、虐待を受けた年数の倍以上もしくは3倍以上、それくらいの期間が必要だと聞いています。
その話を聞いたとき、はたして自分の寿命が来る前に、回復できるのだろうかと、絶望感を感じました。
当時、私はすでに30歳をとうに過ぎていたからです。大人になっても親からの暴力は続いていました。
もし、今の私が10代の私だったら。
そこから30年時間が経ったとしても「苦しみ」から逃れられないこと、
「死にたい」気持ちが消えないこと、
消えないどころか、その気持ちをどう頑張っても消すことができず、延々と苦しみ続けていること、
これらのことが30年先にあることを10代の私が知っていたら、
生きられなかったかもしれないな、と思います。
子どもの頃からの苦しみは、形を変え、続いています。
この年になると、心の傷は消えたり、癒えたりすることはないんだなと気付きました。
どうやって付き合っていくか。ただ、それだけなのだ、ということに気付きました。
ものすごく狂暴で獰猛な生き物を、身の内に抱えているようなものです。
それを手懐け、暴れないように、だましだまし、いかに生きていくか。生き続けられるか。
その毎日を粛々と続けていく。ただ、それだけなのだと思います。
幼少の体験が、ここまで色濃く日常に残るとは思いませんでした。
60歳、70歳……死ぬまでこの状態なのだと思います。
10代で死んでも、30代で死んでも、50代で死んでも、その当時の自分が抱えている「苦しさ」「死にたい」気持ちの強さは、変わらないと感じます。
少なくとも私の場合は、変わっていません。
変わった点は、年齢を重ねることで、エネルギー量がなくなり、10代、20代、30代のような勢いが無くなった、この一点のみです。
リストカットやODも、しなくなりました。そこまで追いつめられると体力的な限界がきて、気力が湧かなくなるのです。
それは、今の私にとって、良いことなのかもしれません。
本当は今、苦しくて、苦しくてたまらず、言葉を記したのですが、
書いているうちに、気持ちが少しスッキリしました。
家族がいても払拭できない気持ちも、
こうやって文字にして吐き出すと、楽になるものなのですね。
最後に「良いことなのかも」という言葉が出てくるとは思いませんでした。
こんな駄文を読んでくださり、ありがとうございました。
名前のない小瓶
55569通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
大丈夫、
大丈夫
大丈夫
深呼吸して
ゆっくりゆっくり
落ち着いて
落ち着いて
ななしさん
(小瓶主)
小瓶主のおばさんです。
あれから一年半経ちました。
お返事いただけると思っていませんでした。本当にありがとうごさいます。くださった方に感謝します。
あの後、双極II型障害と診断がおりました。
脳の機能がその障害になりやすいタイプなところに、ストレス(虐待)が原因で発症です。完治はしません。死ぬまでこの病とお付き合いです。
ずっとうつ病だと思ってました。
なかなか良くならないな……とは思っていたのですけれど、診断がおりて、それはうつが治らないわけだ、納得。と思いました。
「治らなくちゃ」「治さなくちゃ」と思っていたようで、診断が出て、少しホッとしている自分に気付きました。「どこまで頑張ろうとしているのだろう、自分」と苦笑です。できないことはできない、となかなか言えない自分。そうして生きてきて壊れたのに。
死にたい気持ちは今も時々襲ってきますが、今は少し良い意味で抗えています。
それまで死にたい病が襲ってきたときは「大丈夫、大丈夫」と唱えたり、寝てしまったり、猫を撫でて落ち着こうとしたり、夫にハグしてもらったりしていましたが、最近、「元気になりたい」と心でつぶやくと、とても落ち着くことに気付いたのです。
私は治りたいでもなく(治らないから諦めてます)、平気になりたいわけでもなく(どう頑張っても平気じゃない)、大丈夫なわけでもなく……単純に「病を抱えていても元気」になりたかったんだなと気付いたら、本当に楽になりました。
辛いときは「元気になりたい」。
「元気になる」でもなく、「元気だ」でもなく、「元気になりたい」が私にはピッタリでした。
最近はこの言葉を呟いて、気持ちを立て直しています。
最初の投稿から、今はこのような生活をしておりますこと、お返事をくださった方にお伝えいたします。
だいぶ前の投稿ですので、伝わるかわかりませんが、感謝の気持ちを込めて。
皆様が今年一年、温かな年でありますように。
ななしさん
小瓶主様へ
主様ほどではないかもしれませんが、似たような経験があり、生き辛さを抱えています。
読んでいて、たくさん涙を流しました。
名前のない小瓶
こんばんは
幼少期からの苦痛
その為の長い治療
ご自身の経験だけでも大変な中
家庭を築き
ご主人やお子様を育て上げるなんて
並み大抵のことではありません。
生きているからこそ苦しみがあるのだと思います。
それを貴女は知っているからこそ
死にたいと考えるのではありませんか?
頑張って生きて下さいとも
死ぬことを勧めることもしません。
充分な悟りがこの文章から伝わってきます。
今日、私が小瓶を拾いました。
ななしさん
あなたの文章に力づけられる思いです。
この気持ちは死ぬまでこのまま、という確信が新たになりました。
絶望することはかんたんですし、その流れに乗れば
もしかしたら自死も可能かもしれません。
でも、そのたびにこの文章から受けた感覚を思い起こすでしょう。
20年近くもの間、治療にとり組まれた姿勢に
ご自身の人生を生きてこられた軌跡に敬意を表します。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。