錆びたナイフ
ナマクラの刃
抜け落ちた牙
突き刺さったままの毒の刺
癒えぬ心
何故、人には感情が在るのだろうか?
要らない感情、
醒めた心が欲しい
そうしたら心をえぐられる事は無い
醒めて無関心に成れれば人の心をえぐり傷付ける事も傷付けられることも無いだろう。
醒めた心が欲しい
でも
歪んだ心は要らない
根腐れした心も要らない。
醒めた心が在れば悲しみや心の苦しみに苛まれる事は無くなるだろう。
自責の念に襲われず呪詛も吐くことは無くなるだろう。
俺の置かれた状況は生温い。
じゃあ何故なんだ、この衝動的な悲しみや涙は?
生きながら生きながらえ苦しむのか?
苦しみながら死ぬのか?
如何したらこの傷みの感情に折り合いを付け飼い慣らせるのか?
57007通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
いざよいさんに同感です。本当汚れた心なんてなければよかった。
ななしさん
突然ですが
ファンタジーな話をします。
この世界には、実は
なーーーんにも、ないらしいのです。
例えていうと
全ーー部、真っ白のような。
空も、地面も、家も、コップも、
あなたも、周囲の人も、
全部、境目がわからないくらい、真っ白。
透明。
からっぽ。
人は、そこに色づけ
意味づけをして遊んでる。
感情って
すごく魅力的なアトラクションだから。
強い喜びも、強い悲しみも
全く同じ。
感情の色彩やコントラストを楽しむ
アトラクション。
最中は気づけない。
全身全霊でバーチャルリアリティを楽しむ
遊びだから。
今は、そのからくりに気づき
アトラクションから降り
その遊びを卒業する人が増え始めてる。
(死ぬ訳じゃない。
目覚めた視点で生きてる。
感情がなくなるわけではなく
感情にどっぷり浸かって遊ぶことが
なくなる。)
全ては無くて、全ては有る。
全ては有って、全ては無い。
仏教系の軽い読み物とか、おすすめです。
ななしさん
確かに、感情がないと傷つき傷つけられることはない。
でもその代わり、「傷つかない、苦しくない。嬉しい、良かったね」と感じることも出来ない。
幸福感が感じられないなら、苦痛がなくな
っても結局意味がないわけで。だったら、傷つくこともあるけど喜びも感じられる今の方がまだマシかな…と思う。
十六夜さんも、折り合いをつけるまではいかなくても、痛みから学んだことはあるでしょう?
「お前、ばーか!」と言ったら相手が泣いちゃった。それからはもう馬鹿というのは止めた。
酒飲み過ぎてうっかり寝坊してめちゃくちゃ怒られた。深酒はやめた。
そんな風に、反省と改善を繰り返してきたでしょう。ひとつひとつの事象は小さくても、集まると大きな成長になっている。
痛みは、温かいだけの喜びよりもはるかに人を深く深く考えさせたり、生まれ変わらせたりする。
だから痛いと感じるのを怖がるよりも、痛いと感じたことを大切にする方が、結果的に豊かに幸せになれる気がする。
体の免疫と同じだね。無菌状態で人は強くは育たない。
ななしさん
それが生きている証なのでしょう。
ダークエンジェル
十六夜さん へ
”生きながら生きながらえ苦しむのか?
苦しみながら死ぬのか?”
たしか貴方は前の小瓶にも同じフレーズを書かれていましたね。私も今日とても悲しい事が有って「苦しく」て、「苦しく」てたまりません。
醒めた心って何でしょうね?
「悲しんで」「苦しんで」そして「辛くて」でもこれが無くなってしまったら、「心」が死んでしまったら、それは生きている「死体」じゃあないでしょうか?
生きる事は「苦しみ」であり「悲しい」事でありそしてそれを認める事かもしれないと思います。
でもせめて死ぬ時くらい、少しは楽に死にたいなあ。
答えになっていないかもしれませんね
でも貴方の気持ちが少しわかる様な気がします。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。