世の中とは「そういうもの」であると皆が言います。
世の中には「固定概念」が存在しており、世の中が「何故そうであるのか」を理解せずに、
その概念が正しいと思い込んでいる人が多いように感じます。
例えば、無職は悪い事でしょうか?
私は働かなくても生きていけるのであれば悪い事ではないと思います。
ですが、働かない人間は悪い人間だとする人も居ます。
理由を聞いても明確に示してくれる人は居ませんでした。
例えば、人並みである事は幸せな事なのでしょうか?
歳を召した方に多い思想ですが、偏差値の良い学校、名のある企業、盛大な結婚、と言った「肩書き」を幸せであるとし、
それを子供に押し付けようとする人が居ます。
そう言うものが一般的に幸せであるとされているのは知っています。
ですが、私には「肩書き」に幸せを感じる考え方が理解できないのです。
一部を上げましたが、他にも沢山の固定概念に悩んでいます。
人は何故、生まれて、悩み、考えて、自ら出したわけではない、
他人から提示された答え、「固定概念」に自分の人生や思想を預ける事が出来るのでしょうか。
私は子供の頃から、自分の出した答え以外を信じることができません。
これが正しい答えだよと大人から教えられても、無条件で信じることができないのです。
何故そうであるか、何故こうなったのかと悩み、自ら筋道を解き明かし、道理の叶った自らの答えしか信じることができません。
大人や世間から安易に提示された答えには、何かしら利権や思惑を感じてなりません。
貴方は何故そんなあやふやなもの、固定概念を信じることができるのですか。
何故、それを当然のように振る舞い、他人に強要するような人間も居るのでしょうか。
私には他人が理解出来ない。
他人が怖いのです。
私にはこの世は固定概念で凝り固まったこの歪な世の中に見えます。
貴方にはどう見えますか?正常な世の中ですか?
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
5通目のものです。
主さんの言いたいことをよく考えて、まとめてみました。
>また、私以外に聞いても固定概念など「見えない」と答えるはずです。
一番最初に言うことがこんなことで申し訳ないのですが、それは、主さんのいう固定概念ではないでしょうか。本当に聞きましたか?
私の答えも固定概念…というか、予想(言葉の逃げ道みたいかもしれませんが)になってしまいますが、「あるかもしれないけど、自分ではわからない」と答える人が多いと思います。「見えない」もしくは「そんなものない、私は何にも振り回されていない」と言い切れる人は、よっぽど自分を理解していない人だと思います。
>私自身は「ない」方に合わせています。
でなければ人間として扱ってもらえないことを学んだ事があるからです。
ですが、私自身は「ある」と考えています。
うまく場面が想像できませんが、「私は固定概念があると思っている」ということを誰かに伝えたのでしょうか?主さんの文を見てると、しっかり自分の意見を伝えたい方のようなので、伝え方が強くて、向こうが気圧されてしまったのが、誤解を招いたという気がしました。違ったらごめんなさい。
>深く考えず、今あるがままの表面上しか見ていない人が多いと私も感じます。
確かに、私たちは普段からものの真理などを深く考えずに過ごしていると思います。それが固定概念を作り出しているということでしょうか。耳が痛いです。
>私がそれを選ぶことでどんなメリットデメリットがあるかを考え、それが事実か否かを考え、
他人の感情や意見を全て取り除いて私が考えたことのみで構成された思考が私の考えです。
それができるのは素晴らしいことだと思います。大抵の人は、重大な決断をするとき、不安になり、人生の先輩の例を聞いて安心したくなるものです。
>であれば、すでに人間はそんな人間ばかりになっているはずです。
お年を召した方のほうが固定概念が強いのはなぜなのでしょう。
頑固者が多いのはなぜなのでしょう。
どうしても、個人差で、視野が広い人と狭い人が出てきてしまうからだと思います。
高齢者の方が頑固な方が多い理由は、残念ながら正確なことはわかりませんが(悔しい!><;)、年を取ると頭が固くなるものなのかもしれないし、その年代の方々がたまたまそうなのかもしれない。
こればっかりは実際に年を取らないとわかりそうにないです。
>子供ができて幸せだから生んだほうがいいという意見を、子供が欲しくないと考える人に言うのはどうなのか、といった感じです。
押し付けられるのが怖いということでしょうか。この場合は、相手も幸せになってほしいという期待から来てるので、善悪で考えるのは野暮じゃないかなと私は思っちゃいます。意見が違うなら、やんわり流すしかないと思います。「いや、私は欲しくないです」ときっぱり断るのは、相手の顔を曇らせるだけなので、いいことないです。お互い幸せな感情の方がいいです。そうじゃないと、巡り巡って自分が困るだけでした(自戒)。話がそれてすみません。
>ですが、年の差恋愛の意見は理解できません。(中略)
何故実体験でもないのに他人に対して「自分がそう思うから」と言うだけの想像で他人に意見出来るのでしょう?
この場合は、年下の方(特に未成年とします)に危害が及んだら取り返しがつかないからです。妊娠して責任が取れなくなったり、学校を辞めざるを得なくなる、その他情緒的な問題。年上の方が信用できる人かわからず、年下の方をそういった形で無責任に振り回す恐れがあったら、追い払わざるを得ないのです。もちろん、産んだ子はお互いで育てるし、学校を辞めることに躊躇はない、周りもそれを信用し認めるというなら、ひとまずうまくいくでしょう。でも身内が認めても、やはり社会は上記のような概念を持っているので、騙したとか、お互い相当悪く言われると思います。そこまで含めての「だめ!」です。
>代々受け継がれてきたら従うのが当然のですか?
何故?
そのあたりがわかりません。
当然だからというより、そのときは社会的に経験が不足していて、他の良い方法が思いつかなかったのではないでしょうか。
その頃は、働けば働くだけ生産は増えるというのが、今までやったことないものだったので信じられていて、やってみたら失敗して、今は休まないと生産できないというのがだんだんわかりつつある。気づくのは時間がかかるんだと思います。特に社会単位となると。
現代でも多分、今はこんな(?)流れだけど、未来だと想像もつかないような考えにシフトしているかもしれません。
でもこれがきっと固定概念なんですね。
良い方法が思い付かない?ということの例として適切ではないかもしれませんが、イラストの絵柄の流行り廃りがあるかなと思いました。
そのときは今の絵柄が可愛いと思って描いてる人が多いけど、経験を積んだらどんどん絵柄が変わっていくというのに似てるなと思いました。
>世の中は常に変化していってます。
えぇ、そこが変わるの!?といった変化を貴方だって目の当たりにしたことがあると思います。
前の時代で意味があったから従わなければいけないのでしょうか?
これから意味があるからと言われたらそれに従うのが当然なのでしょうか?
ちょっと貴方の言ってることはよくわからないです。
従えってことではなくて、歴史的に見て過去ではそうだったんだ、ふーん(=今は今だけどね)ということです。伝わるかな…?
これからの経験次第でというのは、未来にまたできるであろう固定概念のことです。わかりにくくて申し訳ないです。
ななしさん
1通目の者です。
お返事を頂いたのかと思いきや噛み合っておらず???となり、どうやら違う方へのお返事だったと分かりました(^_^;)
最初は誰だって受け入れられません。
ただ色んな人に出会い、色んな意見を知って徐々に折り合いをつける事を覚える人が多いのかなと思います。
例えば子供の頃は相手が悪いと思ったらすぐ責めてしまう。
でも人生を重ねていく事に、責める前に相手に何故と問う事を覚える。
そうやって知っていった事を大人は言っているんじゃないでしょうか。
先の事を言われても納得できないでしょう。
大抵の人は若い頃に今お金を貯めておかないと老後が……なんて中々思えないでしょうし。
漠然な言い方ですみません…貴方の悩んでいる事の中にはどうしてもある程度歳をとってみないと分からないこともあります。
生きていく上で自然に学んできた事もありますから。
若い頃は親に反抗したりなんで感謝をしなければいけないんだと憤慨していた方の中にも、自分に子供が生まれて初めて親の気持ちが育児の大変さが分かり、申し訳ない、あの頃の自分をぶん殴りたいとまで書いてらっしゃる方などもいます。
もちろん家族に苦しめられた人もいますのでそれはまた別です。
私も養子で色々ありましたので。
ただ、それでも30になり、子供が生まれ、色々新しく気づく事が増えました。
とても厳しかった養祖母でしたが、あの頃は更年期障害もあったのかもしれないなと今はそう思える様にもなりました。
養祖父も、私の気持ちなぞ全く知ろうともしなかったのである種の発達障害だったかもしれないと思います。
そうやって生きていく上で気づく事も沢山ありますから、今答えを焦る事もないと思いますよ(^ ^)
ただ、貴方のそこまで意思と言葉が出てくる事はすごいなと思います。
勝手な意見とわかっていますが、コメンテーターなどその手の道に進むのもいいんじゃないでしょうか(^ ^)
ななしさん
そう訴えてる時点で貴方も歪んでいるという固定観念にとわられてしまっていますよ(^_^;)
言葉って不思議なもので、大抵自分に返ってきてしまうものです。
貴方は周りの意見を気にしすぎです。
放っておけばいいんです。
それぞれに考え方があるという事が当たり前なんですから。
そのまま気にしていると心を病みますよ。
考え方があるのは仕方がないし、気楽に生きるのも大事な事です。
適当って言葉を聞くと悪い言葉にきこえませんか?
でも本当は適度に手を抜くって意味なんです。
それは生きていく上でとても大切な事です。
他人の事を必要以上に気にするから、他人が怖くなるんです。
私はすべての考え方を受け入れてみたい。
いつもそう思います。
もちろん私を攻撃してくるような人は程度によりますが(^_^;)
来るもの拒まず去る者追わず
でいいんだと思いますよ(^ ^)
周りの全ての意識を変えたいと思うのならもう教祖様になるしかないです。
貴方は思想家なのかもしれません。
それ自体は良いことだと思います。
だけど、病的になるほど考えすぎるのは貴方の為にはなりませんよ。
心の潔癖症になってしまいます。。。
なので、ある程度適当になる事をおすすめします(^ ^)
私も貴方の意見にほとんど同意です。
無職の人が幸せに生きれるのなら・・・
自分でインターネットで楽曲を作って売ってお金にして儲けているというなら文句はありませんが親に頼っているならそれは違いますね。もちろん幸せならいいじゃないかという意見も分かりますが客観的にみると所詮親に甘えている人ですよ。無職の人も過去に辛いことがあってという場合もあると思いますが。
私は、無職が悪いとは言ってませんよ。だけど自分で働いている人は「俺たちは必死に働いて家族を養っているのになぜ無職のお前の方が充実した生活を送っているんだ」みたいな嫉妬心?を持っているのではないかと考えています。
固定概念で凝り固まった・・・
所詮人間はそういう生き物なんですよ。
↑これも固定概念。
人によって固定概念は違うでしょう。
十人十色という言葉があるように人それぞれで「当たり前」「普通」というのも変わってきますし。
これが社会なんですよ。
自分の意見なんて通してくれない。
この世界は「当たり前」出て来ている歪んだ世界なんですよ。全ての人が「自分目線で物事を考えている」
ななしさん
世の中とはそんなもの、は案外当たってはいるかと思います。
世の中という我々が実在しているこの世界にはいくつかのルールのような法則があり、これをしたら嫌われ、これをしたら好かれやすい、ああいう考えの人はこんな人だ、こういうものに興味が湧くのはあの人はこうだからだ、などなど…ルールという枠付けをせずとも似たりよったりな事実があることは確かです。
そして、ルールが嫌いだ、なぜ皆んなと同じように生きていかなきゃならんのだ。というような考えの人は同じような考えの人とどこか似ている箇所はよく見たらあるなと思います。つまり個性的であるという自分に酔っていたい人間もいれば、決められたレールの上で生きたがる人もいれば、ただ怠惰に世を渡り歩きたがる人間もいれば、自由な旅人のように生きたがる人もいる。
生き方は人それぞれ違っていい。が、他人に迷惑をかける人間にはなるなってことだけ。
自我が強く自由に生きたい人間なんか五万といるのだ。しかし冒険してみる、してみないは個人の自由。したから偉いってわけじゃないし、その逆も然り。
ようは貴方達が自分の人生に責任を持てますか?ってこと。自由に生きたい=責任から逃れられる、ってわけではない。自由の中にも責任は付いてまわる。自分の納得いく生き方は口では簡単に言えても実践と、その実践を続けられるかはまた別。
その自分の生きたい道に他人を巻き込むのもそれはまた間違いである。
自由に生きたいならまずは自分一人で一人前に歩いて。
そして土台がしっかりしてから、誰かと生きようと考えなさいってこと。
これは自分自身に対しても心の中で言っていることです。
まず基盤がしっかりしていないのに、欲するなってことです。
・1通目の方へ
>世界はその人がそう見るように見えるものだという気がします。
・果たしてそうでしょうか?
その見方は周りや、環境や、社会や、色々な積み重ねで捻じ曲げられていないと言い切れません。
一番純粋な見方は、法やモラルの存在していない人類が誕生した直後の動物的生活をしている時以外には存在しえないと私は考えています。
>そのようなもの、としてこの世を見るのは人は案外習慣を鵜呑みにし変化を嫌うからではないでしょうか。
・わかります。
変化を嫌うというより平和な部分を変える必要がない。
また、自分が変える責任を負いたくないと言った意味合いもあると思います。
人自分以外の責任を負いたくない、負わされたくないものですから。
>また本当に世の中は肩書きやら固定概念だけで成り立っているのでしょうか。
・沢山の肩書や固定概念で成り立っていると思います。
もちろんそれだけではないことも理解していますが。
>私が小さい頃は携帯電話話販売をする人やYouTuberという職業はありませんでした。この先もきっと今はない職や概念は創られる気がします。常に今が世の中の最先端だと思います。
・携帯電話やYouTuberの話は私の提起する質問の答えとは少しずれているように思います。
ただ、変化という意味合いでは確かに世の中はどんどん変化していってます。
ではなぜ変化していくのか、新しいものが想像されるのか。
今までのものが間違いを秘めていた、
もしくは修正されるべき可能性を秘めていたからではないでしょうか。
そのような潜在的な危険性を疑わずに従っている人たちに私は恐怖を感じるのです。
>固定概念で凝り固まっていると見れば、この世はそのように「見える」と思います。
・固定概念で凝り固まっていないのであれば、そもそも私には「見えない」はずです。
また、私以外に聞いても固定概念など「見えない」と答えるはずです。
ですが私は「見える」人ですし、他にもそのような人が存在します。
であれば、固定概念はあると言えます。
>どちらに合わせるのか、ご自分のフォーカスする点をずらすということもありだと思います。
・私自身は「ない」方に合わせています。
でなければ人間として扱ってもらえないことを学んだ事があるからです。
ですが、私自身は「ある」と考えています。
自分を偽り続けねばならない苦しさにも悩んでいます。
・2通目の方へ
>私は一人でいることに極上の幸せを
感じます。自分の世界観を邪魔されない
からです。同時に孤独も感じます。なぜ
分かってもらえないのだろうかと。
・私も一人の時間が一番落ち着きます。
他人に合わせることは出来ますが、心や体を擦り減らしながら、それを悟られないようにやらなければいけないので毎日苦労しています。
その苦労が他人の目に映ってしまうと嫌なら無理に合わせるなよ、と言ったことにもなりますし、日々難しいものです。
私は孤独は感じませんが、解ってもらえない葛藤はあります。
ですが、もうあきらめにも似た感情があり、なるだけ他人とかかわらないことで自分を保つようにしています。
>自分の世界観というより、直観的に、
世界はこういう仕組みになっていると
感知しない人が多過ぎるという悲しみや
憤りです。
・深く考えず、今あるがままの表面上しか見ていない人が多いと私も感じます。
何故そうなのか、何故こうなるのかと言った道理を聞いても、
そうなってるからそうなの、といった結果しか返されず、過程について考える人がとても少なかったです。
>とはいえ、承認されたいという気持ちもあります。
・立派ですね、他の人にも説こうとは。
私はもう話にならない人間ばかりで、そもそも自分に係わる部分以外には他人に干渉しないようにしています。
私もまた弱い人間であり、自分の縄張り(思考や考え方)を侵されて生きていけるほど強くありません。
今自分が生きていくだけで精いっぱいで、他人の考えまで変える余裕がないです。
>私はこれからも
否応なく自分が知覚しているこの世界の
仕組みはどうなっているのかということを
問い続けて行くと思います。
・頑張ってください、私はもう疲れてしまいました。
>現実を変化させる方法を知っていれば、
教えてください。
・人が価値観を変えることはありません、変えようとしていないからです。
変えようとしている人間は変わることができます。
ですが、今世の中にあふれる人間のほぼ全てが変わろうとしているようには私は思えません。
ですから、一部を変えることは出来ても、多くは望めないと思います。
3通目の方へ
>「自分が出した答え以外を信じられない」
誰でもそうだと思いますよ。
・恐らく、あなたと私の認識にはズレがあります。
詳しくは下記へ。
>「結婚はいいものだ。結婚すべき」という意見。
「結婚なんて人生の墓場。結婚しても別に偉くない」という意見。
どっちもありますよね。
そのたくさんの概念の中から、それぞれが自分の価値観で選ぶんですよね?
・多くの人はそうでしょうが、私の言ってるのとは少し違います。
私は他人の意見を全て考慮しません。
結婚は幸福か不幸かを考える時、感情を入れず事実のみで考えます。
言語化するのは難しいですが、そうですね・・・。
貴方は『>そのたくさんの概念の中から、それぞれが自分の価値観で選ぶんですよね?』
と書かれているように、他人の意見を考慮して決定を下していますよね?
私は他人が幸せそうだからとかで何かを選んだりしません。
私がそれを選ぶことでどんなメリットデメリットがあるかを考え、それが事実か否かを考え、
他人の感情や意見を全て取り除いて私が考えたことのみで構成された思考が私の考えです。
>「働かないのは無条件で悪と言う人」しかいない。
「肩書きを押し付ける人」しかいない。
「『これが正解だよ』と言うくせに、主さんが『なぜ?』と聞くとまともに答えられない人」しかいない。
・そういう人ばかりではありませんでした。
どこかしら理論の破綻があったりしても自分の意見をちゃんと持ってる人もいました。
そういう人が多かった、というのが正しいかもしれません。
これは私の書き方が悪かったですね、すいません。
>単純に主さんがまだ若く、学校とバイトと趣味友と、人間関係の範囲が狭いからかもしれない。
若くないです。
仕事や人間関係で精神を病んで倒れたので療養中です。
>仮に富裕層が多い地域なら「社会的地位を上げるのが良い生き方」と言われやすいはず。
・そういうものです。
貴方が今語った「社会的地位を上げるのが良い生き方」というのは実際に富裕層の方が言った言葉ではありません。
貴方が想像で作り上げた言葉です。
本当に地位を上げるのが良い生き方なのですか?と貴方に聞いても貴方は答えを出す事ができませんよね。
なのに何故「社会的地位を上げるのが良い生き方」だと書き込むことができたのですか。
ただの一例ではあるのだと思います、ですが何故この言葉が一例になるのですか。
それを答えられないのであれば、貴方もまた固定概念に縛られた人間です。
想像で断言するような人間は私は苦手ですし、怖いです。
>今後の人生でたくさんの人に会い、たくさんの感性に触れれば、万人が頷くような、従わざるを得ない固定概念なんてものは実は存在しないってことがちゃんとわかります。
・であれば、すでに人間はそんな人間ばかりになっているはずです。
お年を召した方のほうが固定概念が強いのはなぜなのでしょう。
頑固者が多いのはなぜなのでしょう。
貴方の言ってることは希望的観測に過ぎない。
綺麗事でごまかすのは好ましくないです。
>主さんが固定概念と感じるものは、あくまで主さんの周りの人がそうと信じているものに過ぎません。世界の常識やものさしなんかではないんです。
・多くの人間が信じれば嘘も真実になります。数は力です。
多くの人間が信じるものが正義です。それが事実です。
貴方の意見は目をそらしているにすぎません。
4通目の方へ
>上記の例から考えると「固定概念」ではなく、「一般論」だと判断して書かせていただきます。
・貴方の判断したとおりに書いてください。
私は日本語全てを間違えないように使えるわけではないので、ところどころ正しくない部分もあるでしょうし。
>つまり、自分はしていないので、そのメリットばかりに目がいっているものと思われます。
・私もその考えに行き当たりました。
事実かどうか確かめていない他人の意見や、体験していない想像でモノを語ってますよね。
だからこそその部分に恐怖を感じます。
>従って、善意で一般論を言ってくる人には「なぜ」そう考えるのか経験を問うと良いか
と考えました。
・それを問うてもちゃんとした答えが返ってこない事ばかりです。
そういうものでしょ?と言われてしまえば、私はもう何も言い返せません。
私にとってはそうでなくても、相手にとってはそうなのですから。
5通目の方へ
>意外と、実体験からきているのではないでしょうか。
・多いでしょうね。
ですが、それはその人の実体験であり、私もそうであるとは限らないですよね。
子供ができて幸せだから生んだほうがいいという意見を、子供が欲しくないと考える人に言うのはどうなのか、といった感じです。
>私も子供の頃は確かに、なんで大学の名前や進退で就職先に有利になったり断られたりするんだろう?とか、年の差恋愛はどうしてだめなんだろう?と疑問でした。
・大学の名前で就職が有利になるのは理解できます。
貴方が言う通り、努力の証として認められやすいですから。
ですが、年の差恋愛の意見は理解できません。
『>同年代からすると冷めた目で見たくなるし、年下の方が心配になるものです。』
これは他人が傍から見た想像の意見であり、自分が年の差恋愛をしたから出てきた意見ではないですよね。
何故実体験でもないのに他人に対して「自分がそう思うから」と言うだけの想像で他人に意見出来るのでしょう?
何故想像で他人を冷めた目で見るのでしょう?
それが理解できません。
>ブラック企業とかで、休まないのが偉いとされてしまうのは、企業を作った上の世代、辿れば戦時中の世代が、頑張るのをよしとしたのが、代々受け継がれてきてしまったのではないかと思っています。
・代々受け継がれてきたら従うのが当然のですか?
何故?
そのあたりがわかりません。
>つまり、今は意味がないようなことでも、前の時代では意味があることだったり、これからの経験次第で意味が出てくるのだと思います。
・世の中は常に変化していってます。
えぇ、そこが変わるの!?といった変化を貴方だって目の当たりにしたことがあると思います。
前の時代で意味があったから従わなければいけないのでしょうか?
これから意味があるからと言われたらそれに従うのが当然なのでしょうか?
ちょっと貴方の言ってることはよくわからないです。
長くなりましたが、返信させてもらいました。
正直疑問の解決につながる意見はなかったです。
一つの指標として受け取らせていただきます。
意外と、実体験からきているのではないでしょうか。
私も子供の頃は確かに、なんで大学の名前や進退で就職先に有利になったり断られたりするんだろう?とか、年の差恋愛はどうしてだめなんだろう?と疑問でした。
でもやっぱり、難関大に入るのは努力の証に違いないし、あまりにも下の年齢の方と恋愛関係になるのは、同年代からすると冷めた目で見たくなるし、年下の方が心配になるものです。
努力ができる人なら、できない人よりは、信用できそうなイメージを持たれるのは致し方ないでしょう。
もちろん、努力が苦手でも素敵なひとはいっぱいいるんですが….
あとは、家族や職場など、人間関係に飲まれて価値観が変わるっていうのが大きいと思います。
ブラック企業とかで、休まないのが偉いとされてしまうのは、企業を作った上の世代、辿れば戦時中の世代が、頑張るのをよしとしたのが、代々受け継がれてきてしまったのではないかと思っています。
つまり、今は意味がないようなことでも、前の時代では意味があることだったり、これからの経験次第で意味が出てくるのだと思います。
ななしさん
初めて書かせていただきます。大学年です。個人の意見として読んでください。
上記の例から考えると「固定概念」ではなく、「一般論」だと判断して書かせていただきます。
「固定概念」は「カラスは黒い」とか「鉄は固い」とかだと考えているので。
一般論を言う人達はどんな人達かと考えると、それをしない、そうでないことで後悔した、
または、羨ましいと思ったことがある人や、そういう話を聞いた、そういう人を知っているという人
が多いのでは?と考えられます。
つまり、自分はしていないので、そのメリットばかりに目がいっているものと思われます。
例えば、良い大学を出れば就職活動は有利ですが、勉強は難しいし、就職した後に
仕事ができないと失望されそうで怖い等のデメリットもあります。
従って、善意で一般論を言ってくる人には「なぜ」そう考えるのか経験を問うと良いか
と考えました。
読みにくく、長い文ですみません
ななしさん
「自分が出した答え以外を信じられない」
誰でもそうだと思いますよ。
「固定概念」とありますが、例えば結婚も、様々な固定概念がありますよね?
「結婚はいいものだ。結婚すべき」という意見。
「結婚なんて人生の墓場。結婚しても別に偉くない」という意見。
どっちもありますよね。
そのたくさんの概念の中から、それぞれが自分の価値観で選ぶんですよね?
「結婚は幸せだ」という固定観念を示された時、「確かにそうだな。うちは両親が仲良しで幸せそうだ。私もあんな風に一生お互いを大事に出来る人を見つけたい」と考える人は結婚に積極的になるでしょう。
逆に「そうとは思わない。家族を養うとか家族サービスとか、そういう責任は嫌だ。私は自分の為に時間とお金を使いたい」と考えた人は結婚の道を考えず、バリバリ仕事して昇進したり趣味に生きたりするでしょう。
どっちも自分が選んだ、自分の人生です。
主さんが「固定概念に縛られた人ばかりだ」と感じるなら、そもそも主さんの世界にある概念自体が少ない、つまり人間の種類自体が少ないのだと思います。
「働かないのは無条件で悪と言う人」しかいない。
「肩書きを押し付ける人」しかいない。
「『これが正解だよ』と言うくせに、主さんが『なぜ?』と聞くとまともに答えられない人」しかいない。
主さんが今いる世界が、そういう世界なんです。
単純に主さんがまだ若く、学校とバイトと趣味友と、人間関係の範囲が狭いからかもしれない。
住んでいる場所の地域性が関係しているかもしれない。仮に富裕層が多い地域なら「社会的地位を上げるのが良い生き方」と言われやすいはず。
或いはあなたの親が支配的で、子供は親に従え!というオーラが強すぎるせいで、主さんが他の価値観に出会いにくい、という可能性もあるかも。
世界は広いのです。概念も様々。
今後の人生でたくさんの人に会い、たくさんの感性に触れれば、万人が頷くような、従わざるを得ない固定概念なんてものは実は存在しないってことがちゃんとわかります。
主さんが固定概念と感じるものは、あくまで主さんの周りの人がそうと信じているものに過ぎません。世界の常識やものさしなんかではないんです。
世界はその人がそう見るように見えるものだという気がします。
そのようなもの、としてこの世を見るのは人は案外習慣を鵜呑みにし変化を嫌うからではないでしょうか。
また本当に世の中は肩書きやら固定概念だけで成り立っているのでしょうか。私が小さい頃は携帯電話話販売をする人やYouTuberという職業はありませんでした。この先もきっと今はない職や概念は創られる気がします。常に今が世の中の最先端だと思います。
こ固定概念で凝り固まっていると見れば、この世はそのように「見える」と思います。
そうでない人もいます。
どちらに合わせるのか、ご自分のフォーカスする点をずらすということもありだと思います。
同感です。私も世の中が怖いです。
確かに本当はどうなのかを追求しない
ことの方が楽に生きられるからそちらを
選んでいる人が大半だと思います。
気になる人と気にならない人の差なの
かもしれません。
私は一人でいることに極上の幸せを
感じます。自分の世界観を邪魔されない
からです。同時に孤独も感じます。なぜ
分かってもらえないのだろうかと。
自分の世界観というより、直観的に、
世界はこういう仕組みになっていると
感知しない人が多過ぎるという悲しみや
憤りです。だからと言って分かって
もらえる技術もありません。思い込み
だと一蹴されて終わりです。とはいえ、
承認されたいという気持ちもあります。
それは世の中の言語で話したり、
技能を持つことで得られるものです。
私はあまりそのことに興味を感じません。
それ故に、不足感が付きまといます。
それを感じるために生まれてきたのでは
と思えるほどです。私はこれからも
否応なく自分が知覚しているこの世界の
仕組みはどうなっているのかということを
問い続けて行くと思います。不足感を
抱えながら。苦しみの正体を知りたいのに、
正しさという武器に振り回されるもどかしさ。
現実を変化させる方法を知っていれば、
教えてください。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項