少し長くなりますが、お話を聞いていただける方はよろしくお願い致します。
私は20代のゲイ、同性愛者です。
私の家庭は、母・姉・私の三人で、父とは私が生まれた時から別居状態にありました。
なので、0歳の時から母親の元で生活をしており、父親という存在に対し、世間と同じ様な感覚を持つ事ができません。
両親とも不仲ではなく、年に数回、誕生日やクリスマス、お正月といった催事になると、父は家を訪ね、食事に連れて行ってくれたりしました。
父は私が魚好きな事を知ると、海や釣りに出かけたり、旅行にも連れて行ってくれていました。
父は父なりに父親らしくあろうと尽くしてくれていたのだと思います。しかし簡素に述べてしまうと、年に数回会うだけの人を、皆と同じ様に「父親」と
呼べずにいました。どこか他人行儀な「"お父さん"という人」と捉えていました。
半シングルマザー(と言うのでしょうか)で小中高時代を過ごしました。しかし、私はその学生時代ずっといじめられていました。
小学生の時、初めて胸をときめかせた相手が同性の先生でした。私はその時、自分は同性愛者なのだ、と悟りました。
私自身、元から男性らしい方ではなく、異性とばかり遊んでいた事もあり、小学校から高校を卒業するまでオカマと呼ばれいじめられていました。
(補足しておきますが、女性になりたいわけでも、性自認が女性というわけでもありません。男性として男性が好意対象なのです。)
当時は、はるな愛さん等の通称オネェタレントがメディアで人気となっていた時代でした。
私の姓が、あるオネェタレントと同じだったこともあり、オカマやオンナオトコ、オネェと呼ばれるのにも拍車がかかりました。
特に男女で分けられる授業や行事、主に体育や修学旅行などでは、一緒の組になる事を気持ち悪がられ辛かったです。
そんな毎日でしたが、不登校になることもなく、真面目に通い高校卒業までは何とか終えることができました。
大学に進学し、これまでの狭い学校社会とは違った様々な人達と触れ合う機会が増え、ようやくオカマというラベルを貼られた私ではなく私自身と付き合いをもってくれる友人にも出会えました。
その友人達には、私が同性愛者であることも打ち明けていたため、心置きなく自分を振る舞う事ができました。
そうして大学で過ごすうちに、自分の事を家族に隠している状況を辛く感じ始めるようになりました。
今までは「学校に好きな人いないの?」や(修学旅行の集合写真を指差しながら)「この中で、付き合うならどの子?」等といった質問も、何とかかわしてきました。
しかし、もうそういった質問に、親に、嘘をつくことに耐えられなくなってきている自分がいました。しかし我が家は母子家庭です。
母親に嫌われてしまってはこの世の終わりだと考えていました。なので「ここはとりあえず父に打ち明けてみよう。」と思ったのです。
父が私を連れ出す時に語ってくれた様々な話から、私は父の心の受け皿が他の人に比べて大きいかもしれないと感じていたからです。
少なくとも、いきなり母親に話すより、ひとつステップを踏むことができるのではないか、我ながら名案だと思いました。
そう思いたち、私は父と姉を食事に誘いました。(長くなるので事情は省きますが、姉を一緒に誘ったのは、姉には既にカミングアウト済だったからです)
その場で、自分がゲイだという事、そのために周りと馴染めず小学校からいじめられてきたことを打ち明けました。
私が打ち明けた話に、父は何と声をかけてくれるのか。私は不安と少しの期待を胸に、父の顔を見つめました。
しかし、父が発した言葉は私の想定を逸脱した、「どうしていじめられてるのにやり返さなかったのか」でした。私はあまりの予想外の返答に戸惑いました。
「ゲイなのは別にいい、でもいじめられて黙っているのは男としてどうなんだ」と父は続けました。
「どうして」と言われても、当時の私に学年の男子ほぼ全員を相手に抵抗する事などとてもじゃないけれど不可能なことでした。
私は私なりに「当時十数歳の私には学年の男子ほぼ全員を相手取る事は不可能に近い事、それなりに抵抗や受け流す術を実行してきたが何の意味もなさなかったこと」を説明しました。
それでも父は「俺だって色々いちゃもんをつけられて暴言を吐かれた事もある、そんな事では社会に出て生きていけない」と説教をされてしまいました。
私が期待していた最も望ましい展開は「父親である自分が家にいなかったことで言えなかった事を今になって打ち明けてくれて嬉しい。辛かったね、と一言声をかけてもらえる事」でした。
しかし、現実はその対極にあるものですらなく、お前は弱いというお叱りでした。そこから先は怒涛の説教タイムが始まりました。
俺だって苦労した、やり返さなければ敗けだ、これから先どうするんだ。等々言われ、私はあまりの衝撃とショックで涙がとまらず、今でもほとんど記憶がありません。人生であんなに泣いたのはあの時が最初で最後なのではないかと思う程に泣きあかしました。
父の言う事が間違っているとは思いません。きっと父も父なりに様々な経験と、父なりの愛で私がこれから先、生きていく上での心配を言葉に述べていたのだと頭では理解ができます。
ただ、私は一言「辛かったね」と声をかけて欲しかっただけなのです。自分の思った言葉が返ってこなかっただけで、勝手に傷つき自滅している事は重々承知です。
自分の身の上を勝手に相手に押し付け、「慰めろ」と言っているに他ならないのかもしれません。
しかし、曲がりなりにも私達は家族なのです。周囲には漏らせない心の内を晒し、それを優しく包み込んでくれる役目を期待するのは間違いなのでしょうか。
父に変わって欲しいと願っているわけではありません。勿論、私が期待する言葉をかけてくれる父ならそれに越したことはありません。
ただ、話あって私の全てを理解してもらうには途方もない時間と、エネルギーが必要なのです。
今の私には、まだショックから立ち直れず、そんなエネルギーを持ち合わせていないのです。
なので、名前も知らない誰かにこの事を打ち明け、父の代わりに昔の辛かった経験を理解し、ただ一言、優しい言葉をかけていただけないでしょうか。
そんな経験が一つでもあれば、前向きになれると思うのです・・。身勝手なのは重々承知ですが、どうか、よろしくお願い致します。
82037通目の宛名のないメール
お返事が届いています
さつき
俺は性自認があやふやな、多分男の身体的には女です。
お父さん、やっちゃった感はあると思いますが、ごく自然に「ゲイなのはいい」と仰ってますよね。
受け入れて、その上で、父親として男の生き方を諭す、と言う意思表示だったのでは?と思いました。
一方的すぎて、それまでの小瓶主さんの辛い気持ちの想像が足りてないな、という印象は受けましたが、お姉さんと大学の友達が受け入れてくれているのなら心強いですね。
カミングアウトは受け入れてくださっているのなら、落ち着いて、一度エネルギー補給をしてから話し合えば、分かり合えると思います。
ななしさん
お父さんの説教の話を読みながら、あちゃー、と思いました。うちの旦那に似ています。
本人は怒涛の勢いで色んな事を話すんですが、軽い共感が含まれてないせいで理解されてないという印象しかないんですよね。毎回ハトが豆鉄砲くらったような顔になります。
お姉さんが味方でよかった。心強いですね。
うちの旦那は普段温和な方ですが理解できない事に直面すると軽くパニくるんです、そして話し出すと止まりません。後で酸欠の頭でぼんやり自分の言った大体の事を思い出し、よし、と思うみたいです。
ちなみに旦那は大体1年くらい経ってから、そういう事か!と毎回理解をします。1年前のことがわかったの⁈とびっくりして安心します。
それに近いのかなという気もしました。
たくさん話した事が見当違いでもその中になかなか言えない大切な本音が入っています。
あなたが「ゲイなのは別に問題じゃない。」ってことです。なかなか初めて聞いた時に言えないです。愛情があるから、大切だからまず出た言葉だと思います。
慰めるのはお母さん、生き方をレクチャーするのがお父さんと昔ながらの考えなのかもしれません。カミングアウトを難なくクリアしているので、時間がかかるけど後々理解や気持ちが追いつくと思います。
あきひろ
僕も同性愛者なので、ある程度気持ちはわかるつもりです。
なので、その悩みを抱えて生きていく、ただそれだけで、どのくらい辛いことなのかもわかります。
あなたは周囲に馴染めなくても不登校になることなく高校へいき、大学では、あなたが同性愛者であることを知った上であなたを大切にしてくれる友人に出会えた、それはすごいことだと思います。簡単にはできないことです。あなたの心が相当強くて、信頼されるお人柄だからなのではないでしょうか。
お父様とは、まだ完全には理解し合えていないご様子ですが、あなたが同性愛者であることは特に気にせず受け入れてくださったようで、その点は良かったのではないでしょうか。時間をかけて話し合えば、もっと理解が深まるのではないかな、と思います。
ななしさん
私はMTF(男から女)になったものなので少し気持ちはわかります。でも正確にはわかるような気がするだけです。
私も中学生から高校生まで男の子とうまく話をすることができず友達がおらず、休み時間は寝たふりをするか本を読むかしかできずツラかったです。
ちなみに私は父にカミングアウトしたときに「お前の人生だ好きにいきなさい」「でも性器を取り除くことは許さない」と言われました。「腕がいらないと思ったら、お前は切るのか?そうじゃないだろう。脳は治せないのか?」と言われました。その瞬間すごく悲しく泣きながら喧嘩になりました。
それから3年くらいかけて父を説得し手術し今では普通の親子として仲良くやっています。
結局、自分の経験したことのない痛みって誰にもわからないものです。なのでお父様も突然のカミングアウトに理解や思いやりの言葉をかけてあげられる程の余裕がなかったのではないかと思います。
期待した言葉をもらえなかったのは残念ですが、仕方がない部分もあったのではないかとは思います。
最後に私からの言葉にはなりますが、
本当にこれまでの人生ツラい思いを沢山してきたと思いますそれに、これかもツライことが沢山あるかもしれません。でもきっとその思いが役に立つことがあるでしょう。
(つらい思いをしたからこそ人にやさしくできたり)
そして必ずみつけてください。
産まれてきてよかったってこと。
恋愛じゃなくてもなんでもいいです。
楽しいって思うこと、好きだと思うこと
このために産まれてきたんだって思うこと。
みつけて生きてください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。