ある日、窓の外を見ると、車が渋滞していた。色とりどりの車が、真っ赤なライトを点けながら、信号を待っていた。まるで蟻の行列みたいだった。ふと、
「少なくとも車の数以上の人間がいて、しかも、免許を持っているほとんどの人間が自分より長い人生を送ってきたんだ」
と思った。
その瞬間、急に車の列が気持ち悪く感じられた。
生命の重みというか、自分が今まで経験してきた以上であろう「感情」が無数に存在するということがとても気持ち悪かった。
ひとの気持ちを考えて行動しなさい。
そう言われて育ったが、自分ができることはひとの気持ちを「推察する」ことで、「理解する」ことは絶対にできない。それを突然突きつけられたかのようだった。
結局、自分の中で自分は世界の中心なのだろう。所詮他人はゲームのNPCで、いくらひとの気持ちを考えても、他人事である。当然だ。他人なのだから。
ひとの気持ちを考える。これは相手の立場に立ってとか、相手がどんな気持ちかを考えてとかいった単純なことではない。
そのひとの中に、喜怒哀楽といった言葉では表すことのできない、非常に絡み合った大きな感情の渦が存在していることを認識することなのかもしれない。