お返事が届いています
ななしさん
あなたの小瓶を読んで、初めて自分の性というものを考えた気がします。
私は昔から「女」として育てられ、そして自分でそのことに違和感を持つことなく生きてきました。現在はある男性を好きになってお付き合いをしています。
こんな私ですから、自分の性というものに何の疑いも持ってきませんでした。もちろん性には多様な認識があることは知っているつもりでしたが、どちらかというと「自分とは関わりのない世界」という風に考えていたと思います。
私は、現時点では自分の性に疑いを持っていないので、そういう悩みを持つ方の気持ちをきちんと理解することは出来ないと思います。なんせ想像の域を出ませんから。ですが、その方たちを気持ち悪いとは思いません!綺麗事かもしれませんが、それが個性であり、私はその個性を丸ごと受け入れられる人間でありたいと、心から思います。
恵
ななしさん
あなたは体が女性で心は男、恋愛対象は女なのででしょうか?
トランスジェンダーについて理解して欲しいというのは理解できますが、自分の立場を判りやすく書いて欲しいです。
さて、僕は体が男、恋愛対象は女性ですが男性にやけにもてる方です。
相手が男性であれ女性であれ好かれるというのは嬉しいですね。悪い気はしないです。ただ男が好きってわけではないので丁重に断ります。
どうやって自分の性別を認識しているかですが今まで女性にしか恋愛感情を持った事がないって事ですかね?これで良いですか?
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
お返事ありがとうございます、投稿者です。
異性を愛することを性自認の条件だと考える方が何人かいらっしゃるようですね。
では、同性愛はどうでしょうか?
同性愛者はGIDとはちがい、自分と同じ性を持った相手に惹かれるものです。たとえばゲイの方は、男性ではないですか?そんなことはありません。
考えてみると、意外とそう簡単で分かり易いものではないと感じられると思います。
>あなたは体が~の方
僕は身体が女性で、心は女性ではないことは分かっているのですが文中にもあるXジェンダー中性(男性寄り)か、男性かでまだ判断付きかねている状態です。恋愛対象は小学生まで男の子だと思っていましたが、今思えばそれは自分を女の子だと思い込んでいたためで、ただ仲良くしたかっただけなのだと思います。
違和感を持ち始めた中学生以降(当時は同性愛だと思っていました)は恋愛対象は女性ですが、もしかするとバイセクシュアルかもしれません。現在も女子高生として学校に通っています。
長くなるので投稿の際には割愛していたのですが、分かり難かったようですみません。
>10年近く前~の方
マツコ・デラックスさん、そんなことをおっしゃってたんですか。その通りだと思います。
オカマって言葉は昔は男性同性愛者のことを指していたようですが、今は主に女性的な男性を指しているようですし、その定義ははっきりしていないようです。差別用語だという意見もありますが、自称する分には便利な言葉なのかもしれません。
オナベ(自称する分には僕は気にしません)の僕も、中性的な男性ファッションや手芸など一般的に女性的だとされるものが好きなのですが、女の子に見られるのを避ける為にあまり出来ずにいます;
丸坊主で真っ裸~のくだり、なんだか印象的でした。ありがとうございます。
>自分の体は~の方
Xジェンダーの方ですか。
月1のアレは、自分の身体が女性だって思い知らされますね。
割り切れない僕は、毎回落ち込みます。
たしかに、みんながマジョリティーだと思っているマジョリティーも本当はマジョリティーなんかじゃないかもしれません。ある本では、性はグラデーションのようなもので、真の異性愛者は真の同性愛者と同じくらい少なく、バイセクシュアル人口はじつはとても多いと読みました。(著者はゲイの方でした)
>なんだか難しいこと~の方
僕自身、行き詰って「こんなこと考えても答え出ないし、意味なくない?」なんて思うこともあります(笑)
でもこのごろ、自分の性が何かってことは自分のアイデンティティーと深く関わりがあるんじゃないかと思い始めました。女性ではないのに女性として生活していて感じられるのですが、世間では相手の性別(見かけの)によって態度や扱いが変わることが本当に多いです。(女性蔑視ではなく)
心と身体の性が一致していれば気付きもしないほどの小さなことかもしれませんが、僕のような人間にはとても気になってしまいます。
それで、やっぱり性とは何か、考えずにはいられなくなるんです。
>私はXジェンダーで~の方
意外といらっしゃるんですね…。そうですよね、男性を愛する女性であることを前提に話を進められて、困惑したり、悲しい気持ちになったりすることは僕もよくあります。
僕としては性別がなくなってしまえとは思いませんし、性別によって態度を変えるのもまあ仕方ないことだと思うのですが、いざ外見とは異なる自分の本当の性について告白するとき、何にも怯えなくていい日がきたらいいのにと思います。
>恵さん
ありがとうございます。あなたのような方がもっと増えたらいいのに、と心から思います。
ななしさん
私は女性として生まれ、20年ほど経った今も違和感はありません。
女の体が不便だとは感じても、これはこれで好きだし、男性を好きになります。
私、男性の体ってきれいだなぁと思うんです。
筋肉だったり骨格だったり、がちっとした感じが私にはないものだから、素敵だなぁと憧れます。
だからといって男性の体になりたいわけではなく、自分外の存在としてそばにいてほしいなと思います。
以上の気持ちから、私自身の認識は、男性の体を好きになる女性、ということになりますかね。
それと、もし体が男だったとしたら、自分にない女性の体に憧れるような気がします。
ななしさん
心の性と体の性の不一致が、必ずしも性同一性~~などに
よるものと限らないのでは?
肉体的な男を決めるのはホルモンによるもので、
男性ホルモンが働かないと、見た目での男女の判別が
付けづらいとか、見た目が女性の体で生まれてくるとか、
聞いたことがありますが…
性同一性~~の場合は、体とは対極の性を求め、↑の場合は
自身の性を「男女どちらかに当てはめること」自体を
疑問視するという感じだったかと。
どちらにしてもかなり複雑な問題です…うーん…。
ななしさん
知る必要感じないし、考えないです。
マイノリティを狭い世界に、自分でやってるんじゃないでしょうか?
性別がどうとか、意識がどうあれ、誰かが誰かを大切にする気持ちや愛おしむ気持ちは変わらないでしょう。
異性に欲望しか湧かせることができずにいる腐れはなんぼでもおります。
利用して、捨てる。
自分しか愛せない。
それに比べたらマイノリティだろうが、胸を張って愛を誇っていてよいんでないですか?
確かに、道は険しいかもしれませんが。
あ。質問の答えですが
私が女であると一番強く認識したのは
男トイレを使った時ですよ(笑)
子連れだと、利用も致し方ない時あるんですよね
目茶苦茶恥ずかしいよ?
( ̄▽ ̄;)
意識と性別違う人は、トイレも苦労するんだろうなぁ…
ななしさん
好きになったら好きでいいんじゃないでしょうか?
と私は思います。
性別云々…難しいですけど、私はそれで良い気がします。
好きなんだからしょうがない。
その相手が異性であっても同性であっても、最終的には中身を好きであるはずですし。
ななしさん
私の学校では今
性のありかた
について
学んでいます。
そして今日
性同一性障がい
について学びました
今まで
自分の性別や
同性愛者の方について
全く考えたことが
なかったので
こういう事について
考える授業があるのは
とても勉強になります。
そしてウチの学校でゎ
女の子も
男の子の制服のズボンを
履いてもいぃ事に
なっているんです(´`)★
偏見や差別という言葉が
なくなる世界になれば
いぃですね(≧∨≦)
ウチゎこれからも
積極的に授業に参加して
同性愛者の方たち
についての知識を
もっともっと増やして
理解していけたらなぁ
と思います★
長文失礼しました(∀)
高1 *めるる*
ななしさん
私は自称ではありますがFTX(無性)です。
昔から男性とはうまく話せなくいじめを受けたりしていました。
男性恐怖症になったりしました。
ですが中学生になってから
自分の胸を見るのが嫌になりだし
性の不一致を感じはじめ
自分は男になりたいのかと考えましたが
下はいらないなと思っている自分がいて
胸だけ切除しようかとも考えています。
性別で区別されるのが嫌です。
ちなみに完ビアンです。
性別なくても普通に生きられるので
あまり気にしていません。
特別なわけでもなく
私はこれが普通だと生きてきたので
性別はいらないと思っています◎
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
投稿者です。みなさんお返事ありがとうございます。
>知る必要ないし、考えないです。の方
すこしきつい言葉になってしまいますが、知る必要がないと感じられるのはあなたがマジョリティーで、関係のないことだと切り捨ててしまわれているからではないでしょうか。
お子さんがいらっしゃるようですが、例えばの話、将来お子さんが「同性愛者である」「トランスジェンダーである」とカミングアウトしてきたとします。それでも「そんなことは知る必要もなければ、考えることもしない」、とおっしゃいますか?
何をそんなふざけた仮定を、と思われるかもしれませんが、ない話ではありません。たとえお子さんがもう結婚されているような状況で、今上げた例がありえないものだとしても、それは「たまたま」そうであっただけです。
マジョリティーの方々が「他人事である間はずっと考えない」態度を貫き続けている限り、マイノリティーはマイノリティーであり続けます。今は社会で自分が自分を偽らずに生きてゆくことを望むためには、マイノリティーはマイノリティーでいなければならない時代なのだと思います。残念ながら。
少なくとも僕は、マイノリティーであることをあえて強調したいとは思いません。それでも、マジョリティーの中に受け入れられるためには、マイノリティーであること、あるいはその立場から、声を上げてゆかなくてはならないのだと思っています。
べつに自分のことを日陰者だなんて思っていません。そんな理由で「あなたはあなたらしく生きればいい」なんて回答を求めるためにメールを投稿したわけではありません。
はたから見れば同性であろう女の子を好きになることを、恥ずかしいと思いはしませんが誇ることもしません。それが僕にとっての自然です。どうして誇らなければならないのでしょう 。
少数派という言葉にマイナスな意味を見て取られたのかもしれませんが、僕は胸を張って「僕は女の子の体で生まれてきた、男の子です」と言えるようになりたいのです。それが自分をマイノリティーに追いやっている行為だと言われるのなら、僕はもう憤ることしかできません。マイノリティーだと言わなければ、マジョリティーの中でもみくちゃにされて「女の子」にされてしまいますから。
同性愛に関しては少しちがうところもあるかと思いますが、声を上げる理由はあまり変わらないのではないかと僕は思います。つまり、マジョリティーならば当然与えられているであろう権利を自分のものにするために、マイノリティーであると言う。それは矛盾ではなく、ジレンマなのだと思っていただきたいです。
性を強く認識した瞬間、教えてくださってありがとうございました。
>好きになったら~の方
上のお返事でも書きましたが、少なくとも僕は、自分が身体が女で、心が男の子(たぶん)で、女の子を好きになるということを恥じてはいません。
「好きなんだからしょうがない」という言葉自体、身体と心が一致していて、身体と心が一致している異性を好きになることが「あるべき」状態だと認識した上での言葉だな、と感じました。
それは誰しもが持つ感覚であるのでともかくとして、同性愛に関しては、「好きになってしまった、異性ではないので結婚やこどもを作ることはできないが、愛しているのだからこれでいいじゃないか」という話で済むかもしれませんが、トランスジェンダーに関しては普通に生きてゆくことさえ難しいのが現状です。
「だれかを愛する以前に、マイノリティーである」ということですから。しょうがないでは済みません。
同性愛とトランスジェンダーでは、マイノリティーであることは共通していますが、厳然としてそういうちがいがあるのです。
投稿では、マイノリティーがマジョリティーとともにやっていける社会を望む、というところに重点を置きましたので同性愛と、トランスジェンダーの人間がする異性愛とのちがいには重きを置きませんでしたが…。
長くなってしまいましたので、お返事を二通に別けます。
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
引き続き、投稿者です。
>めるるさん
とても先進的な学校に通っていらっしゃるんですね。現在もスカートを穿いて学校に通っている身としては、スラックスOKだなんて本当に羨ましいです。
実際、スカート派とスラックス派はどれくらいの比率なんでしょうか。
…僕の興味本位の疑問はともかくとして、異性間の性教育すら真っ当に行われていないと常々思っているので、性のあり方について授業でやるなんていったいどういうわけだ!ととてもびっくりしました。教科書には身体と心が一致している異性間の愛しか描かれていませんし…。
なにかきっかけ(たとえばトランスジェンダーの方が過去にいたとか)があって、そういう授業や制度が導入されたのでしょうか?
どの学校でもめるるさんの通う学校のようになれば、と心から思います。
ひとつ言わせていただければトランスジェンダーと同性愛は別物なのですが、ともかくそういった授業で触れることで、少しでも理解を深めていっていただけたらなあと思います。
>私は自称ではありますが~の方
案外Xジェンダーの方はたくさんいらっしゃるんですね。
Xジェンダーは性同一性障害の中に含まれず診断書やガイドラインもないので、みなさんが自称だったと思いますが…。
僕も性別で別けられることが苦痛だなと感じたことがあります。今は、女性に分類されることが嫌なのだな、と思いつつありますが。
たしかに性別なしに生きてゆけることもありますが、基本的には建前であれ性別がない(妥協しない)と社会では生きてゆけませんので、難しいですよね。
>心の性と体の性の不一致が、
~の方
心の性と身体の性が一致せず、性同一性障害には含まれないものに、Xジェンダーというものがあります。投稿メールでも挙げたように、身体が完全に男女どちらかの性でありながら、心が完全なる男性でも完全なる女性でもない人たちのことを指します。これは身体の性と心の性が反対であるという定義を満たさないので、治療対象である性同一性障害には含まれません。
そしてもう一つ、おそらくあなたがおっしゃっているだろう、IS(インターセクシュアル、半陰陽)があります。こちらは身体の性が生まれつき男女どちらでもない人たちであり、原因も身体も性自認も、様々であるようです。外見は完全に男女どちらかであるパターンもあり、なんらかの理由から検査をして初めて発覚したり、性同一性の問題だとされるも検査の後染色体異常などが原因だと判明し戸籍が書き換えられたりするケースもあるようです。
インターセクシュアルについては不勉強のため、投稿メールでは触れないままにしてしまい失礼しました。
>私は女性として生まれ、~の方
分かりやすい説明、ありがとうございました。なんだかとても納得がいきました。
異性愛はたぶん、自分にはないものを求めるものなんですね。
ななしさん
他人事だから考えない
のではないです。
なぜマイノリティだの、よそと違うことに、重点おく必要があるのですか?
うちの息子はピンクが大好きで
プリキュア大好きで
おままごとばかりです。
しかも注意欠陥多動症です。
人の話を聞けないので友達がいません。
将来、どうなるか?
もちろん、常々話題になっています。
真剣にね。
でもね
彼が誰かを好きになれる才能がちゃんとあって、誰かを愛して、例え、報われないとしても、頑張っていける力があれば構わない、と夫と話してます。
孫がいなくても。
息子に伴侶がなくても。
つらい思いしたとしても。
苦労はみんなするんです。
多数派であれ。
少数派であれ。
それをマイノリティゆえと考えるのはおかしいでしょう?
多数派にいたとしても、デブ専だのヲタだの好みは山ほどあって、誰とも添えない人も腐るほどいます。
ひとりひとりが、多数派に属してようと、実は、マイノリティだと私は考えてます。
あなたが言ったような内容に重点おく必要がない、と切り捨てるのは
マイノリティだなんだと区分けするのがキライだからです。
それよりまず一個人、ではないですか?
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
投稿者です。
>他人事だから~の方
もちろん一個人ありきの話です。
少数派であることに重点を置きたいわけでもありません。マイノリティーという言葉も、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを指すLGBTという言葉よりも広い意味を持つので便宜上使用しているだけです。数学の集合の問題で、「生まれつきの身体の性と心の性が一致しており同じく身体の性と心の性が一致している異性を愛する、俗にマジョリティーだと思われている人たち」以外の人を指すべき適当な言葉がほかにないので使っているだけです。異性愛者より両性愛者の方が多いという説もあるそうですし、マイノリティーがマイノリティーであるのは数の上の問題より、世間の意識の問題だと思っています。
しかし、何もマイノリティーだけが苦労しているなんて当然思ってはいませんが、マイノリティーであるがゆえの苦労はたしかにあるんです。
たとえば世間の無知から来る差別(これはセクシュアルマイノリティーだけではなく病気や障がいを抱える方に対してもあることがありますが)、同性婚問題、トランスジェンダーが望む性で生きてゆくための法整備の問題などの社会に関わりのあるものはマジョリティーにはあまりないものであり、一個人の力ではどうにもなりません。
そしてそれを実現してゆくためには、やはりまずは当事者たちが『マイノリティー』の立場から声を上げてゆかなくてはならないと思います。少なくとも僕は、マイノリティーという言葉をそういった人たちの集合の名前として捉えたいと思っています。
親心だけでは残念ながらマイノリティーがありのままの自分で生きてゆくことは出来ませんし、その親の理解さえ得られないこともあります。そして無理解は往々にして無知からくるものです。
そういったいろいろな状況を変えてゆくために、『マイノリティー』というある意味では妥協、ある意味では便利な言葉を使うのだと僕は思っています。
ななしさん
私は生物学上女性として認識され生きています。肉体がオスかメスかで分ければメスだからです。同性を本気で好きになった事があり、10年ほど前には「自分の心と体がちぐはぐな気がする」と悩みました。でも、男になりたいわけでもないと気付きました。そもそも自分の考える「性別」は思い込みの幻想だと思うのです。生物学上メスである私は、クマノミではないので生物学上オスには完全にはなりえません。私が思っている「男性」という性別は私が考える「男性」でしかないからです。それは逆の立場から考えてもそうだと思います。女性同士であっても、共通の「女性」という観念は殆どないのが現実で、それが他の方もおっしゃる個性というものなのかもしれません。以前ゲイバーで「オカマの気持ちは、究極オカマにしかわからないのよ、女じゃないんだから」と言っているオカマさんがいました。私は、それを聞いて凄いなと思いました。マイノリティは性の問題以外にも沢山ありますが、すべてに共通する問題は、「相手に全てを受け入れる事を欲求する」時に起こっている気がします。暴力や行き過ぎた差別は本当に悲しいと思います。しかし、誰かに恋をして受け入れてもらえない言い訳や、振る舞いに対するバッシングなどに、セクシャルマイノリティを扱う事は問題をすりかえている気がします。「私は私、コレが好きなの。何が悪いの?」という強さを身に着けるのは、性別の問題以前の事です。
私は髪型や服装がまるで男性のようで、男性に間違えられることもあります。しかし、自分の中には世の中に言われる「男性原理・女性原理」が同時に存在していると考えているので、「好きでやっている事だ」と周りの声は気にしません。人として大切な事をちゃんと考えていれば、分かってくれる人は分かってくれると思っています。
ななしさん
わたしは病気で生殖機能に疾患があります。つまり女としては不完全な体です。
外見的な性別の一番の特徴を生殖機能と考えるなら、それがないわたしはグレーゾーンということになります。
ただわたしはそれ以外は全て女性として自分では認識し生きてます。男っぽい格好とかしてますがあくまでそれは私がやりたい事であって性別云々の話じゃないです。女である自信は全くないですけどね。
こんな体ですから、子孫を残すために恋愛するという人間の本能がないんです。故にわたしはバイで今は男性と付き合ってますが、前は女性でした。
性別はわりとどうでも良いというか…。こんな人間として足りない体でも自分らしく生きたいと思うように、その人らしく生きれれば良いんじゃないかなと。そう生きやすい世の中じゃないのが残念ですけどね。わたしの周りは性同一性障害の友達や同性愛者の友達が多いので痛感します。
長文、乱文失礼しました。
@志乃
ななしさん
思春期頃にXジェンダーとしての自覚を持ち、その後結婚をし出産をした者です。
既婚者のXジェンダーの話は滅多に見ないので自己を振り返りつつ私事になってしまいますが投稿させて頂きます。
旦那は私がXジェンダーという事は知りません。
仄めかした事も無く、結婚した現在でさえ言っていません。
旦那と一緒に居ると性を意識する事は無かったのでXジェンダーという言葉は頭からスッカリ抜けていました。
ですが結婚し「妻」となり\"何かが違う\"と思いつつ、出産しめでたく「母親」になった現在違和感が出て来ました。
自分を「女」に当て嵌め、性役割を無理矢理こなしていたんです。それは肩書きが着いてから気付きました。
今になって「妻」と「母親」という肩書きがとても重くのしかかってきます。
結婚はお互いを思いやり愛し合い成長する事だと思いますし、子育ても同様に素晴らしい事だと思っています。
だからこそ結婚&育児生活の中で性別で勝手に作られた「妻」と「母親」が私に合わず苦労しています。
女で括られた役割が嫌なだけであり婚姻関係で「配偶者」として、育児の面で「親」としてなら全然良いんです。要は「女の役割が嫌」なのでそこは勘違いしないでくださいね。
私の場合旦那と居ても特に意識しないまま結婚と出産をしたので、本当にXジェンダーかと疑われそうですが女とも男とも自認はありません。
私は身体の性も認めXジェンダーを認めていても、旦那に告白する事は一生ないでしょう。
でも私の身体が女であったからこそ、結婚出来て子供も産めた事は本当に嬉しいです。貴重な経験です。
昔は嫌で仕方なかった自分の身体が、性自認云々の前にちゃんと女であって良かったと思います。今は心底からそう思えます。
結婚出産が喜ばしい事であっても「性役割」は一生ついて回るので、これから何度も苦しむ事があるでしょうが腹決めてますしやり遂げます。自分が望んだ役割でもありますから。
投稿者さんも本気で悩んでいるのであればよく考え自分が納得した上で行動し、様々な人とお付き合いなさってください。
自分の性別がどうとか誰を好きになろうが、社会も政治家も自分の親の誰であっても阻止も妨害も出来るものではありませんから。
ただ私の様に意識しないまま結婚出産してしまうと以後苦しむ事になってしまいますので気をつけて下さいね。
ななしさん
3通目になります。
お返事ありがとう。
発言して行かなければ伝わらない、という気持ちは解りますが
法の整備
手術の簡易化
そういったもろもろ、本当に必要ですか?
なんのために?
体と意識が違うとしても
「これが私だ」
ではなぜいけないんでしょうか?
心身共に女になられた芸能人の方おりますよね。
あの人が輝いてるのは、それだけの苦労と努力を重ねてるからでしょう?
努力も苦労もこみこみで
輝くことができるはずでは。
それから。
差別する人はもともと、個人なんか見ないんです。
オナベオカマレズホモキチガイくらいの偏見に最初から押し込んで、何もしろうとしない。
自分はまともで正しいと信じきってるバカだからです。
法の整備は確かに、そういった方々用の、第一印象の多少の手助けにはなるかも知れませんが、実際を知った時の「差別する人」の偏見はより一層深いと思いますよ。
それよりは、マイノリティゆえの苦労や努力を訴えた方が、考え方の柔軟な受け入れる余地のある人に知って貰い、理解の幅を与えると言う意味で、賢いと思います。
それに反して、あなたの言う、みなに知って欲しいとか、あなたの知ってる世界は狭いとか…なんか…違うんじゃないですか。押し付け、断定、他者を軽んじ、何をしたいんですか?
あなたが発信するのも、親心だけでは足りないと言い切るのも、自由ですけど
あなたの文章は、マイノリティとしてではなく人として、思いやりが足りないと思いました。
少なくとも私は友達にはなりたくないですし、息子がいなければ返信もしません。。
詳しい話はしないで「何も知らないくせに」と言ってるのも同然だからです。
後半の方々のおたより
凄く勉強になりました。
ありがとう。
ななしさん
投稿者さんからお返事きたよ
投稿者です。
またもやお返事ありがとうございました。
なんのために、とおっしゃいますが。社会で生きてゆくためです、と言う言葉では伝わりませんか?そんなもの法整備なんてなくても生きてゆけないはずはないじゃないかとおっしゃるでしょうが、現実的に、今の世ではマイノリティーがマジョリティーと同じように、社会で生活してゆくことはとても難しいです。たとえば、同性婚が認められていない為に、どれだけ長くパートナーとして暮らしても法的に家族とは認められません。トランスジェンダーは自分の望む性で扱われることを望めば就職などにおいてとても不利になります。
手術の簡易化を望むなんて、僕は一言も書いてません。むしろ診断書もなしに簡単な手続きで手術が受けられる一部の医療機関に対して、それで本当にいいの?という立場です。
僕は自分を女性だと思って過ごしてきた期間が長いこと、性適合手術をするにはリスクが大きいことなどから今のところ身体を心の性に近づけるようなことをすることは考えていません。
しかし、幼いころから性の違和感を抱え、やはり諸々のリスクを抱えることになっても、性適合手術を受けることで生物学的にはどちらの性でなくなっても、性適合手術を受けたいと望む方々はおられます。
矛盾しているのでは…と思ったのですが、そういう方々があなたも仰るテレビで現在活躍されている方々であり、世間でいうトランスジェンダーの代表例となっています。
手術を受けるか、どこまで男性化あるいは女性化するかはトランスジェンダーの間でもさまざまですが、身体と心の意識がちがう、これが私だ。そう思っていたとしても、割り切れないことはあるのだと思います。
その差別が、僕は無知から来るものだと思うのですが。今の社会であれば差別や偏見は当然起こりうる、仕方のないものだと僕は思っています。多くの人が、マイノリティーについてまったくと言っていいほど何も知らないからです。差別をする人が悪いのだとも言えません。これまでマイノリティーなどないかのようにされてきた社会の結果の一部であると思っているからです。
「自分はまともで正しいと信じ切って」偏見を持つ人の中にだって、事実や現状を知れば見る目を変えてくれる人もいるはずです。
マイノリティーゆえの苦労や努力を訴えることもたしかに大事なことかもしれません。僕個人の意見を言わせてもらえばそればかり先行して同情を得るようなことになるのはいやですが。
でもマイノリティーゆえの苦労や努力を訴えることだって、前提として「それがどんなものなのか。」を知ってもらった上で、「だからこんな苦労があるんです」というのが筋ではないですか?
僕は言葉がきついことがあるので不快にさせてしまったかもしれませんが、それでも押し付けや断定、ましてや他者を軽んじるなんてそんなつもりは全くありませんでしたし、いまもありません。
正直僕はそこまで言われなくてはいけないようなことを書いただろうか?と疑問に思いましたが、それも思いやりが足りないのでしょうか。
親心を否定しているように感じられたのであれば謝罪します。僕が親と不仲であって親のことをあまり信じられていないので、そのせいかもしれません。申し訳ございませんでした。
なんの脈絡もなく友達になりたくもない、と仰られたことに戸惑いが隠せませんが、失礼を承知で言わせてもらえばあなたの言葉も十分、押し付けや断定として取られる可能性のあるものだと思います。
こう書いてもマイナスの方へ解釈されるか、あるいは読んでもいただけないかもしれませんが…。
詳しい話もしないで、の下りは僕も悪かったと思います。肝に命じて、勉強してきます。
ともかく、何度も言葉を交わして下さったことには感謝します。こういう方もいらっしゃるのだな、と思いましたし。
それでは、失礼しました。
あとの方々へのお返事は、また後ほどさせていただきます。ありがとうございます。
ななしさん
私は最近、自分の性別に疑問を持っています。
男性との肉体関係で女、になるのは嫌ですが
ビアンというわけではありません。
全性愛者の私って何なんだろうと不安になるときもあります。
グレーゾーンでぼやかしてきたけれど
としを重ねるにつれ
選択を迫られている気がします。
支離滅裂な文章でごめんなさい。
ななしさん
性別の認識かあ…
どーだっていいや(笑)
性別ってのは言わばね。
有性生殖と遺伝子の、
歴史的産物に過ぎないからね。
とある魚の話をすると、
ある時を境に、
性別変わるのがいるくらいだしさ。
それを踏まえると、
性自認だなんて所詮は、
脳内にプログラムされてる、
身体の性の認識、箍な訳よ。
要は生殖さえ出来れば良しな訳で。
自身がどんな性なのかの目安。
今は医療も進んで性転換も出来るからね。
尚更、「所詮」そんなものだと思うよ。
そーいう内的なものだからこそ、
主さんの言葉を借りれば。
皮を被ってるんじゃなく、
奥底に根付いてる基本。
みたいなものじゃないかな。
(それが育つか育たないかだけ)
社会一般の常識なんてのも、
所詮は人間が付けた後付けだしね。
そんなのに縛られてもね…
今ある言葉は言葉が作られた、
その時の人間用だからさ。
所詮、過去や後先考慮なしの、
そんなもの。なんだと思う。
だからこそ、身体の性と、
世間一般の「常識」としての心の性は、
男性的とでも女性的とでも言える。
でもそんなもん育ちの環境やら、
個人個人で変わってくるんだしさ。
どっちでもいいだろ。って話さね。
あ、どうでもいいけど俺はバイだよ。
差別や批判に加わるつもりはないけど、
社会の後付け常識に捕らわれて、
今そこにあるものを鵜呑みにする。
そういう人が多いんだろか?
まぁルールとしての常識に、
疑問を持つのが異端と思われるのかね。
だからこそ、疑問は大事だと言うのに…
偉人は理解されにくいもんだ。(達観)
え?俺は偉人じゃない?
そりゃそうだとも…
まぁ、これすら個人の一意見だし、
鵜呑みにするのはどうかと思うけどね。
蝶になりたい蛾
ななしさん
体の性別はハッキリしてるけど
私は心の性別のなんてのは元来無いと思う
女性的か男性的か
どちらが強いか、それだけだと思う
男も女も女性的な部分、男性的な部分を持っている
動物学的に結論付けるとしたら
異性を恋愛対象とし、繁殖出来るか
子孫を残せる人間と
残せない人間
それだけだ
私は体は女、心は中性的だと思う
女性らしくあると生きやすいから、女性らしくしてる部分もある
ななしさん
心の性は自由だと思うけど
性転換はどうかと思うな
心は自由な訳だからさ
体の性心の性が一致しないから性転換ってのは、結局男である事女である事に、固着してる様に思う
自由な心も、ありのままの体も
自分を受け入れた人が一番強い人だと思う
女として男としてSEXがしたいから性転換したいとか、そんな性欲情があるとしたら、危険な傾向だと思われる
ななしさん
身体の性別は下を見て知りました。多分
心の性別は女でも男でもないです。グラビアアイドルの女性が好きです。男性の裸は見たくないです。なんでかは分からないですが、これが性別な気がしました。
ななしさん
私も身体は女性ですが、私は性自認がどちらとも言えない者です。この不安定な状況ではカミングアウトもできず、鏡を見る度に果たして私は何者なのかと。この身体が憎らしいわけではないのですが、見た目だけでコースやら生き方が決まる今の世界が苦しいです。あなたがこうしてメッセージを送ってくれて少し楽になりました。ありがとう。もっと柔らかい世界になるといいですね。
ななしさん
なんかさ、そういう風に固有名詞振りかざしてるから気持ちわるがられるんじゃないかな。トランスフォーマーみたい。
昔(オープンだった頃の)日本にはゲイ(男専)であることは「大変男らしい」存在で、(ゲイの)男性に恋をする町娘もいたりいなかったりしたんだそうですよ。
事実を知ってから町娘は「あの人はその様な宿命にあるんですね(泣)」って思ったんだって。ゲイとかきもっじゃなくてね。
事実生きにくいのに分かってもらおうとするのが間違いなんじゃないかな。君たちにも少なからず嫌いな人がいるように、分かり会いたくない人もいるんじゃないかな。
大昔から今更だけど、好きになったら性別とか関係無いよ。
大変ですね。
ななしさん
そんなの決めちゃダメダメ!
好きになった人が恋人よ!!(エコー)
…と言えたらどれだけ良いか(-_-)
個人的に。
同性愛者は読んで字の如く「同姓を愛する者」で同性愛者(ゲイレズ…一応バイもかな?)
本人の体の性別(生まれもった性)は置いておいて、男の同性愛者は男を「異性」として認識します。つまり自身は「男性ではなく(同性に性的な願望を抱く為)同性愛者だ」と思い知る訳ですね。だから厳密に言うとゲイは男性ではないし、レズは女性ではないんです。
どちらも体の性別が性的な願望に一致していない(体の性別で内在する異性愛を体現している)事になります。
因みに私はバイにあたるので、
余裕で偏見入りますけども(笑)
ゲイは男性愛好家、レズは女性愛好家、が正しい認識ではないかなぁと。要は「同性愛者」と言う生き方なんです。
話は戻って
いつバイだと自認したかと言うのは、自分の思考回路が「両性愛」にあたるからです。体は女性なので、自身の女性性を愛している時は男性を愛していると言えますし、女性性を嫌悪している時は女性に惹かれる。それだけですね。
割りと早い頃(幼い頃)から「男性も女性も素敵(※どちらも好きである)」と言うような事を冗談気味に言っていたので、多分私はそう(男性も女性も異性)なんだろうなぁと思春期に思っただけですね。その延長に「性別関係無くどちらともセックスする」はぼんやりあると思いますが、正直あまりしたくはないです(笑)
王様ゲームで「○○と○○がキスハグ!」「うぇ~まじで~(内心ヨッシャヨッシャ)」みたいな感じ
です。どっちも好きなので、正直嫌ではないんです。
だからと言って皆をそう言う目で見てる訳では決してないのですが、もし言い寄られたら「私実はどっちもイケるんだ(てへぺろ)」と言うしかないなと思ってます。笑
何も起こらず内心に留めるのみが幸せだと、我々は重々承知しております(`・ω・´)どやし
それがバイと言う「生き方」かな、等とまとめつつ…。
…そこのゲイうるさいよ!怒
能弁はちんぽもぎってから言え(暴言)
▼ダブ録のNUGER♀
ななしさん
自分は女です。
私は、好きになった人が男性だったからそう思った。
そもそも私は男性なんか嫌いです。
でも、その人は確かに男性なんだけど、ちょっと変わってました。
女みたいだったけど、女っていうよりは、お母さんみたいな感じだった。
だから、腹立つこともあったけど。
それでも、優しいとこが大好きだった。
その人先生だから
付き合いたいなんて思わないけど、友達とか知り合いになりたいっていうのは今でも思う。
ななしさん
大変難しい問題ですよね…
突然ですが私は若い時、自分の外見が女である事・生理がある事・男性に性的対象として見られる事が凄い嫌で不快だったんです
だから服装も髪型も仕草もわざと男性ぽくしてそれを意識していたり…
でもふと気づいてしまったんです
自分が好きになるのは結局いつも男性で、同じ女性と性的な事になったらそれを受け付ける事が出来ないと…
だから自分は女なんだと思いました
納得したら、それからはわざと男性ぽくする事もなくなりました(苦笑)
ななしさん
自分は女です。
なぜなら好きな人が男の人だからです。
自分の体は元々女で、好きな人が男の人だから自分は女だと言えるのです。
自分個人としては自分は女の子らしいものが好きですが、女ではありません。
むしろ男であるという認識があります。
自分は少女であり、男である、という中途半端な認識を持っています。
だから自分は男であり、女です。
ななしさん
中学の時、女の子に依存してて、性的妄想もしてたけど、それ以来ないなー。恋愛対象は男性。今はすっかり女だなぁ。
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