生きづらい。生きるのが辛いんじゃなくて、少しだけ大変。
ひとまずインターネットのおかげで、私のこの意味不明な気質に、真偽はともかくINTPとHSPとアダルトチルドレンという名前がついて、納得することが多くてちょっとは楽になったけれど。
3つ全部に生きづらさが入ってる。
INTP。女性には稀だそうだ。女性らしさとは真逆の性質。自分自身含め人の気持ちに無頓着。
のくせにHSP特有の人の気持ちを感知するアンテナがあるから、心では分かるのに頭では理解できないし説明できない。
さらに追い討ちをかけるのはアダルトチルドレンの性質。INTPの性質とけんかする。自分の気持ちも理解できない。自分を観察するのは得意なのに。
分からないままで生きている。
多数じゃない。でも特別でもない。とりあえず普通じゃない。
自分が普通じゃないのはいいことだと信じているし、自分自身にそうであることを義務付けている。そんなことしなくても、どうせ普通になれない。ただ義務付けた方が楽。自分自身の義務付けは能動的で理由が明確。
普通でも生きづらい。普通以外に向けてつくられていないいろいろは、普通以外にはより辛い。
辛さが楽しくもある。それが普通でないことの証明。っていうのは普通じゃないことに固執して自分を正当化するための道具。
普通じゃないのが普通なら、多少は楽だと思うから。
多数ではない普通を求めすぎている。生きづらさを普通に責任転嫁している。
全部他人の物差し。それに救われたり絶望したりする。
詰め込みすぎてアンバランスだよいろいろと。
人間の相反するものは表裏一体だったりするんだろうか。
私は、観察するにはとても興味深い人間だけど、私として生きるにはやりづらい。
面白い、辛い、手放したくない、このままでいたい、普通にはなりたくない、助けがほしい。それだけ。
名前のない小瓶
102767通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
なんとなく分かる気がします。私もINTPで、多分アダルトチルドレンです。
普通に憧れるけれど、普通は嫌だとも思う。そもそも普通に生きるのも難しいのに。
今、私には大好きな人がいて、どうしてもその人とずっと一緒にいたいと思う。だけど、気を抜くとその人のことすらどうでもいいと思ってしまいそうで、そんな自分が悲しい。こんな唯一の女性らしさというか人間らしさに縋っている気分です。
ななしさん
よくわかるよ、と安易に言ってしまいたいけれど私には無理らしい。そもそも「よくわかる」って何かわからないし。
でも、わかった気ではいる。
私もなかなか面倒くさい生命体だから。
私もINTPだ。また、Hspでもあり、自身の性別に違和感を覚えてもいる。
属性過多だ。キャラクターとしては、自分を愛しているが、なんとも生きづらい。
変えたい訳ではない、わかってほしい訳でもない。
それでも、相反する思いをただ胸を焦がす益のないものを、これからも抱いていくのかな、と思うとたまらない。
何も知らずに生きていたかった、でも知ってしまった以上、これから先学ばないという選択肢はない。
読み返してみても、ムチャクチャだし、こんな言い分は自分でも納得いかないけど。やっぱり、救われたいな。
ななしさん
わかる!!全くおなじすぎてやばい
HSP私も辛すぎてほんとに1日うーっすら海の音流して美味しいご飯食べる日を設けたりしてるよ!
とにかく自分の好きな事見つけて好きなことやるのが大事
ななしさん
私もINTPのhsp、毒親育ちの女性です。恋愛がとにかく下手くそです。幸いにも、仕事は常にチャレンジしていきますが、自分の限界を超えてしまうほど辛い経験はありません。1番生活で困るのは、不安要素が多い現実を直面した際、INTPの頭の中を駆け巡る回転スピードと、HSPにより心がゆっくり動くため、この乖離が大きいことです。脳判断と、感覚判断とどちらを優先するべきか迷い、疲れてしまいます。周りの女友達にも理解されにくい性格なので、日々の生活では精神的孤独感を味わうことが多いです。
ななしさん
お手紙拝見しました。
私も貴方とおなじintpで女でアダルトチルドレンです。加えて左利きのB型。非難される要素満載です。生きるのが辛くて苦しくて、配偶者にすら理解されない思いが、たまたま流れてきた小瓶に詰められていた。その喜びを伝えたくてお返事します。特別であるかどうかなんてどうでも良くて、ただ女も男もintpもアダルトチルドレンも関係ない、ありのままの自分を理解して、受け入れてもらいたいですね。
ななしさん
綺麗事とかでもなくて、皆んなそれぞれ違って、それが普通だと思っています。
だから合う人もいれば、合わない人もいます。
私はAから見たら八方美人に見えるようですが、Bから見たら雑でいい加減な人であり、Cから見たら何も考えていない世捨て人のように映るようです。
私は私という人間をよく分かっていません。
故に、他人から見た私という人間はもっと分からないでしょう。
自分はこういう人間である、というのは一種の決めつけでしかなく、自分では自分のまた違う面が見えていないという事もあるのだと思います。
私は何処でもやっていけるという能天気さを持つと同時に、未来を見たくないが為に消えたいという衝動に駆られます。
生きにくさはあります。
だけど他人から見たら、ただの能天気野郎に見えることのが多いかもしれません。
私はここ数十年で思ったことは、他人から見た私への評価や印象は五分五分で当たっているようで当たっていないものかもしれません。
優しい宛メの闇がプロフに
いや、本当は「生き辛い」というのが
正しいのかも知れない。
日本と言う国は つくづく
学校教育からして
「前へ倣え」「右へ倣え」に始まり
個性を潰し 出る杭は打ちで みな一様に揃え
集団行動に適した人間、
普通( だいたい それは社畜 )の人間を量産する
落ちこぼれたり逸脱したりは許さない
他人と違う事も許されない
みな一様に普通にを求められる
それが会社でも同じと来れば
会社の求めた「普通」を求められる
そりゃ「生き辛い」というモノだろう
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。