拾ってくださってありがとうございます。
高校3年生の私の悩みを聞いてください。
自分はどうして生きているんだろう、今ここで何しているんだろうと毎日のように考えてしまいます。そして気がついたら、苦しまずに死ぬ方法を考えています。
生きるのも死ぬのも簡単じゃない。
とか
そんな若くで何言ってるんだ。
とか
生きていれば楽しいことがある。
だとか、
そんな言葉は正直聞き飽きました。
別に何が苦しい訳でもなく平凡で幸せな人生を送っているのだと思います。
でもふとした時に、自分の不甲斐なさに嫌気がさしたり、人と比べて惨めな気持ちになったりして死にたいと思うんです。
死にたいというより消えたいの方がふさわしいかもしれないです。
自分が未熟であることも嫌になるし、かと言って自殺するほどの勇気もない。
自殺することが良いとは言えないのかもしれませんが、自殺した方々はその勇気を出した訳です。
そもそも周りに迷惑のかからない死に方を考えたり、苦しまずに死ねる方法を探したりしている私はまだ死にたくないのかもしれません。
決して誰かにかわいそうと思ってほしいとも思わないし、できれば元から姿形が存在しなかったかのように消えたいのです。
この悩みに解決も何もないかもしれませんが、同じことを考えたことがある方がいれば、お話聞かせてください。
名前のない小瓶
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ななしさん
正に今それ考えてた。
私は以前から消えたいって何度か感じていた。
だけど世の中ってまだ分からんことで、ありふれていてな。それでも私は消えたかった。
死にたいよりは、消えたいって感じ。
超少ない友人とたまに会って話したりする時間はそれなりには好きだった。
今から思えば、私は幼稚園児の時から今に至る20代前半までずっと達観していたような人だった。
皆んなが好きであるはずの行事もあまり乗り気じゃなかったし、無理して仲間で、ワチャワチャしていた時期もあった。
でも心の中はいつだって冷静で。
恋愛もあまりなく、アロマンティックな性分で中々恋出来ず、飽きっぽい。
何が楽しいのか分からないのに笑っていたら、表面上の友達はいくらか出来た。
容姿も悪くないし外見は褒められる部類だから相手選びに苦労はしない。
だけどアロマンティックだから誰とも付き合いたくない。面倒くさすぎる。
さて、どうしようかと。
正直、今私が消えても私的にはあまり悔いが無い。
何もやりたいこともないし、この先を考えることのが苦痛なのだ。
私の表面しか知らない人が大半だが、私は皆んなが思っているような人ではない。
いつだって消えたいの概念に纏わり付かれている。
先生にだって分かるはずが無い。
そんな気見せたことも私は無いし、見せる気も無いのだから。
最近母に私の悲観ぶりを話してみた。
恐らく母はガッカリしただろう。
母はなぜ、外見が良いのに消えたがるのか理解出来ないらしい。
私は外見が良いことでのデメリットを知った。それが無性に悲しくなった。
異性は嫌いだ。本当は。
だけどもう人間全般が嫌いなのかもしれない。
人間はお粗末だった。少なくともそう感じたことのが多かった。
私もお粗末だと思う。
皆んな外見と上っ面の良さにしか惹かれない。
人間って単純かつ愚かだと思った。
あぁこんな風にはなりたくないな、、
と思っていたが、私もそんな「こんな風にはなりたくない側の人間」でもあった。
もうどうでも良い。
今私はどうでも良いやと思いながら息している。
名前のない小瓶
私も毎日同じようなことを考えています。
生まれこなければよかった。
苦しまずに死にたい。
死にたいと願う気持ちを許されて、叶えたい。
生きること死ぬことを平等に選択できる世の中だったらいいのに、と思うようになりました。
名前のない小瓶
そうですね。自殺するにしても、しないにしても、底に至るまでは人それぞれのようですね。
自分も希死念慮には何度もとりつかれてますし、全否定するつもりはありません。しかし、高校生はまだ自殺はさけて欲しいです。希死念慮は鬱病などを伴っていることが多いですが、治療法はいろいろ開発されていますからね。
医者にかかったりしながら、二、三年はなんとか生きて欲しいです。
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