色々あってから数年経った今でも心理面での整理がつかないでいるので、読みにくい文章になることをどうかお許しください。
私は、物を片さない、鍵をうまく開けられなかった、身嗜みに関心を示していなかった、少し口応えをした、お手伝いをしていなかった……その他母親の気に障る事をすると、実の母親から「お前なんて産まなければよかった」「死んでしまえ」「ブサイク」などと言われ続けました。
暴言は物心ついた頃から高校卒業後に家を飛び出すまで絶えることはありませんでした。
父親は仕事で忙しく、存在感のある人ではなかったと記憶しています。加えて借金を人知れず抱え込む困った人でもありました。ですが仕事は真面目にこなす人だと後から会社の人に聞きました。父親は口癖のように「お母さんと仲良くするように」「話を聞いてあげてほしい」と言っていたのを覚えています。優しい父親だったのだと思います。でも私の気持ちももう少し慮って欲しかった。彼女の暴言を知っていたのだから私にばかり我慢を強いないで欲しかった。
私が実家にいた頃は母親の怒鳴り声の幻聴に悩まされ続けました。また、思春期頃から過去に投げつけられた暴言を思い出して人知れず何度も泣いていました。家から逃げた今でも一人で泣いています。職場であっても過去の記憶を思い出して涙ぐむこともあります。
家を飛び出してからしばらくした数年前に、父親が死にました。母親の不倫を苦にして自死を選択したようでした。父親が知っていたかは定かではありませんが母親の不倫は初めてではなかったようです。
私は、別件で父親と事務的なメールのやりとりをした際に、彼の文体から疲れが覗いていることに気がついていましたが、前述の過去から、あえて深く事情を掘り下げることをしませんでした。私の中では父親も、母親の虐待を止めることができなかった人間でした。だから少しだけ、彼を許すことができなかったのです。しかし、それが後悔の一つになりました。彼はこの頃から配偶者の不貞に悩んでいたのです。
母親は常々、「お前さえいなければ離婚していた」という趣旨の呪詛を吐いていました。子は鎹といいますが、まさにその通りで、父親と母親は私がいたから離婚せずにいたのだと思われます。
そもそも私がいなければ父親と母親は離婚し、母親の不倫が原因で父親が死を選ぶことはなかったと思うと、私は本当に居た堪れない気持ちになり、また無力感に苛まれます。原因を作った母親への怒りも未だ大きいです。
極め付けは、以前何気ない調子で暴言の件を尋ねたところ、母親は何も覚えていない様子だったことです。自分はいまだに鎖に縛られ続けているのにこの女は、と感じました。殺していればよかった、と心から思いました。
とにもかくにも、「お前なんて産まなければよかった」と言い続けた母親の言葉通りに、私は産まなければよかった子供になったのでした。
P.S 一応母親を擁護すると、彼女は確かに苦労していました。私の素行に問題があったことは否定しません。今でいうワンオペ育児で、食事も作り、仕事をして、趣味に勤しむ忙しい人で、彼女に余裕がなかったのも事実です。全てにおいて悪ではなかった点がまたさらに私を苦しめます。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。