結局のところ,なんだかんだ自己責任という言葉であたかもすべて自身が招いたことであるかのようにすべてのリスクを個人に背負わせる傾向にあるよな,人間って.人生ある意味運の要素も強い上に,心が弱くそのリスクに押しつぶされてしまう人間もたくさんいるというのに.先日命を絶たれた三浦春馬さんや竹内結子さんのこと.僕らを含むまわりの人間が暗黙のうちに,知らず知らずのうちに自己責任という言葉で三浦さんのすべてを片付けてしまったから,それを三浦さん自身や竹内さん自身で抱え込んでしまい,最終的にそのウェイトに耐えきれず押しつぶされてしまったのではないかと.結局,まわりの人間は三浦さんや竹内さんの輝いているところしか見ていなかったわけで,三浦さんや竹内さんのすべてを見ていたわけではない.でもその三浦さんや竹内さんの黒い部分を知っていたとしてもおそらく見て見ぬふりをする以外のことはできない.気づいたときにはすでに手遅れ.支えあいの精神,和の心なんて嘘なのではないかと疑わずにはいられない.一度踏み外すともとに戻るのが難しい日本社会そのものがこのことを象徴しているといっても過言ではないと思う.本当にそのよくわからない自己責任などというものを負う個々に原因のすべてがあるといえるのだろうか.このままではうまく責任転嫁してまわりの人間を押しのける卑劣な輩が最終的に多く生き残るのではないだろうか.持ち前の「常識を疑う力」を活かして,この日本社会に長くはびこる「自己責任論」についていま一度自分なりに深く考察してみようか.努力しても手の届かないもの,手に入れられないものなんて世の中にたくさんあるだろうよ.このままだと自殺する人やうつ病にかかる人が増加する一方だと思う.