壁打ち小瓶。
宛メの使い方というか、前々から思うところがあったことについて言葉が降ってきたので。
お返事についての数年前に流した小瓶とは内容がちょっとずれるので別個で流すことにします。
誰かの悪意に触れるのは、きつい。
言葉遣いが汚いのも、誰かを傷つける言葉ばかりになってしまうのも、その人に余裕がないからだと思っています。
同時に、誰かの悪意が気になっちゃう自分からも、余裕が消えていたりする。
疲れていたり傷ついていたり怒っていたりする人に、受け取る人のこと考えて言ってよと要求するのは、その人のあるがままの気持ちを受け止めることとは、宛メの方針とは矛盾しない?
もちろん個人レベルで気をつける必要はありますが、誰かが強制するのは違う、と思う。
テクスト(書かれた文章そのままの形)には、書き手と受け取り手それぞれのコンテクスト(文脈、経験や知識や背景)があり、それはひとりひとり違っていて当然です。
誰かにもやもやするのは悪いことではありません。それを誰かに押し付けない限り。
小瓶を受け取らなきゃいけない義務も、お返事をもらったら返さなきゃいけない義務も存在しないのだから、見たくなければ見ないというのも選択肢のひとつだと思います。
私もしんどいなーーーって思ったら数週間~数ヶ月宛メから離れることも多いです。
特に小瓶を流すことよりお返事を書くことが増えてからは、そんな感じ。
受け取りすぎると疲れちゃいますから、ゆるゆるいきましょう。
あと、私は読み手はそんなに意識しませんが、あえて思うのは人を傷つけて致命傷を与える言葉を紡ぎたいということです。(これは、宛メというよりは部活で書いていた小説の話かもしれん。)
他者への違和感や嫌悪感はそっくりそのまま自分へ返ってくるし、それこそが自分の内面への気づきだと信じています。ストイック自傷大好き人間だからね。
(たとえば、自分は○○しているのにどうしてあの人はそうしないんだろう!と思う時は、○○している自分が損だと思っているから相手のことをずるいと感じてしまう、とか。)
そしてそれはもちろん、誹謗中傷とは質を異にするものです。宛メという場についてはそういうお返事に私自身は学ばせていただいてきたので、ひとつ目指す形ではあります。
ただ、あくまで相手に寄り添う気持ちをもった上でのさらにさらに上の超絶上級技巧だと思っているので、習得するより先に仙人になれそう。
私ももうけっこう長くいるので、お返事頑張りすぎて疲れて宛メからいなくなっちゃった人を何人も見ました。気張らずに、ゆるゆるでいいから、宛メという場所と、宛メが好きなユーザーさんが長くながく続けばいいと思っています。
寒くなってきましたからお身体にはお気をつけて。私はヒートテック出したぞ!
108543通目の宛名のないメール
お返事が届いています
りぃふ
(小瓶主)
リトルビュートさん
お返事ありがとうございます!
嫌でも目に入ってくる悪意に疲弊してしまうこと、ありますよね。
際どい小瓶にフィルターをかけることも(今後検討されうる)手段の1つなのかなぁと思いますが、
それだとフィルターをかけられた側の小瓶主さんが自分を否定されたように受け取ってしまわないかな、とか
そもそもどこからを悪意と「捉える」かは人それぞれなので、主観的に誰かの小瓶をジャッジするのはとても危険な行為だなぁとも思います。
現状宛メには読む側の心を守るためのシステムが整っていないので
(本音を言う環境をつくるためにできたサイトだから読む側が後回しになってしまったのは仕方ないことなのだろうけど)
現状有効な手段として、距離を置くことが選択肢にあってもいいのかなと思っています。
真面目だから、みんな受け止めなきゃってあっぷあっぷになってるけどそんな必要もないのかなって。
避けられない悪意に直面するという課題は宛メに限らずどのSNSでもきっと存在するんだと思います。
難しい問題ですね。
それでもなんだかんだ宛メが好きだから来ちゃうんだよなーーー!!!
リトルビュート
宛メを始めて1年くらい経った者です。
そんなにお返事を頑張っている方ではないけれど、最近誰かの悪意に触れるのが辛いと考えるようになってきました。
見たくないなら見なければいいというのはその通りですが、嫌でも目に入ってくるものもたくさんあるので…。
この小瓶を読んで宛メから少し離れることが今の私には必要かなと考えるようになりました。
でも、それでも居心地がいいような感じがしてなかなかやめられないでいます。
りぃふ
(小瓶主)
Kpさん
先日に引き続きお返事ありがとうございます!
宛メはみんながちょっとだけ本音を言って楽になるための場所だと思っているので使う人に向き・不向きはないと思っているのですが、
とはいえサイトの性質上、誰かの悪意や苦しさや悲しみががつん!とぶつかってくる場所でもあるので受け取りすぎで疲れちゃうこともありますよね。
自分がしんどくならないために自衛手段を取るのだっていいと思うし、離れてみて数年後気が向いたらまた戻ってくるのでもいいと思うんです。
小瓶拾ってもらったり、お返事もらったりして誰かの役に立つことも素晴らしいけれど、なにより自分が大事です。ほんとうに。
だから、Kpさんの気持ちがいちばん楽になる方法をどうかとってほしいと思います。
その選択が特定の人の小瓶だけ拾うことだとしても、宛メを離れることだとしても(寂しいけどね)。
小瓶にも書きましたが、
短期間でお返事を頑張りすぎた結果疲れて宛メからいなくなってしまった人を何人も見てきたので、
完全にいなくなってしまうのではなく、長期休暇を度々挟みつつもながーく宛メにいることを選択肢にいれてくれる人が増えたらいいのになと思って小瓶を流した次第です。
2通目の烏羽さんも素敵なお返事をくださったので、お時間ありましたらぜひ読んでみてください。
ヒートテックに引き続き、コートとマフラーも引っ張り出しました。
ぬくぬく暮らしましょー!!
ありがとうございました。
烏羽さん
いつもお返事ありがとうございます!
しかも8時間もかけてくださったなんて…本当に感謝です。
悪口のくだり、勉強させていただきました。私は、罪悪感が癖になるのと似ているなぁなんて思いながら読みました。(虐待とか自傷とか駄目だと思っているのにやめられなくなってしまうやつ)
この小瓶は、まさに宛メ内で
>受け手自身が「受け手側の事を考えて書いて欲しい」
的なことを書いてあるのをどこかでちらりと見てむむ…?と思って書いたものです。
トップページから見出しだけで見えちゃったものはしょうがないとして、
小瓶をわざわざ拾って何かを感じるというのは小瓶主さんの文脈を離れた行為なので、小瓶主さんにあれこれ要求するよりは読み手側が自分で自衛するなり感情への対処法を見つけるなりしていく必要がある部分なのかなと思っています。
私の場合は、宛メの利用頻度を減らした(というか実生活の都合で結果的に減った)ということだったわけです。
>発信者も受け手も、お互いがお互いの立場と、自分の立場の双方から見えるものを、理解した上、自他の区別をはっきりさせた上で、思いやりが通えば、理想なのかもしれんがね。
この部分、まさにまさにその通りだなぁと思って読みました!
思いやりはもちろん大事ですが、意外と「自他の区別」ってやつが(私は特に)疎かになりがちだなぁと思います。気をつけなきゃ。
自分と他人の区別をきちんとつけておけば他人を攻撃することはもちろん、なにより誰かのマイナスの感情に共振しすぎることも減る気がします。
宛メがいろんな人にとって居心地のよいくつろげる場所であってほしいし、できたら長く居続けてくれるユーザーさんがこの先も増えたらなぁと常々考えています。
寒くなってきたのでココアがぶ飲みして極力健康に過ごすようにします!
(とか書いといて既に夜更かししている)
ありがとうございました。
烏羽
(例の如く好き勝手書いた、かなりの長乱文なので、お時間と余裕のある際に読んで頂ければ幸いです。大体は余談なので、興味がなかったり読み疲れてきたらすっ飛ばして構いません。なんだったらラップのリズム調で読んでみて下さい。暇は潰せます)
うーむ…。
少し込み入るが、人間の闇の話をしよう。(余談)
実はな、怒りや不快感に任せた衝動的な悪口や暴言というのは、心理学的に、人間の身体が戦いに明け暮れていた古い時代を思い出すのか解らんが、悪い意味で癖になりやすい側面があったりするそうな。(快感に近いものを脳が感じているとか何とか)
(己の状況に根ざした劣等感などから、心を、悪口で支えようとする場合、悪口暴言がストレスの発散にはなっても、心の支えとはならないので、解決にならない所か、自ら更に悪口の源となるストレス源を価値観として作り、現実にも作るリスクを抱える。
そのため、変わらない頭の中の価値観に対して、悪口を言い続けたり、更なるストレスを増やし続ける悪循環に陥りやすい。
悪口などは、「外が変化する事を待つ行動」である以上、自身の思考の一部を固定する。そして、悪口のために作ってしまった価値観へと、執着すればするほど、半永久的に解決しないストレスとなる。筋肉も思考も、基本的に使えば使うほど最適化されるので…、最終的には、取り返しがつかないとでも言えるほどになる。
…一応、そういった危険に気付けば何とかなるが、取り返しがつかなくなると、非常に、認めにくくなる。虚言癖もこの形式に近いと思う)
だから、「なんやかんやあって余裕がなく、悪口に頼った状態」もしくは、「悪口を言って当然の相手という価値観」などとなっていれば、そのハードルが下がって、「悪口暴言が当たり前のような自身」という構図が起こり得る。
(人間の機能としては正常であるが、倫理観や社会的に困る。俺自身がその悪口当然状態を軽く体感した感覚からして、まともだったとは思えない)
あれば良いってもんじゃないが、悪口に背景が乗っていないというか、勢いのままで、地に足のついた筋道、道理がない、というかね。
(また、「冗談」という解釈にもよるが、冗談で悪口を使う場合も起こり得るのが怖いところ)
だから、嘆かわしい事に自身の余裕がどうと関係なく、単純にヤジや中傷を飛ばしたいだけとか、相手を貶めたいが為に使っている人もいる。
(これらは、宛メではあんま見ない気がするが、見てる限りのネット内だと誹謗中傷の類として、名誉毀損やら侮辱罪やらで訴えられてたりするのをチラホラ目にする)
このご時世、ストレスが溜まりやすいかと思われるので、悪口を言う人と言わない人、という差が出やすくなるかと杞憂し、二極化しそうだな、とか思ったり思わなかったり。(知らんけど)
まあ、ともかく、現在的に(過去になんかあったのかもしれんが)余裕があるなし関わらず悪口暴言を言う人もいるにはいるようなので、注意喚起しとくぜ。
(俺自身もそうならぬよう気をつけにゃならん)
また別の話、悪口を言う人の周囲にいる人は、作業効率が落ちるという研究結果もあるそうな。
本当かどうかは解らんが、他、人間の原始的な、本能を司ってる部位の脳が主語を理解出来てないとかなんとかで…、小難しい話になるが、要は、「何か物事があった時に、自分に当てはめて考えてみる事が基本」だと思うんで、「自分に悪口を言われている」という状況が頭の中に、仮想的に発生するのかもしれんな。
(過去の情景やら新規やら)
そういう観点からして。
悪口を言ってる場面に遭遇すると、余裕がなくなるってのはそういう所などから来てるのかもしれん、というのと。
だからこそ、自身の心の距離を保とうとして「悪口を言う人は余裕がない」と考える場合、裏を返すと悪口暴言を言いまくる人に対し、情を持つなりで引っ掛かかりを覚え、さらに余裕を失いやすくなる可能性があるのは注意したい。
(話は逸れる上、事細かには端折るが、悪口があるかどうかに関わらず、正義感や優しさの強さが、宛メでのお返事に直結する方もいらっしゃるかと思うので…、実はそれも状況で似たようになる部類であって、己が身を削るほど「余裕がなくなっている≒どこかの効率が落ちている」事は言っておきたい)
また、「そんなこと言う奴は余裕がないんだ(嫌味)」と考えてしまう時は、自分自身に余裕がなくなっている兆しかもしれん。
…あんまり言いたくないが、ブラック企業とか、人間的な問題の話、そういうのを含め、理解した上で心理的な事を利用しようとする狡い…、いわゆる冗談でもなんでもないサイコパスな奴はいるんで、「この人には余裕がないんだな」という感覚や思いやりに漬け込んでくる上司、とかの状況もある。
(端的に言うと、普段は罵詈雑言なのに、ふと優しい一面を見せ、その流れを繰り返すような奴。人からの慈悲と、「上から、という心理的な立場」を利用している。自覚して自戒できる人は関係ない)
なので、基本的には、よっぽどその人との関係性が大事とかじゃない限り、自分の身を守る為にも関わらん方がええのや…。
宛メにいい人というか、良識的で自己犠牲感のあるように思われる方々はチラホラ見受けられるから、少し心配ではある。
(「大事な関係だったら、相手だって暴言吐いた後にフォロー入れてくる…」という事も、心理的知識があって尚、そこまでやる奴なら織り込んでくるだろうなので、「見極める」事のリスク考慮を含め、距離を取るのが堅実な気がしている)
重大だと感じ、いざ踏み込もうとすると、必ずエネルギーというのか、気力というのか、神経使うからね。
(長文書きまくる俺が言えた事でもないとは思うが)
その上、悪口に触れる事で、少なからず心身は戦闘態勢の準備段階みたいになるし…、そのせいで、また些細な事を自分の事として考えやすくなったりする。(防衛本能的に…、いわば、地雷が増えやすくなる)
…で、怒りやすくなったりする。んで、怒ったら怒ったで、戦闘態勢になるから、自分を守る為に攻撃…、悪口で口撃する、などの無限ループになる。(The不毛)
ここが問題を大きくしやすいというか、そういったデメリットを理解した方が、言葉の扱いそのものに意識が向きやすい、とは思う。
(自分自身について自覚しておくだけでも、多少なりとも取れる行動の違いや、回数による差は出るし)
あと、正義感に駆られて、自分の頭の中の「悪」を誰かに投影してしまった時、罵詈雑言を言いやすくなる、というのもあるので、俺も気をつけたい。
己の行動を変えるか変えないか、がそもそも人それぞれの決断や、その決断も自分の意思や他の人やらによるきっかけから得た流れなどでしかないので…、変わりたければ人は変わろうとするし、変わりたくとも変わるときゃ変わる。
他、修正力というか…、誠意というか、真心さえあれば意思や知識なくとも自然と沿うように変わっていくもんなんだろう。(脱線に次ぐ脱線)
理性というか、自制というか、宛メで人間関係を深く考えてから、活かし切れてはいないのだろうけど、それらをずいぶん学んだ気はするな。
そういう点から見ると、人によってこの場所は、人間関係の学び場になるのかもしれん、と思ったりする。
それも時や、文化や、人の流れの運絡みではあるのだろうけども。
「言葉を丁寧に扱う」という視点も、文字だらけの本に触れられた事や、何よりこの場所あってのお陰なのやもしれん。
そして、ユーザーとして、宛メに対して考える方々のお陰でもあるんだろうな。
『↓こっから本題』
…というクッソ長いどうでもいい余談はさておき、個人的に、感情そのままに出てきた言葉を小瓶に込めた事を、受け手自身が「受け手側の事を考えて書いて欲しい」的なのは違和感を覚えるな。
なんというか、表現が拙いので不快に思う方もいらっしゃるかもしれんが、お客自身が「お客様は神様だ」と言うのとか、働かせたいが為に「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉を使うアレとかに似た感覚を覚える。
(だからといって、それ以上特に思う事がある訳でもないが)
ただ、それとは別に、感情は瞬間的なものなので(怒りは6秒だったか?10秒だったか、それぐらいしか持続しないらしい)少し冷静になってから言葉にしようとしてみると「態々この悪口を使わなくても、伝えたい事は伝わるんじゃないか?」という点に、発信者が気付く事もあったりする。
受け手としては、俺が小瓶を読んで、最近でも読んだ自分がムッとする事、感情的になる事はあるが…
そこはあくまで「登場人物の背景などを、自分が悪口を言われていると想定してから、状況を想像している」という点から来るという自覚がある事と、「正義感」とはあまり頼りにならないものだという認識からある程度、自制は効いていると思う。
(正義感うんぬん…というより…、まだよく解ってなくて、受け売りでしか言葉にできんが、自分や他人を守るためには、己を良しとする事で時に危うくもなる正義感より、利己的でない、心の内から出てきた信念や情、志の方が大事、みたいな認識?)
あとは、悪口を言われたりした時、自身の地雷が増えるというか…、俺の場合、戦闘態勢になって相手からの悪口という攻撃に敏感になる事と、それに対してやり返そうとする癖とか、その辺への…、自分周りへの理解、及び対処とかかね。
(自分自身、悪口を言う時は言うし、対処法は探し続けてる途中だけども)
小瓶主さん方々の事情背景や、(使っていたのであれば)悪口が出る程の余裕のなさを思慮した上で、自分を受け手として認識すると、「俺が出向いて小瓶を拾った」訳だから、それ以上求めるものはなく、その時返事が思い付かないか、する気がないか、見てるだけか、色々はあるが、機が合わなければブラウザバックしてる。
「小瓶を拾った後」は超(スーパー)個人的な部分になるのよね。
だけども、小瓶の内容…、もっと言えば、言葉から、自分が感じた事に対してムッと来て…。そこも解らんでもない。
(俺のこの返事で言えば、「誰かが長文を読むのに費やした気力と時間は帰ってこない」。…無論、そういった言葉も、個人的な解釈の範囲であって、それを俺の口から…というか手で書く事ではないのだが)
発信者の小瓶主さんは、「読み手が人それぞれいる訳で、誰が読むかも解らないからこそ」…、その状況をそれぞれ解釈して、「それぞれに」今の自分が思う読みやすさで書いたり、知られなくてもいいという思いなどから、書いたり書かなかったりする。
誰かに見られるとか、見せようとか、そういう視点にはならなかったり…、各々の尺度から書く訳でもある。
確かに、「書かれたものを見て、感じる」という、そこはどうしようもないが、それは受け手そのものにも「人それぞれの解釈」という要素があるからこそ。(誰が悪いとかではなく)
感じた事柄は自分のものなので、その対処をどうするのかって話ならできる。
俺の場合は、個人の中で収まる範囲なら、言葉の解釈、視点を変えてみたり、そうする為に、自分がどんな解釈や視点を持って見ているのか認識しようとするかなあ。
俺自身が、「〇〇が嫌い」って言葉に引っ掛かりを覚えて、否定的な反応をするなら、俺の過去にそれだけの背景があったってだけの事だし、冷静になってみれば他人とは関係ないからね。
強いて言うなら、そういう自覚から、「自分自身の解釈を変えられる」と自認する事も大事かもしれん。
また、りぃふさんも過去に似たような事を書かれていたと思うのだけど、引っ掛かりを覚えやすいのは、抽象的な言葉(受け手に判断が任されやすい言葉)だったり、(説明が端折られているのであろう)共有できる情報がなければ伝わりにくい、前後の脈絡が抜けた言葉だったりする。
(俺も文章なり、読む時なり、気を付けてはいるが、人間の仕組み上どうやっても起こるので、現時点で気を付けられる事をその都度気を付けるしかない)
勿論、強く引っ掛かりを覚える事もあるだろうけど、裏を返せばそれだけ己の思いが強いって事でもある。
モヤっとしたら運動なりゲームなり動画見るなり寝るなりで、発散できる分はする。(出来ない時は出来ないので、そういうもん)
個人で収まらない所というか、人と関わる範囲になると、人間関係で何に気を配るのか…、思いやりを持って、そこからどうするのか、って話になってくるよな。
発信者も受け手も、お互いがお互いの立場と、自分の立場の双方から見えるものを、理解した上、自他の区別をはっきりさせた上で、思いやりが通えば、理想なのかもしれんがね。
…なんで一々聞かれてもないアドバイス書いてんのかって、自分でもよく解らんが、慣れか甘えか、宛メを悪口や悪意の巣窟にはしたくないんだろう、多分。
(にしてもここまで、まとまりのない長文を書くのに8時間かけたのはやりすぎである。誰か文才をくれ)
宛メに対して環境的にデータ的にも、金銭的な支援も今んところ出来そうにないけど、俺も宛メという場所、そして一人一人のユーザーが長く、そして少しでも、こういう場所だからこそ、気張り過ぎず、真心の通う事があればと思う。
見なくなった人も、生きてるか死んでるかはさておき、まあ、そこそこでも元気にしてりゃあ嬉しいな。(気にはなるけどドライ)
ちなみにコーヒーや酒より、暖まるのはココアらしいんで、寒い時にはオススメだぞ。
(もしもここまでぶっ通しで読んだ方がいるのなら、ちゃんと目を休ませてな…)
Kp
りぃふさん、こんにちは。
Kpと申します。
日々思い悩んでいた内容だったので、
少し涙腺が弛んでしまいました。
小瓶を流してくださってありがとうございます。
宛メの小瓶を流すところに、
不特定多数を不快にさせる、攻撃する内容(ヘイトスピーチなど)は流せません。
とはあるのですが、
やはり、
りぃふさんの仰る通り、
言葉遣いが汚いのも、誰かを傷つける言葉ばかりになってしまうのも、その人に余裕がないからなんですよね。
同時に、誰かの悪意が気になっちゃう自分からも、余裕が消えているのでしょう。
疲れていたり傷ついていたり怒っていたりする人に、受け取る人のこと考えて言ってよと要求するのは、その人のあるがままの気持ちを受け止めることとは、
宛メの方針とは矛盾しますよね。
小瓶を受け取らなきゃいけない義務も、
お返事をもらったら返さなきゃいけない義務も存在しないのだから、
見たくなければ見なければ良いだけ。
りぃふさんは、数週間~数ヶ月宛メから離れることも多いんですね。
私はフォローしている方の小瓶に絞ることで自衛?しようかな、というのが今のところの考えです。
宛メ自体のアカウントを消して去る事も視野に入れているのですが、
お返事したい方がいるので、なかなか踏ん切りがつかなくて。。。
本当は私のような人間は、宛メから離れた方が良いのだと、向いていないのだと思うのですが、フォローしている方々を放って、置いて逝くのも後ろ髪をひかれます。
宛メ、止めた方がいいのかなぁ。
サポーターは続けて、
お返事や小瓶を流すことを止めるのが、
ベストなところでしょうか。
やっぱり悩みます。。。
私、向いていませんね、宛メ。
りぃふさんの言葉の1つ1つがとても心に染み入るように入ってきました。
ありがとうございます。
すごく、すごく嬉しかったです。
りぃふさんもヒートテック出しましたか!
私は、既に超極暖です!
お互いに、風邪などひきませんように。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。