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誰かがいじめをした、いじめられた。そういった内容の記事やニュースを見聞きするたび、なんとなく、自分も誰かを過度に傷つけてしまっていたのではないかと心配になる

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誰かがいじめをした、いじめられた。そういった内容の記事やニュースを見聞きするたび、なんとなく、自分も誰かを過度に傷つけてしまっていたのではないかと心配になる。そのいじめの加害者に対して酷い暴言を浴びせている人たちも、死ねば良いとさえ言っている人たちも、自分がもし知らぬうちに誰かを傷つけ苦しめていたら?同じことを自分に対しても言えるのか?なんて考えたりしないのかと思ってしまう。無論いじめの加害者は犯罪者と同義で、そこに故意も意図もあろうがなかろうが、自身がいじめをしたということに変わりはなく、それは罰せられるべきことと思っている。

だから、私は私が記憶の外で、意識の外で罪人になってしまっているのではないかと不安になってしまっている。いや、私は罪人だった。未遂をしてしまった。間接的に幇助してしまっていた。見て見ぬ振りをしてしまった。私は罪人である、間違いなかった。

許されるとは思っていないし唐突でもあるが、少し懺悔をさせてほしい。

私は小学1年生ほどの時、いじめをしてしまいそうになったことがある。少しふざけるつもりで、濡れた雑巾を友達の頭の上で絞ろうとした。何がふざけるつもりだ。最低だ。本当に最低だ。幸いにもそれは同じクラスの誰かの、「それいじめだよ」という言葉で、私は私が誰かをいじめようとしてしまっていたことに気づいて、すぐにやめられた。私はこの時のことを覚えてはいるのだが、その肝心のいじめようとしてしまっていた子についてのことを、何も覚えてすらいない。直後に謝った記憶もない。私は最低だ、罪人だ。せめて誰に対してやろうとしていたのかは覚えていなきゃいけないはずなのに、私は誰かを忘れてしまった。願うなら、その子がせめて私のことを許していないことを。未遂とはいえ、私がやろうとしていたことは完璧に「いじめ」であったのだから。

もう一つ。クラスがらみでのいじめのことだ。私が小学5年生だったとき、とある子がいじめられていた。直接的ないじめではなかったが、陰口やその子の持ち物、机などが汚い物扱いされるなど、陰湿なものだった。それはその子が居る時にはほとんど表に出されていないものだった。が、その子はペア決めなどで最後の方になってしまいがちだったし、陰口も時折その子がその子らしさ——その子はとても優しく繊細な反面、いや優しすぎるが故に少し空気の読めない子だった——みたいなものを出してしまった時、誰かがヒソヒソ言っていたからか、その子は自分がクラスにどう思われて扱われているのかわかっているようだった。そして、その子はいつからか学校に来なくなっていた。

私がよく覚えているのが、その子が学校を休んでいたときのこと。とある授業で、いじめられていた子が使っていた机と椅子に、別の子が座る、となったとき。その「別の子」はいじめられていた子の机に対して距離をとり、まるでばい菌のようにその子の机を扱っていた。私は偶然隣に座っていたのだが、その子の行動を咎められなかった。別に本人は見ていないのだし、怖いし。いいか。と思ってしまった。この行動こそがいじめの幇助に繋がることであり、私は自分が少しの勇気も出せなかったことに、心底嫌気がさしている。自分ごとのくせに、なんだか他人ごとみたいな言い草になってしまった。ごめんなさい。

少しして、担任の先生から話をされた。その子がとても苦しんでいたこと。苦しみながらもわざわざ学校に来て先生に相談して、気持ちを打ち明けてくれたこと。その内容が、いじめ同然のものであったこと。先生は言った。このクラスではいじめが起きていると。私は胸が縛り付けられて、目の前がぐるぐる回っているような感覚に陥った。そりゃそうだ。あれは誰がどう見たっていじめだ。でも私は、そのいじめを見て見ぬふりをして、幇助してしまった。いや、幇助なんてものではない。私もいじめてしまっていた。私は自分自身を深く恥じた。私はいじめのことに気づいて、これがいじめということに感づいていながらも、何もしなかった。同罪だ。私は罪人だ。
それから言葉のお説教が二時間ほど続いて、そのいじめについてはほとんど流されることとなった。でも、その子は終ぞ、学校に姿を見せることはなかった。私が声をかけて、味方になってあげていれば、あの子は救われたのか?わからない。わかるはずもない、私にそんな勇気はなかった。私はそんな勇気もない人間、人間以下だ。

時々この場面が朧げにフラッシュバックして、私は誰かを無意識にいじめてしまっていないか、気になるようになった。誰かをいじめていないか、傷つけてしまっていないかを考えたって、私がしようとしたことしたことが消えるわけではない。私が普通の人間に戻れるわけじゃない。それでも私は悪人のような心を持っているから、これ以上自分が罪を重ねてしまうことが、罪を重ねているかもしれないことが恐ろしいから。だから気になってしまうんだ。でも、気にしないよりはマシなんじゃないかな、と思っていたりもするんだ。本当に救いようもないバカ、脳内花畑野郎。それを当事者が言っちゃおしまいだろう。

とにかく、私はこれが知りたい。いじめの加害者に対して罵詈雑言を浴びせている人たちは、自分が意識の外で同じようなことをしてしまっているのではないかとは思わないのだろうか。考えを巡らせたうえで、やっぱり自分はやっていないと言い切れるから、あんなことを言っているのだろうか。彼らが「死ね」というたびに、私はそれが自分のことと思えて仕方がない。私は赦されたい、だが赦されてはいけない。だから私は死ぬべきなんじゃないか。ただそう思えて仕方がない。

私はどこまでも自分本位で、だから。だから私は。こんな質問をしてしまっている。わかっている。わかっているからタチが悪いのか。

長々とした自分語りに付き合ってくれてありがとう。脱線しまくりの長文でごめんなさい。

どうかあなたの人生に幸があらんことを。
名前のない小瓶
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ななしさん

いじめかどうかは、お互いの関係性によりますよね。
相手が抵抗できないのに、嫌なことをやり続けるのが、いじめでしょう。
でも、あなたの場合はそういうわけではない。
「濡れた雑巾」の件は、小学一年生の悪ふざけって感じかな。
仲良しの相手と、お互いにじゃれあってるなら、いじめという程ではないと思いますよ。

小学五年生の頃のことは、ほとんどの人が、いじめっ子に直接は言いにくいですよ。大人になってからは、「そっと先生に伝えたらよかったかな」と思うかもしれないけれど。
必要以上の罪悪感をもたなくていいですよ。

あなたは繊細で良心的な方なので、当時のことを人より深く感じ、そこから学ばれたのではないかと思います。
どうしても気になるなら、いじめで悩んでいる子どもたちに役立つようなことをされてはどうでしょう。
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