(生きる)意味を背負って、自分の命に重さを足したくない。できるだけ頑張りたくない。疲れたくない。楽でいたい。
(生きる)理由を作って、自分の命を縛り付けたくない。自由すぎて逆に身動きがとれないくらいでいい。働きたくない。楽でいたい。
生きなくていいから、わりとどうでもよかったりするのに。周りはなんだか、生きることがあたりまえみたいに生活してる。
体が勝手に生きようとすることに、わざわざ逆らうのもめんどくさくて。興味もないけど、暇だし、自分の行く末でも観察するか……
紛れもなく一心同体なんだと思う。
私という存在。思考というのか、脳なのか、心なのか。それら全てが別であるにも関わらず、1人の人間という存在に入って個体となっているのか。
「感謝なんてするものか。私はこの体が嫌いだ!」
「ありがとう。生きててくれて。大好きだよ」
これらの言葉は感情(心)からすれば、冷たいものだったり温かいものだったりするらしいが、
私(思考)からすればただの言葉だ。
大抵はリンクさせて考えるから、心が思ってることを理解できるつもりではいる。ただ、私が強すぎて感情を抑制してしまったり、心が働いてないときがあったりもして。
そういったときは過去のデータ、知識で補うわけだけれど……あくまでこの体が辿ってきて入手した分しかないから、他者と接した時に食い違う可能性が大きい気がする。つまり自信がない。
私であって、私でない別の思考が言うんだ。「おかしい」って。
それに感情がざわついて、先ほどまで書いたことと逆。心と呼ばれる存在が、私(思考)を抑える。乗っ取りに近いかもしれない。私はこの体の中でそんなに強くない。この体が苦しい時、「くるしい」が脳内を埋め尽くしてはこの体全てを苦しくさせる。私から見れば『やりたくないことを嫌々やってる』自分(体)がそこにいるだけ。それを、精神(こころ)は「この体、これ苦しいって」って言うんだ。教えられたそれを、私は覚える。それを、この人間にとっては正しいことにする。? 合ってる?
冷静さを欠いてきた気がする。
最初から冷静ではない気もする。
私の考えではパターンは
体→心→脳 体→脳→心
心→脳→体 心→体→脳
脳→体→心 脳→心→体
実際にはもっと複雑かもしれない。
もしくはもっと単純かもしれない。
話をややこしくするのは私の得意分野だ。思考するのは、思考の役目ですから。
これは心さんによると少し楽しいようですね。(名前っぽく言ってますけど、人格とか名前じゃないですよ)
心身の健康のため、楽しいのは良いことだと思いますので、私はこれを書いているのかもしれません。
それでは皆様さようなら。
また会えると思いますよ。
この体が生きてる限り、私は存在していますから。
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