死にたいと、思っていました。
今はもう昔の話です。
なぜ生きるかなんて問われても分からなかった。
死なない理由だけ、
それだけで生きていた。
死ぬのが怖くて生きていた。
中学生の時、希死念慮という概念を知りました。
それと、自傷。
うまくいかないことがあったら
自分にフラストレーションを向けるのは
昔からやってきたこと。
それが少し強くなっただけのことでした。
誰かを故意に傷つけたら
ものにあたってしまったら
後ろめたくなる、
怒られる、
戻すのが面倒になる。
だから自分を傷つけた。
傷口をえぐる快感と少しの後ろめたさ
それと同じ
楽しかった。
自分の腕を見て、傷があって
安心して、
全部を許した。
世界中がきれいで、自分だけが汚点な気がしていた
俺さえ死んでしまえば世界が完成するような
そんな汚くてきれいな世界をどこかで見ている感覚だった
痛いのは嫌いです
だから死ななかった
痛くない確実な死に方知りたかった
怖がったからたどり着かなかったんだろうな
今だってきれいな世界です
本当に、死にたくなるくらい。
しあわせなこれまでで、
それでも上回るほどの幸せを知って、
大切な人もできて
はじめて生きる目的も知って
死なない理由をなくした俺に
生きる理由ができて
ときどき、ほんとにときどき死にたくなって
綺麗な人を見るたびに
綺麗にこの人は生きてきたんだろうなって
この人はきれいな世界で生きてきたんだろうなとか
この人はこんなくらい世界でいるのに気高く生きているんだなとか
こんなに苦しいはずなのに笑顔なんだなとか
周りの人を見るたび死にたくなる
人間が綺麗すぎて眩しすぎて死にたくなる
のうのうと生きている自分が嫌いになる
はじめから、生きる理由なんてなかったんです
進路だって
やりたいことだって
全部嘘っぱちにつくって
それに自分が迎合してきただけ
だから光に見えた
だから、生きる理由をくれた人たちが俺には光に見えた
俺の手で曇らせてしまうのが嫌になった。
俺ごときの手で曇るような輝きじゃないんです
それは知っているけど
それでも苦しくなる
綺麗な人たちといるとき、
自分が自分でなくなっていく感覚が心地よくて
自分が消えていくことが痛くて
自分が醜くて消えたくなる
ほんとうに
この人たちが幸せになってくれたらいいなと思う
おれもしあわせになりたいな