この頃、停滞期にいながらも
少しずつですが、端から見たら明らかに、
暴れる生活を、自身で選んでしています。
本人は、こころのままに、な、だけですが。
再度、実験中なのさ。
他人の中にいると、空気読みまくり
協調性命のくせに(他人の拒絶がこわいから)、
腹の中では、いつだって、自分はこう思っているんだぜ、が
しっかりあるのに、折衷案または、他人に譲るばかりで、
自分の案すら、堂々と出せない女が、
本気出してきています。
要は、表に出してみたら、どうなるのでしょう?
をやってます。
(バイトも含む)
本業だと、私は、職人なので、各自が一つの目標に向かって
自身の役割を淡々とこなしていけば、
(みな役職が違う)良いものが出来ることが多い、というのも
経験上知っています。
その中で、自分が出来ること出来ないことも言えるし、
他人に譲ったり、折衷案を出したり、時に折れたりもします。
だから、まるっきりのクルクルパーではないとは思っていますが、
同じ役職のもの同士のなかで、自分を対等に出す、というのが
超苦手、というより、やらずに来たな、逃げて来たな。
笑いでやりすごしてきたな、なので、
今更やってます。
えらいことになってます。
火のないところで、火がボーボーです。
私の場合、自分の意見を言うこと自体、
皆が、見ないようにしていたものの蓋を開けまくっている扱いです。
少し手を加えれば、格段に改善するのに、
周りの人たちは、お客さん目線ではなく、
従業員同士の和を重んじすぎていて、物が売れる努力をしません。
私は、これ、別のやりかたもあるよ、って提案してるだけですが。
人を押さえつけるのが好きな人と、自動的に対立します。
(女の集団、というやつです。)
でも、だんだん、まーいーか、どう思われても~の
度合いが増えていっています。
なので、やっちゃってます。
同時に、私は、今まで、なぜ、ここまで
自分にとって、どうでもいい人に、拒絶されることに
あれほど恐れていたのだろう?と思うことが
まだ、小さいですが、徐々に増えていっています。
まだまだ実験中です。
あと、わたしは、昔いじめにあいました、と書くことがありましたが、
(言いようがないので)
あれは、毎度違和感があり、
先日、唐突に「あれはいじめではない、厳密に言えば村八分だ!」
としっくりいきました。
いじめ、って、自分の中ではイメージが違うのです。
どちらも理不尽は理不尽なんだけど、
「ムラ社会」から、「おまえはよそ者だから、外に出した」
という扱いが適切だった気がする。
うーん。余談。
暴れる女に、ついて来たいヤツだけがついて来い、という感じです。
私も、自分がある人と、ちょっとずつ、距離が縮められるように
なれるとうれしいです。
(その人に受け入れられないことがあっても、それも失恋だ、と
受け入れます!)
まいたん