10代の多感な時期からか、それよりもっと前からだったかもしれない。
気づいたら、それは心の隅っこにいた。
自分が朝起きて、世界の誰もが私を認識しなくなったら良いなと思う。そのまま存在自体が希薄になって、溶けて消えてしまえたらと思う。
今まで出会った大切な人ほど、大好きな友人ほど、その人の記憶のメモリに自分が存在することが許せなくなる。早く忘れて、その分もっと素敵な思い出で埋めて欲しいと思う。
今日も、友人の誰からも来ていないLINEの通知を見て、少し寂しさを感じる。それでも、それよりもっと、私を思い出さないことに、私のために行動しないことに、ホッとして満足感を得ている自分がいる。
人間、1人では到底生きられないのに。一丁前に寂しがりやのくせして、それでも忘れられたい。この気持ちに名前はあるのだろうか。