いつも思う、生きてても死んでもどっちでもいい、という自分の人生観。
それ故なのか、家族や友人、同僚、ペットの死、どれも経験したけど悲しんだり涙を流したりがなかった。
祖母が亡くなったのは7歳の頃だからよく分からないという感覚だったけど、祖父や母方の祖父母はいずれも20歳を超えて以降だから自覚はある。
認知症が進んでいた祖父との最後の会話は、私の心ない冷たい一言。目も合わせることなく、祖父がどんな表情だったのか覚えていない。
あんな言葉が最後になってしまった事に、後悔の気持ちが湧かない自分が恐ろしくもある。
同僚もまた違う部署ではあったもののお会いした時は話す事もあり、気さくなおじさんといった方で、当時私は28歳。
29歳の頃高校の同級生が自死により亡くなった。
だけどいずれの時も、死んだ、居なくなったという事実は理解しているものの「そうなんだ」と冷静で。
こんな事があったなと記憶を思い返す事はあっても、もう会えない事への寂しさや悲しさという感情が湧かない。
25歳の時、父が仕事中転落事故に遭い大怪我で搬送。顔が変わってしまうくらいの怪我に体も動かず出血も多く意識不明。
家族から連絡を受け仕事中だったが県外の地元の病院にすぐに向かい父のその姿を見て、母親は泣き崩れ、姉も泣いていた。だけど私は、どこか他人事で、どうなるのかなとただ見てるだけだった。
自分自身に対しても、死への恐怖や生への感謝という気持ちが持てない。
小学4年生の頃、がん腫瘍の疑いがあり入院。両親は心配していたけど、その時私は「死ぬかなー?」と素朴な疑問のように投げかけ、凄く怒られた。
同じ病室だった同い年くらいの女の子は病気が進行していて、私のそんな軽率な一言が聞こえてしまう事への配慮もあったと思う。
中学3年の時、学校でいじめを受け、反抗期でもあり、学校でトラブルを起こした。
その時母に「私の人生はもう終わってる」と言うと母は泣き喚きながら、そんな事言わないでと私を抱きしめてきた。
社会人3年目のとき、出張の帰りに単独で大きな交通事故で横転し、意識も失い緊急搬送。
県外の実家から家族が駆けつけ、目を覚ました私は「車は!?PCとか私の書類はどこ!?」と、自分の体より真っ先に仕事の事が浮かび、父に他に言うこと無いのかと言われ。
事故の瞬間は、あぁこれ死ぬなと思った。
目が覚めて、心配かけてしまって申し訳ない、生きてて良かった、そういう感情より、ただ、死ななかったんだと思っただけだった。
とは言え、他人に無関心かと言われるとそうでもなく。
仕事でも人の事を考え過ぎてしまうことが多々あった。
役割的なものもあったと思うが、放っておく事ができず、相談に乗ったり一緒に考えたりすることは進んでやっていた。
人との関わりは大事にしていたし好きだった。
感性豊かで情に厚い、面倒見がいい、周りからも言われたし自覚もある。
だけど、生と死に対する感覚が分からない。
映画やマンガ、ドラマで泣いたり笑ったりもほとんどなく、そもそも好んで観ることがない。
自分という人間の本当の価値観や倫理観分からない。
客観的に考えて、私には人の心がないのだろうかと思ってしまう。
社会人になってから、漠然と消えたいと思う事がある。
何が原因かも分からないし、自死を選ぶのではなく、ただ終わらないかなという気持ち。
そして一年前、人生のどん底を味わう事があった。罪悪感喪失感後悔の毎日で、気持ちが戻らずリアルに死を考えた。
周りからすれば自業自得だとか、そんな事より辛い人はいくらでもいるとか、ネガティブになっても解決しないと思うかもしれない。実際そう言われることもあった。
だけど私にとっては、行動に移そうとするほど、死を選ぼうとするレベルで。
衝動的にくる自死欲や、なるべく迷惑の少ない方法を計画立てる冷静な自死欲のどちらもある。
生きたい理由がないからなのかもしれない。
その気持ちは今も消えない。
なんで生きてるのか、何のために今を過ごしているのかわからず、ただ時間だけが過ぎていく毎日の中で訪れる死への欲求。
いつか本当に衝動的に死を迎えてしまいそうで、冷静なうちに部屋を片付けたり、書類やスマホのデータを整理したりは終えた。
知られたくない過去は捨て、今この瞬間大事なものだけ取っている。
ただ、そうしているといつでも終わらせられる安心感からなのか、気持ちが落ち着く。
誰かのため、自分のため、なんでもいい、本当は生きる希望や目的が欲しいのかもしれない、分からない。