組織が本当に苦手。
純粋な人たちがいるのも分かってる、中には人間的に賢い人たちがいるのも分かってる。
でも、人間性を磨くというカルチャーだけに、それを表に出す人たちが多いけれど、立派な言葉を並べて誠実そうに振る舞って、裏で全く誠実じゃない行動する、リーダーの人間性が本当に気持ち悪い。人の集まりである以上、そういう人が絶えない。表向きの愛想とかコミュニケーションが得意な人、苦にならない人だと、そういう人がどんどん大事な責任を担っていく。
自分の権利のように言いつつ、罪悪感でがんじがらめにするカルチャーが、健全と思えない。それが苦にならない人はいい、活発に活動するのが性に合っている人はいい。でも、そうじゃない人に、罪悪感とか劣等感とか抱かせるのは、本来あるべき姿ではないと思う。
組織である以上、参加を奨励されるのは仕方ない。組織として成り立っていく上でしようがない。でも、色々な人間がいることをあまりにも無視していないか。私は彼らのようには何年がんばってもなれなかったし、それを悪いことのように思わせる人たちに心底疲れた。
日本の組織は、まだ弱者を労わり尊ぶ風潮が強かった。でも、ここは正反対だった。力を持たない人を軽視し差別する、労わり合うはずの組織内で。陰口だらけ。しかもそれを信仰を盾に正当化までする。私が社会的に立場を確立していく度に、この人たちの態度が変わった。最初軽視し見下していた人たちが。私は、あの中にいたらここまで来れなかった。一番苦しい時に、苦しみを増すことしかしなかった組織に、なぜ恩返ししようと思えるのか。
日本の組織は、活動は納得できないことだらけ、単一化もすごく心地悪くて馴染むことはできなかったけれど、慈悲のある人たちがいた。それもいないここの組織になぜいたいと思うのか。態度が良くなったのも私の立場が変わったからとしか思えない。
組織は要る、ということは分かる。大きな目標達成のためには組織は必要。でも、自分が潰れてまで組織の中で生きることに意味を見出せない。
人と繋がれば、サポートはいくらかもらえるかもしれない、今なら。でもその代償が大きすぎる。一番サポートが必要だった時に、苦しみを与えた人たちへ対する嫌悪感とかトラウマとか、どうしても拭えない。コミュニケーション能力だけ長けている、愚かなリーダーへの尊敬を強要されればされるほど、ゾッとしてしまう。
もっと楽に生きられればいいのに。