惰性で生きてるというか……
なんだろうなあ。
生きる気も死ぬ気もないけど、こうして文字を書く気とか「死にたい」って思う気とか……そういうのはまあ、あるのかな。
そんな気、まるでいらないから働いてくれって思っちゃうけど。
「生きたい」とか「死にたい」とかどうでもいいわ。とりあえず目の前の問題を片付けてくれとか。
でもそんなの見ずに「生きたい」とか「死にたい」に逃げておしまい。
今日寝て、明日も起きなきゃいけないのかー。でも仕事してないだけ楽かなーなんて考えで逃げたり。
誰も逃げる私を捕まえて、宿題をやらせたり勉強をやらせたり仕事をさせたりしないの。
働き手、足りないんじゃないのかなあ?でもニートをわざわざ働けるように教育し直すより、もっと他にすることがあって忙しいのかもしれない。こんなわたしはもうほうっておいて、違うところに期待を置いているのかもしれない。
なんのために生まれたのか。どうして生きているのか。
可哀想。
動けない、動かない私も。そのせいで苦しむ人も。
でも知らない。今日も最低だった。ご飯を食べて寝るだけみたいな生活だもの。そしてそれがどうしたの?と思ってる。
テレビで、ご高齢の方が「もう生きなくてもいい」みたいなことを言い、笑い話(ネタ話)的な感じで放送されてることがたまにあるけど……それが事実で、そういう感じでいいよなと思う。
気になるのは、もう充分に生きた方だから許される発言なのかな……ってこと。
あと、発言は許されても、実際死ぬのは許しがたいことかな……
まだまだこれからの若者であろうと、充分社会に貢献し生きた高年の方だろうと、死ぬまでは生きねばならないということだ。
お疲れ様でしたと。途中で人生を安らかに退場させてはもらえない。病気で苦しんでも生きてる限りは生きねばならぬ。そんな感じ。
希望を抱き、前向きで生きることを強制されるわけではないんだろうけど……
いったいどれだけの人が、一生を、まだまだ続けたいと思うのだろう。
どんなに病気や怪我で苦しもうとも、生きようとするのだろう。
希望持っても、絶望持っても、どっちも人らしくって美しいのかな……
それじゃあ
おやすみなさい
また明日