もし、もっと早く始めていれば。僕はよく、そんなことを考えます。今活躍してるあの人みたいになれたのではないか?たらればですけど、そういうことを考えて、どうしようもなく落ち込みます
実際そうなのかもしれないと思うと、余計にしんどいし、余計に絶望するというか、辛くなります。もし〜だったら、もし〜だったら。考えだしたら底が見えない話です
こういうのって、色々な所で話されてますよね。たぶん、ネット上で検索すれば似た話は出てくるだろうし、色々な人が考えたり、身内での話に出したりしてると思います
この手の話って、結局どこまで行っても救えないものだと僕は思ってます。どこまで考えて、話して、慰めても結局は「あの時〜していたら〜だったかもしれない」というのは、可能性として十分あり得たことです。それに対して方便を使いながら慰めた所で、その後悔は消えません
忘れるしかないんだと思います。今自分が感じてる後悔がぼやけて、その大部分を忘れるほどに昔のことにしていくしかない。その為には、今自分にできることを精一杯やって、昔のことにしていく。これ以上後悔を重ねないように、例え自分が思い描いた場所に辿り着かなくても、とにかくがむしゃらに
いつかもし、自分の後悔が人生の糧になったと思える日が来るなら、それが唯一の救いというか、得られるものじゃないかなと思います。後悔を無駄にしない。後悔したこと自体は取り返しがつかなくても、その先で何を得るか。それを意識すれば、後悔を、ただの後悔から変えていけるのかもしれません
ななしさん
もし~だったら。あのとき~していれば今頃は…。
私もよく考えて、後悔の沼に溺れています。
よくない、意味ないってわかってはいるんですけど、どうしても、ね…。
とりわけ、活躍している人が「昔から~に打ち込んできただけですよ」なんて言ってるのを見ると、~できなかった自分が辛くなるんですよね。
もし~していれば、私は今頃漫画家に、作家に、芸術家に、お笑い芸人に、ミュージシャンに、投資家に、起業家に、学者に、公務員に、司法書士に、陰陽師に、YouTuberに…なんて、どれだけ軸がブレてるんでしょうね笑
でも~しなかった結果、今こうして宛メに出会い、励ましたり励まされたりしながら死なずにいられるわけで。
~の道を順調に進んで成功していれば、自分をはじめ人間の弱さやどうしようもなさに気づきも洞察も得られず、薄っぺらい成功哲学を嬉々として語っていたかもしれません。
思い上がった最凶のパワハラモンスターになっていないとも限らない笑
~していたら出会わなかっただろう本や動画、推し、ご縁もたくさんあって、それは私にとってすごく大切なものなんですよね。
世間的には「転落人生」ってことになるのでしょうが、後悔と彷徨の先に得たものは確かにあった。私はそう自信を持って言えますよ。
セレンディピティってご存知ですか?
当初の目的は果たせなかったけど、思いもよらない発見があった(から、よしとする)みたいな意味です。
人生ってこういうもので満たされてるのかもしれませんね。