「こうできればよかったのに」とかいうのを後から考えられちゃう脳みそ持ってるから、だからきっと後悔だとか反省だとかそういうのが先に立って自分を貶めてしまうんだ。
もっと、よりよい結果を想像できる出来事があると「ダメだったな」ってなるんだ。
充分に善いことだったとしても、足りないところを考えられてしまう。
善ではあった。でも最善ではなかった。
良ではあった。でも最良ではなかった。
それはつまり自分の理想と程遠く、最悪のもので。
きっと、そういう人間もいるのでしょう?
そして「あーあしょうがない。だって自分はできた人間ではないのだから」と諦めたりするのでしょう?
あるいは向上心があるのでしょうか。
ヒーローになろうという気持ち。
「そうなりたい」だなんて思って行動なんか、わたしは絶対しないけど。無理だ、って諦めるほうを選ぶ。これは、悪いあきらめではないと考えたい。諦観を正しく使えたら……
またあれだ。己を肯定するために『ものは言いよう』の思考。
「つまり、引きニートのクズ」って言われたら、そりゃそうなんですけども。
「なんかいろいろ言ってるけどさ、結局のところ社会のゴミってことでしょ?」
そうですね。不出来な人間でございます。人間という肩書は烏滸がましいでしょうか。
本日はこんなところ。
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