こんばんは。
私は昔から漠然と死にたい気持ちがあります。おそらく一番の根本的な原因は、両親の不仲やそれに伴った家庭不和です。家が荒れていたので、死ぬんじゃないか…とぼんやり思っていた時期もありました。今でも普通にトラウマです。
あと、死にたい理由は私自身がいろいろと病的だからです。病気ではなく“病的”でしかないのも、また治療の必要がないとされるので、どうしようもありません。身体的虐待の場合は問題視されるけど、精神的・心理的虐待の場合は平気で見過ごされること、それとおんなじです。
後者の方が長期間に及ぶので、余計タチが悪いと思います。でも、どうせ誰にも助けは得られないので、結局自分で何とかしてねという話なんですよ。
環境や人に恵まれているということ。「自分はこんなにも恵まれているのに……」と恵まれていることをあたかも負い目のように言う人がたまにいますね。何となく気持ちはわかります。私が思うに単に恵まれているだけでは、うまくいかないものなんだと思います。人生何があるのかなんて、誰にも分からないことですし。
どちらかというとあまり恵まれていない?ような私でも、なんだかんだ今まで死なずに生きているし、社会のレールから外れることもありませんでした。それは、ただの結果に過ぎないのですが。
でも、私は、摂食障害的傾向をはじめとして生きづらさ満載なので、これからもやっていける自信がありません。今日も食べ物を捨ててしまいました。それは定期的に行われる私の癖です。もう食事がストレスになってしまった時点でおかしいし、生きづらさを挙げようと思えばきりがないです。だから、今すぐ死ぬわけではないけれど、ゆくゆくは自分の手で死にたいです。
死にたい気持ちというのは一度発生すると、いつの間にか自分の中で当たり前になってしまうものです。この先も「死にたい」から一生逃れられない気がします。
ずっと疑問なのですが、死んじゃダメな理由って何ですか?命は大切にしないといけないとか、生きたくても生きられない人がいる、周りの人が悲しむ、未来ある若者が死ぬと社会の損失になるとか、そういう話はてんで興味ないです。
私は生きる喜びを感じる機能が長らく欠如しているので、早めに死んだ方がいいです。生きる理由がないように、死んじゃダメな理由が見当たりません。
私に足りないのは、死ぬ勇気ともう少しの絶望です。それがあったら、自分の人生に見切りをつけられるはずなのに、簡単に死ねないのが自分で嫌になります。
しかし、世の「死にたい」と思わずに生きてる人は、私みたいにこんなことをいちいち考えていないようです。生きることを前提にしているのと、死ぬことを前提にした生き方って、全然違います。私は後者の生き方をしています。だから、前向きに生きようとしている人を見ると、違和感がすごいです。生きようとしている自分にすら、嫌悪感があります。
1年後であっても、2年後であっても、何年後であっても、未来で生きている自分が想像できません。これも昔からそうでした。死にたさを抱えながらなんて生きたくありません。とっとと死んでたら良かったのに…と思います。自分ができるだけ早く死んでますようにと願います。
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