典型的な~ って言われるのあんまり好きじゃない。
その時点でその人の目の前に自分はいなくて、代わりにどこかで読んだマネキンがあるって実感するから。
人は誰でも、自分の理解できる範囲内でイメージを作り上げ、他人と話しているのは分かってる。
自分と、相手の中にある自分が大きく食い違っていても、それを咎めたりはしない。
むしろ面白い。
それも自分の知らない自分かも知れないし、時には取り入れたいとさえ願う。
相手のイメージ、と思い込んでいた自分のイメージが実は間違っていることもあるから、それはそれで新発見。
でも、そこで、典型的な と言われると、途端に居心地が悪くなる。
相手のイメージが 典型 だから、自分にもそれが明確に理解できるわけで。
そこには何の余裕もない。
自分の前にある選択肢は2つ。
相手の期待に応えるか、裏切るか。
思い通りにしたい、予想外が怖い、という気持ちは誰の中にも少しはあると思う。
だから、相手のイメージ通りに動いてあげたい、最初に自分はそう思う。
でもだんだん親しくなって、男女問わず好意を抱くようになると話は変わってくる。
もう少し自分を知ってほしい、自然体でいたいと思うようになる。
ここまでは恐らく普通だと思う。
問題はその後。
自分の場合、相手が期待していない部分を出す。
これでもか、これでもか、これでもかと。
要するに嫌われようとする。
ここで相手が嫌そうな素振りを見せたら、何事もなかったように戻る。
ごめん、落ち込んどったけん、と。
そしてまた相手のイメージにはまる。
相手がお人好しで心が広かった場合、さらにエスカレートしていく。
どこまで許してくれるか、どこまで笑ってくれるか、相手が寛容であればあるほど信じられなくて、ひたすら、試す。
嫌がらせをしたり裏切ったりはしないけれど、
最後には、もはや自分じゃない、と言える程の外れた行動を取る。
ここまで来ると、そろそろ自分が疲弊している。
何やってるんだろう私。
本当にそんな感じ。
相手が戸惑った笑みを浮かべているのをみて、ようやく我にかえる。
この人、私が許して欲しがってるのが分かってて、笑ってるんだな。
私の期待に応えてくれてるんだな。と。
もう一緒にいたらいけないと思う。
迷惑かけるから、離れてくれと本気で思う。
謝ることはあるけれど、それから徹底して距離を置いて突き放す、関わることはしない。
相手からすれば、こんなにひどい話はないと思う。
最低な奴だ。
そういう行動が一番相手傷つける、というのは冷静だから分かることであって、
自己嫌悪と罪悪感と疲労感でいっぱいの時には分からない。
自分のこういう傾向は幼い頃からあって、だからずっと人付きあいが苦手だった。
典型的 と言われずとも、全てにおいてこうだった。
最近は少しましになった。
自分で「やっべー、あれが来るんじゃね?」と察知して、踏みとどまれるようになったし、ちょっと行きすぎても戻れるようになった。
前は関係がぶっ壊れるまで頑張ってたから。
こういう話をすると必ず、
「見捨てられるのが怖いんだよね?」
と言われる。
そうかも知れないけど、ちょっと違うかも知れない。
自分は、最近気づいたんだけど、思い通りにしたい気持ちがすごく強い。
悲しいこと、嬉しいこと不安 恐怖
ぜんぶ、自分の手の中に収めていたいと思ってる。
ぐちゃぐちゃの、自分では訳の分からない状態にも、自分のなかで説明がほしい。
自分なんかどこにもいない。
自分が好かれるわけがない。
思った通り、嫌われた。
だから、虚無感、喪失感、そういうのを感じてる。
それを掴めるのが、自分はここにいてもいい 生きてる手応えみたいなもんなんだ。
予想外のことが怖いから、力ずくでも、築いたものを台無しにしても、予想の範囲内に持ってくる。
自分は、自分の人生を生きてるぞ!って。
多分、無意識にそうしてた。
こんな自分が大嫌い、生きてるのは苦しくて、消えてしまいたいけれど
生きたいように生きてきた面もあるのだな、と思った。
だいぶ自分のくせが分かってきたけれど、この間久しぶりに親しい人から「典型的なA型」って言われて、ちょっと危ない感じになった。
自分、まだまだだな!
大学生になったら、いい友達と出会いたい。
人を大事にしたい。今度こそ。
リーヤ