いつも思うけど
『信じてたのに裏切られた』
これ、何?
『期待を裏切られた』
なら解るんだけど、信じてたのに裏切られたって、おかしくね?
『裏切られた』は自分の期待に応えてくれなかった人に使う実に傲慢な言葉。
そこに信頼は必要ない。
他人”は、いつでもどこでも、自分の理想通りに動くロボットでもドレイでもない。
裏切るのは当然だし、裏切って良いものだと思ってる。
多くの人は「勝手な期待を相手に課せる」ことを信じるという言葉に脳内変換するみたい。
人を信じるも信じないも「自分」の判断。
それをわからない人が期待通りにいかない物事を全て「他人」のせいにして、裏切られただの、信じられないだの言うのさ。
ま、あくまで私個人の考え方にしか過ぎないけどな。
ななしさん
それも状況によりけり
例えば個人無いし会社同士が双方納得尽くの何かしらの約束なり契約なりがあったとして、片方がある時を境に一方的にそれを反故にした場合はどうだろうか?
もしくは法律や交通ルールを普通の人は守るだろうと信じて青信号で道を渡ったら信号無視の車に撥ねられた場合もそう言いますか?
お金を無利子・無期限で貸して踏み倒された場合でも?
貸す方が悪いと?
返させようとしたほうが悪いと?
同様のケースで銀行にお金を預けたら勝手に使い込まれて残高ゼロになった場合でも?
水道代金を支払っているのに水を止められても?
お金を払っても商品を売ってくれなくても?
この店じゃ円で支払えないよと日本のどこかで言われても?
それらも貴方は裏切られて当然の期待だというのでしょうか?
裏切る権利を認め、裏切ることを当たり前とするのなら貴方は上記のあらゆるケースで文句を言う資格は有りません。
その場合は社会生活を営むことは不可能でしょう。
世の中どうあれ決めたことを守るという前提の信頼で回ってるんですよ。
それがなければあっという間に瓦解します。
疑心暗鬼で戦争し放題、お金を出しても売ってくれなければ何も買えない、そうなるとお金の価値が信用されなくなる、そうするとお金は紙屑になる。更に何も買えない、法律は信じられない、他国との協定も信頼に値しない。
もしそれらの場合は違うと思うのならば考えが甘すぎると言わざるを得ません。
もうちょっと色々考えることお勧めします。