ななしさん
別に異常だとは思わん。
不正解があるなら、正解はあるだろう。
どんなに幅広く、様々な事があったとしても、
ない訳じゃない。
しかし、ない、とも言える。確かなものとは言い難いから。
あるとも言える。求めるもののために。求めたもののために。
全体を見れば、ある訳でもない、ない訳でもない。
1人ひとり歩いてきた中で拾ったものや見てきたもの。集めてきたもの、あるいは避けてきたもの・・・。
その集約から、1人ひとりの正解の、欠片、が出来ているとしたら。
その欠片を誰かが集めて、みんなの正解の欠片を勝手に作っているとしたら?
それは神じゃなく、人間にもできる事だ。
お節介な話になるが、相手の正解を作っちゃダメさ。
それは、相手に作ってもらうものだから。見せてもらうものだから。
正解があることによる苦しみの一つを作りたくはないだろう?
そして押し付けるなら、その中で相手に押し付けてもいいと思えるものを考えて、口にしてみたらいいのかもしれない。
押し付けるのが悪いのではなく、押し付けたもので相手を跳ね除けようとするのがあまりいい事ではない、のではなかろうか。
だから場合によっては、正解の押し付けに関して、相手も自分の正解を出せる場にできるように、という心配りがなせていれば、問題ないのではないかな。
正解、が主さんにとって救いなら、あるんだろう。
自分が納得行ける正解を探すなら、それは闇の中から何か別のものを探す事にもなりはしないだろうか。
あなたに何があったかは存じ上げない為、無礼もあるだろうが、生きる中で、正解を求める心を忘れず、考える事や学ぶ事を続ければ、いつか、とは言えないが、見つかるかもしれない。