ななしさん
あの時にとって、きっとそれは石ころのようなもの。
石ころには一つとして同じ色や形はない。
けれど今にとっても、石ころのように足元には転がっているもの。
同じような色や形のものが、嫌になるくらい転がっている。
投げ方を知っただけさ。
拾い方を知っていけばいいだけさ。
歩む道そのものが、自身を浮き彫りにしてくれる。
言い換えればそれが自分自身の欠片になる。
欠片だらけなんだ。
両手には収まり切れないほどに。
そして、それがまた欠片になる。
夢も希望も絶望もいらない。
その果てに、あなたは自分に何の欠片を求める?何の欠片を選んでいく?
そして、それが、また欠片になる。
一期一会ではある。
しかし、捨ててしまっても、構わない。
その後、手を伸ばしてしまっても、構わない。
色も形も違えど、似たものに出会うかもしれないのだから。
色と形が似ていても、異なるものに出会うかもしれないから。
だからこそ、捨ててしまったものも、これから会うであろうものも、あなたは一体その先に、何を求める?
それが絶望と幻惑の欠片になる。そして希望と夢の欠片にもなる。
しかし絶望の欠片も、希望の欠片も、関係がない。
あなたは何を求めていく。
それが欠片を見つけ出す。
その時あなたは、何の欠片を求める?
鏡の中の、果てしない自分の中を彷徨ったなら、少しはもう、ほんの少しは光が見えてくると思うよ。
悪いけど当てずっぽうだから、本当にそうかは知らないけどな。
とはいえ、幸あらんことを。