私が女性としての自分を肯定できない理由がわかった。
親にブラ買ってもらえないとか、触りたいのに拒絶されたとか、裸見られたとか、母が痴漢されたのを「こんな風にべろんって触られたんだよ」って私の股をわざわざ舐めるように掴んで再現したりだとか、下着買ってくれないくせして明らかに母のではない私の下着を勝手につけて、それをやめてって言っても何度もやられて沢山駄目にされたり、だとか…
まあそんな話はいっぱいあるのだけど、たぶん一番の原因になってそうな記憶は、私が小学生の頃のあの出来事だ。
私が少女漫画の影響でノートにエロい絵を描いた。母はそれをあとから盗み見て、あろうことかそれを私に報告してきた。
「ノート見たよ〜おまえ何おっぱい描いてるんだよ〜(ニヤニヤ)」って、茶化すように。ああ。思い出すだけでしんどい。
忘れられない、忘れようがないほどこびりついた嫌な思い出だったけど、これが原因かもしれないってことは今ようやくはじめて気付いた。
そのあとその絵は破り捨てた。でもうちの家族はゴミを捨てるとそれを漁って広げて「こんなの描いてるんだ〜(ニヤニヤ)」ってやり出す人たちだったから、それ以来描いた絵を捨てるときは紙で何重にもしてテープでぐるぐる巻きにして捨てていた。たぶんこれが、私の女性性否認と女性嫌悪の始まり。
それより前の話。幼稚園のとき、ぬいぐるみを間違って家に持って帰ってきてしまったことがあった。友達が私にくれるんだと思って、勘違いして持って帰ってきてしまった。
私は今でもよくそんな勘違いをする。満たされない強力な承認欲求から、他人の些細な言動を全部私に向けられたものだと思ってしまうんだ。ほぼ無意識のうちに。
私はバレて怒られること以上に、その『愛されたい願望からくる勘違い』を見透かされてバカにされることを思うと心底嫌だった。だからその嫌な感情ごと、私はぬいぐるみを捨てた。
そして10年以上経った今、私は捨てグセがついて、断捨離をやめられなくなった。
もらったプレゼントも、過去の思い出も、友達の連絡先も、関係性も、電話番号もメアドもラインも、自分の中の消したい感情が入ったものは全部消したくなったら消してきた。消したけど、それでもつらい感情は残ったままだった。
それどころかもう帰ってこないものたちを思うと余計つらくなった。ぬいぐるみを捨てた罪悪感も忘れられずに今も悔やみ続けた。
私の女性性は、あのとき恥ずかしいものとして他人に晒されて、ビリビリに破られて、何重にもされてテープでぐるぐる巻きにされたままなんだなと思った。
私は今まで、誰も受け止めてくれる人のいない自分の中の嫌な感情を、そうやって壊して捨てていくことで切り離したかったんだなって、今気付いた。そして感情を押し込めて我慢して捨ててくうちに、自分の感情もわからなくなってしまって。
本当は捨てずに、吐き出さなきゃいけなかったんだ。でも、受け止めてくれる人は誰もいなかったんだよね。苦しかったね。私。
吐き出したかった。
読んでくれて、ありがとうございます。