論理的に、生きているより死んだ方が楽だと思いませんか?
私は自分に自信が無い訳では無いです。あまり自分が好きではありませんが他の人より優れているところが多いとは思います。だからこの疑問は一時的なものではなく価値観の問題として不思議に思っているんです。
私は前までみんな本当は死にたいんだと考えていました。ただ勇気がないだけで、なんとなく生きてる人が多いんだって。でもそうじゃない、死にたくないし長生きしたい、やりたいことは特にないけどって友達に言われた時びっくりしちゃいました。だって面倒なことが沢山あるじゃないですか生きてると。寝てる時が1番楽じゃないですか?たまにの楽しみとやらなきゃいけない事を天秤にかけてもやらなきゃいけない事の方が大きい気がします。
私は一言で言えばひねくれているんでしょうね。友達にどうして生きたいのか、死んだ方が楽だと思わないかって聞いても病気を疑われるだけでした。真剣に倫理的な問題について話すのって難しいですよね。あ、意に沿わずお亡くなりになった方々には感情移入しやすくどうにか防ぎたいとも思うんです。
皆さんは本当のところどう思いますか?
名前のない小瓶
58662通目の宛名のないメール
お返事が届いています
名前のない小瓶
私は死にたいって思う人達の本音は、現状のどうしようもない苦痛とか不安とかから逃れたいだと思っています。でも逃れる術がないしそんな都合のいい在り方ができないから死にたいって言葉になる。
一番近しい状態が死なのではと。
私自身も死にたいとボヤいている人間ですが、もし今全ての苦痛の原因が消えて生き続けた先にある不安がないと保証されれば死にたいとは言わなくなるのではと思います。
でもその苦しみと不安から解放されるような夢みたいな生き方は所詮夢なのでやっぱり死にたいです。
ななしさん
もう生まれたくないですね。苦行の連続は味わいたくない。できるだけ苦痛を受けずに老衰した後は、天国で暮らしたい。できれば無の世界が良い。天国に行ってまで人間関係のことで色々考えたくないですね。
ななしさん
苦痛なく確実に死ねるのなら、わたしはそちらを選びます。
生きていて楽しいことはもちろんありますが、それよりも辛いことの方が多いから。
「苦痛なく確実に死ねる」方法がわからず、死ぬまでの苦しみに怯え、死ぬこともできず生きている。そんな感じです。
ただ、自分が死ぬのはいいけど大切な人達には健康で楽しく幸せに、笑顔で長生きしてほしい。
そう願っています。自分勝手な話ですが。
ななしさん
死ぬのはとてつもなく怖い人間簡単死ねないらかもし心がぐちゃぐちゃになっても家族貴方の事大切に思う人の事忘れたらあかん
ななしさん
先に希望はないが、死んだら負けみたいで悔しいから、まだ生きている
ななしさん
死んだら何もかもなくなるかもしれないし、死の世界には、生の世界には存在しないくらい苦しい物があって、それに苦しませられ続けるかもしれないし…って思ってます。どっちかは自分じゃ分からないけど、絶対に楽かは言いきれないかも。
ななしさん
死んだ方が楽と思うのはよくわかります。
周りに迷惑がかかるのもわかっているのに、死にたいと何度も思います。質問者さんはひねくれてなんかいないと、思います。私が変じゃなければ。
でも、死んだあと、何が待ってるのかわからない。もしかしたら、とても楽しいかもしれない。
それとは、反対に今生きているより、辛いかもしれない。ということが怖くて私は今生きています。
人って大体そんなもんじゃないんですかね?
生きる理由として、もう一個が、人生の半分にも満たない、楽しいことのために生きている。ということじゃないでしょうか
質問者さんの友達は珍しいと思います。(もしくは、嘘をついているか)
ななしさん
優先順位と価値観の違いだけですかね。
基本人に生きてる意味なんてありません。ありたいと思ってる意味付けしてる人がほとんどです。
貴方の考える、何も考えずなくて楽より
生きてそのどうでもいい意味で生きてる方が楽しいと考える人もいるでしょう。子供のためとか、自分だからできることとか。
でもまぁ殆どがこじつけで、何度も言うようにこの世に人が生きてる意味なんてないんですよ。
ななしさん
みんなには、幸せで生きててほしい、と思いますが、自分に関しては、早く死にたいですね。 親が毒親だったことで、過干渉と管理により、恋愛や進学さえさえぎられ、25で逃げ出しましたが、きちんとした家の人とは興信所によりダメになり、日本のことや親のことなど関係ない国際結婚しかなかった。
親のことがなかったら、日本の人と結婚したかった。 家は裕福でしたが、親の性格と価値観が異常で、今でもトラウマとなってよみがえります。 もう、夫も親も死んだけど、何かに乗っ取られたような人生でした。
どんな家庭かで、その先は大きく変わってしまう。 いくら自分で頑張っても、世間には
通らないことが多い。 親の職業や容姿や、自分の出身県や、幼少期の学校がどこか、とか、そういうことを結婚相手の親とかにいちいち聞かれたりする。 それって自分では
どうにもならない。 そして、断られる。
早く終わったら、もしまた人間なら、神父になって、みんなの告白を聞いてあげて励ます役割でいたら、とか思います。 生きてることのほうが、はるかに大変なのは事実ですから、次のライフを待ちながら生きてます。
自殺はしませんが、死は怖く感じません。
楽しみに待ちながら生きてます。
ななしさん
主さんは幼少のブッダの考え方に近いのだと思います。
特に、ブッダは生きることへの苦痛だけではなく、病や老い、最後には必ず訪れる死への本能的恐怖などに、生きることは苦しみだと常々考えて、幼少の頃は王宮に引きこもったと伝えられます。
主さんの病で亡くなられた方に感情移入するのも、本能的にこの苦しみを感じ取っておられるからと推察します。
ブッダは最終的に、苦しみをなぜ人は感じるのかを見抜くことにより、その原因を打破し、生きながら幸福、死ぬことも怖くないという精神を手に入れたとされています。
仏教を学んでわたしが感じたことは、人は快楽を得ることで喜びを感じ、本能的に生き長らえ子孫を残そうとする。
苦しみも同じです。苦しいから生きようとする。息を止めたら苦しい、だから生きようとする。そういう本能的なものに守られ、あるいはレールに乗せられ生きているのです。
そのレールの第一弾を喝破する(見抜く)と、まず生きることへの欲が小さくなります。主さんはその状態なのだと思う。
私は心の病気で、さらに身体にも病気があって、すぐにだるくなったり、苦痛があります。ですから、生きることより死ぬ方が楽であると、強く自覚しています。
若い頃、弱った時に甘えてしまったパートナーがいるので、彼のために生きようと思っています。
究極的に言えば、心と身体が健康であるならば、考え方により生きるのは楽と言えます。死ぬのは絶対的に苦しいようにレールが敷いてあるからです。
不健康であるならば…死んでしまう方が楽な場合もあるでしょう。
もし、どちらも健康であるのに、死んでしまう方が楽だと感じているのであれば、ブッダのようにその面倒ごとの原因の追求をされてみるとよろしいと思います。
原因が、世間体であるのか、社会常識であるのか、過去であるのか、あるいはあまりに頭が働きすぎて、現実ではない予測をしすぎているせいかもしれません(仏教ではこれを妄想と言います)
また自分の価値観としてこれが苦痛だと思う部分があるのかもしれません。仕事ですとか、学校ですとかね。
根本的な衣食住を楽しめない場合は、心の不健康と言えます。
苦痛と感じることを減らして楽しめる範囲のことを探して増やすことを勧めます。
ななしさん
自分も死んだ方が楽だと思いますね。
永眠という言葉があるように二度と目覚めない眠りにつくのと同じようなものだと思うんですよね。
寝てる間は何も考えなくていいし不様な思いも惨めな思いもしなくていいから幸せだと思います。
自分も早く死んで楽になりたい。
ななしさん
≫論理的に、生きているより死んだ方が楽だと思いませんか?
論理的に考えれば死んだ方が楽だと思います。
これは私が生きている間の意見になります。
でも人によりますが、やっぱり死ぬのはどこかで怖いという感情が絡んできます。
だから、何となくではあると思いますが、色んな面倒ごとをやりながら仕方なく生きているという方は多いかと思います。
私の意見は死んだ後に天国などの楽園に行けるという確証があるなら死んでもいいかなとも思います。
でも、死んだ後の世界があるのか、ないのかはわからないし、科学的に証明もされていませんし、将来的にもできないと思われます。
でも、残念なことに100%人間は死にます。
というよりゴキブリでも蚊でもハエでも昆虫虫でも鳥でも魚でも牛や豚やニワトリでも微生物でも細菌でも生きている者は何をやっても必ず死にます。
人によって考え方は全く違うと思いますが、私は私が死んだ後に私自身がどうしたら安心できるかという方法を探すことにしました。
ななしさん
綺麗事ばかり。
世の中。
100人の箱の中で100人全員が幸せになる事なんて不可能。
誰かが必ず犠牲になって、
誰かが幸せになる。
そんな世の中に
うんざり。
ななしさん
私も死にたい。
ななしさん
お気持ちすごくよく分かります。
死にたいと思ったことがない人が信じられないです。
どう考えても死んだ方が楽です。
毎日死にたいと思ってますが、急に死ぬのが怖いって思ったり、残された家族のことを思うと、自分が楽したいから死ぬことに申し訳なさを感じて、今もこうして生きてます。
本当は早く死にたいです。
ななしさん
今そう思ってます。死ぬまでの過程が怖いだけで死んだ方が楽なんじゃないかと。生きてると痛みや苦しみや恐怖がつきまといます。ストレスが凄いです。死を解放と言う人もいます。今の世の中は解放されたいことばかりですしね。
ななしさん
僕も全く同意見です。
ただ周りはそうでもないみたいです。おそらく少数派になるのでしょう。
大多数の人達は「生きること自体がめんどくさい」とは思っていないようです。だから中々共感が得られないので辛いです。
ただ僕のように同じ考えの人はいると思います。僕が自分から死ぬかどうかはわからないですが、今は死ぬ前に好き放題させてもらうか、という心境で休職してダラダラ過ごしています。
参考にならないとは思いますが、こんな奴もいるよということで。
まあ気楽に行きましょう
ななしさん
同じ事ありました笑
永遠に生きたいと友達に言われてびっくりしましたね。
私も人は皆んな死にたいのだと思っていましたから驚いたもののそこから十数年生きてきてそんなことを言う子は1人だけでしたのでその友人はレアだと言う結論に。
皆、が大多数という意味なら現代日本においてはあながち間違い無いのかも。
ななしさん
どうして人間は死ぬとわかってて生きてるんですかね。必ずいつかは死ぬとわかっていながら一生懸命生きてる。不思議過ぎる。わからん過ぎる
ななしさん
初めて、こんなに共感できる考えを見ることが出来たので嬉しいです。
死ぬことが出来ないから必死に嫌なことと日々対峙しています。
早く解放されたいです。
ななしさん
命を自然に任せたらいいのではないですか。動植物と同じですね。いつ死ぬかわからない中で、自分に合った生き方で淡々と生きていく。質や量にこだわらない。この世は生きるに値しないとか、この世は地獄より地獄的だと文豪なりが書き残しています。もともと、生きるとはそんなもんでしかないのでしょう。しかし、春夏秋冬を味わっただけでも生まれてこなかったより面白かったんじゃないかなと思います。死んだら楽になれるという楽しみも増えましたね。
ななしさん
確かに、今生きてる方は何かしらの使命があって生かされてる…と何かで見た記憶がありますが70から80の高齢者は自動車事故を起こすために生きてるのか、とか遊んで暮らしてる生活保護者の人なんか使命もクソもないやんと思います。特に前者は事故起こして死ぬだけならまだしも、相手方を死なせて自分は生き残る(どっかの上級国民がいい例ですね)のが使命なのかと疑いたくもなります。
かくいう私も守るものはないし大事な人もいません。死んでしまった方が楽だと思ってます
ななしさん
分かります。凄く。
ななしさん
私も同感です 生きてるより 死んだ方が絶対に楽だといつも感じています。もちろん楽しいこともありますが 圧倒的に辛いことや 苦しいことの方が今もこの先も多いと思います。
ななしさん
分かります。
どう考えても生きているより、死んだ方が楽だし、生まれて来ない方がより楽だった。
私もあなたと同じく、それなりの能力や容姿や環境に恵まれたからこそ思います。こんだけ恵まれてても、やはり「無の状態」の方がどう考えても楽だと。
ただ多くの人は、生きることを何故か素晴らしいと考えていて、死に恐怖するらしい。また驚くことに「人生には意味ある」と考えている人も多い。
私たち生物は、生きて死んで、繁殖して増えるという性質を持っているたけで、そこに意味も価値もないのに何故か人はそのただの性質を「尊い」とさえ勘違いしている。
私には理解できない。不思議だ。
この世は「生きることは素晴らしい」という教えを信じるカルト集団といっても過言じゃない。
ななしさん
的を得てます!私も死んだ方が楽だと思います。めんどくさいことも多いし辛いことのが楽しいことより幸せなことより大きい!感受性的に。そしてある程度幸せにもなれる生き物で、どんどん楽しくなくなってきますしね、その割に辛いことには慣れないですし、死ぬことは私は、ある意味で解放で天国なんじゃ?って思ってます。
ななしさん
生と死を考察しましょう。まず最初に私も「名前のない小瓶様」の考え方には共感します。
人が生きるプロセスを少々医学的に解説すると、生きている内は、過去の記憶の連鎖を繰り返し、その記憶から未来を見ています。それが想像の世界観と言うものです。
もし生まれてすぐに社会から遮断されて、年齢だけが刻々と過ぎてから、現社会に解き放たれたならどう思いますか。
何の知識も感情も欲望も何もない「死んだ状態」と言えると思います。
私たちは、昨日・今日・明日と区切っていますが、例えば人生って、区切りのない直線状の生のみ存在していることになりましょう。だから人は「眠る」ことで、1日をカウントしているのです。その繰り返しが年齢分過ぎ去っていきます。だから、「退屈」「不幸」「つまらない」「面倒」となり、死んだほうが楽なのかもしれないと考えるわけです。
それら全ては、私たちの「脳」が描いているイメージなのかも。即ち死んだら苦しいとか痛いという感覚は、脳が生きているから想像の世界で描きます。しかし、死んだ後は脳が死にますから、過去の記憶も未来も何もないという事になります。分かりやすく言えば、生まれる前の状態になると考えます。
人はせいぜい90年くらい生きれば必ず死にます。
ななしさん
学生時代は学校以外はほぼ寝て過ごしてました。大学進学で一人暮らしになれば、休みなどは出かけたりせず食事もせずほぼ寝て過ごしてました。
先々の心配事を考えると死ぬ方が楽じゃないかと今も考えます。
例えば戦時中、始まってすぐに亡くなる人とと、生き延びて、でも生きながら色々な地獄を体験していく人とでは先に亡くなった人の方が幸せと思ったりしてしまいます。
それとは全く別で最近思う事ですが、
学校は色々な知識を教えてくれます。たくさんの言葉、実物ではない記号が頭の中に入ってきます。
頭から出す作業も話すこと書くことで言語、実物ではない記号の世界だけの出来事です。
昔だと農業とか手工業とか自分がやっている事の目的と結果がはっきりと分かる世界だった気がします。自分の手を動かして手が作りだす過程を目で観察して即時的に動きを変えて工夫していくような。色々な感覚を総動員して完成までを見届ける達成感を感じることが仕事になっている世界。
工作とか手芸や楽器など始めは技術もおぼつかないので失敗が多く向いてないと思ってもしばらく我慢してやっているとなんとか形になってきてそのうち自分のイメージ通りにできるようになりまよね。
自分を上手く使いこなした上でしか味わえない自由、をひとつでも持つことは大切なのかも知れません。
人から認めてもらって自分に価値を感じるのとは別に、自分がいる意味を自分で賄える世界をひとつ持つと、生きているめんどくささを少し忘れる事ができるのかも知れません。と最近は少し思います。
ななしさん
死んだほうが楽です。
なんで生きてるんだろう?と繰り返し考えて、「生きてる意味はない」に辿り着いて、じゃあ、死ねば?と思ったけど、私には死ぬ勇気はないことがはっきりしたので、とりあえず生きてます。
人生は死ぬまでの暇つぶしと思ってます。
暇つぶしというか、いつまで生きるかわからないので、生きるためのお金を貯めるために働いてます…
でも、いつ死んでもいいと思ってるから、できるだけ好きなことして、後悔ないように毎日を、過ごしてます。
同じような考え方の人が多いと、安心します。
孤立してしまうと、自分を追いつめてしまうから、死んだほうが楽だなと思ってても全然良くて、同じ考えの人たちと、そうだねって言い合って、生きていくのがいいんじゃないかなと思います。
ななしさん
ほんとにその通りだと思う。
死を悪と考えるのは科学が未発達で、宗教がのさばっていた時代だったり、そういった昔からの考えや、動物的本能を漫然と(自分の頭を使わず)受け入れてる人間だと思う。
ななしさん
人間の知る限り宇宙に地球以外の生命体がいないことが答えでしょう。生きている状態よりも死んでいる状態(生命体でない状態)のほうがよりエネルギーを必要とせず、安定しているものと思います。
ななしさん
その通りだと思います。生きるって面倒の塊ですよね。死ぬほうが楽です。でも自殺って今やろうとしてますがいろいろハードルがあって大変。苦しまず確実に死ねる薬とか、簡単な自殺手段を気軽に入手できて、自殺した人や部屋が蔑まれることのない世の中であって欲しいです!
ななしさん
今から逃げるために終わりにしたい
ななしさん
私も小瓶さんと同じように思います。
死んだら不幸、不幸だから死を選ぶ。みたいな事を目にしたり聞いたりしたら、それは価値観の問題じゃないのか?とおもいます。
極端かも知れませんが、行き地獄を続ける位なら死んだら幸せだろうなとも最近考えています。
生きる事の大変さに比べたら、死ぬのは怖いけど早く終らせたいです。生まれ変わりとかも望んでないから、そのまま消えたいって最近考える様になりました。
わがままを言うなら、一人でこっそりと誰にも知られない様に死にたいですね。孤独死上等万々歳です。
ななしさん
共感。
私は別に死にたい願望はありません。ただ『めんどくさい』と思う事が多いだけなんです。生きてるのが面倒、人付き合いが面倒、何か行動するのが面倒。
でも、生きている以上はやらなければならない。考えてるのも面倒だけどね笑
毎日何かを考えていて結論が『死んだ方が楽だなー』にたどり着きます。
死ぬ勇気もないけど。
とりあえず子供が自立するまでは生きていて、あとはいつ死んでもいいやーって思ってます。
ななしさん
とても分かります。私も長生きしたくない人間です。
別にネガティブな理由とかあるわけではないし、やりたいこととかもないわけじゃないけど、単純に楽な方はどちらかを考えると死の方が楽なんじゃないかなって思います。
死ぬことが楽というより何も考えなくてもいいだろう状況が楽なんでしょうね。
死ぬとなると痛いとか綺麗な状態で死ねないとかデメリットもあるし。
そしてこういう事を考える私や同じような方々は常時考えすぎなんだろうなとも思います。
なんとなく生きる人はそんなに色々気にして生きてないんでしょうね。
でも人間っていう生物が生き残るならたぶんなんとなく生きてる方が正しい人生の歩み方をしてるんだろうなとも思います。
ななしさん
私にとって死が1番楽になる方法だとわかった。どこにも逃げるところがない。逃げた方がいいと気づいた時はすでに手遅れだった。今を耐えれば、今我慢すれば、、、10年先はきっと、15年先はきっと、、、子供が巣立ったら、、 、何も変わらなかった。医師には、あなたの考え方を変えるしか楽になる方法は無いと言われた。変えたよ。理解するように努力したよ。周りはそれに甘えたように色々求めてきたよ。ますます酷くなってあっという間に私のキャパ越えた。何かするたび深く落ちていく。もがくたびに深みにはまる。逃げ道は死しか無いとわかった。死を待つ毎日。
ななしさん
死んだら転生できるなら死にたい
ななしさん
「めっちゃわかる!!!」
これが読んだときに思ったことです。(これを書いているときに考えたら、100%共感、ではなかったんですが)長くなったので面倒なら最後がまとめなので、そこだけ読んでくださると。
生きるのってしんどいし、絶対死んだ方が楽なのにな、と思いながら生きてます。
小瓶主さんの言う"ただ勇気がないだけで、なんとなく生きている人"と、自分は自分自身をそう思ってます。
そして、自分がそういう考え方(生きるより死ぬ方が後を考えたら楽。生きるとしんどいのが続いて時々楽しいことがある、死ぬとその瞬間は痛みか苦しみを感じるけどその後は辛いことはない。)なので、自分も他の人もそういう人が多いのでは?と思ってます。
ただ、死にたい、とだけ言うとまるで病んでるみたいだから表には出さないだけで。
でも、さっき書いた通り、時々楽しいことがあるから、それを流したくない、という気持ちもあるんですよね…。
頭では死んだ方が楽とわかっているけれど、感情的には死ぬのって痛いし、そもそも準備が面倒だし、それに死んだ後はこういうことできないんだよな…。なら、やり尽くした!よし、死ぬか!って時に死のうかな…。みたいな。でも楽しくない時には死にたい、もう死のうよ…。でも怖い…。
何というか、矛盾だらけというか、わがままというか。
死んだら何も感じなくなるから(天国だとかは無いと仮定して)、しんどいと感じることもない、なら死んだ方が絶対良い、死んだ方が楽、けど死んだ後何も感じないってことは、楽しいことも無くなるんだよな、ちょっともったいない気もするなぁ。
と。死んで楽になりたいし、生きて楽しいことをしたい。ただしんどいこと、面倒なことが嫌なだけ。
多分、これ人生をどう見るか、だと思います。俯瞰的に、客観的(?)に見たら死んだ方がいいけど、一瞬(幸福感を感じている時)、その瞬間を記憶している時の主観で見たら生きようかな、と思う。
それこそ、論理的に見たら死んだ方が楽だけれど、人(自分基準)は結構、感情論で動くから、生きている。論理的にあまり生き死にを考えてない人なら基本的に何となく"生きたい"と思うのではないか、と思います。
ななしさん
僕も似たような考えを持ってますがそれを誰か他人に言ったとき[じゃあ死ねば?]と返された場合のアンサーがないので僕は口にしません。というか返せるならその疑問が発生する前に死んでます。死ぬ時に恐怖・痛み・苦しみがセットになってるから中々死ねないと苦し紛れの言い訳は返せるがそれだと結論は[死ねない]で完結で、本当に人生に見切りがついたら誰にも何も相談せずに速攻逝く、なぜなら自分は死んだほうが楽だから論を信仰してるからが、論理的ではないでしょうか?
ちなみにじゃあ死ねば?と返されたら何と返しますか?
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。