お返事が届いています
ななしさん
私も死にたい。誰か私を殺して。
ななしさん
実際死んだほうが楽というか、幸せというか。毎日毎日自分に負けずやりたくない事をやり、家族の為に時間をつかい、必死にお金を稼がないといけない、事業してもうまくいかず、それでも続けなければいけない、家族を守らないといけない、毎日毎日逃げずに生きる、ほんとにつらいです。苦しまずに死ねるならすぐに死にます
ななしさん
周りの人間は、将来自らに訪れる全ての事象を最大値で想定して「まだまだ色んな楽しみなことがあるから、日々の悩みや苦しいことも乗り越えられる。」とよく私に話してくれます。とある歌手が10000回ダメでも10001回目は何か起きるかも、と歌っていました。あるかないかわからない幸福のために、この退屈で苦痛な毎日を送り続けていると、地獄とは正に現世なんだなぁとつくづく思わされるばかりです。私の小瓶主様への回答としては、私も死んだ方が楽なのは分かっているけど、行動に移せない人間の一人です。寝ることが一番好きで、毎晩寝るときにこのまま二度と目を覚さないでくれ、朝よ来ないでくれと念じながらカーテンを固く閉めています。無情にも隙間から溢れ入ってくる日光に吐き気を覚えながら渋々起きた瞬間に死にたいと思いながら嫌々仕事に行って嫌いな上司に笑顔を振り撒き、なんとも思ってない客に頭を下げて自分の価値も下げてそれでも一歩が踏み出せず生きてます。ただそういった感情や思考に目を背けて生きてる人間がいるというだけで誰しも希死念慮は持って生きてるんじゃないでしょうか?
ななしさん
私も小瓶主さんと同じこと考えてます。
いつもうっすらといつ死のうなど考えてます。
友達は死にたいとは一度も思ったことないそうです。キョトンとした顔で言われました。
理不尽ですよね、普通に幸せに生きれる人と普通に生きてるだけで苦痛な人がいて。
みんな何も考えずに幸せに過ごせればいいのに
ななしさん
生きていて「楽」なんてことは一つも無いと思います。ただ、死んだ後の自分が楽になれるのかも分からない…。難しい問題ですね。
ななしさん
死んだ方が楽なのは間違いないですよね。
ただ死ぬ前にやりたい事が出来たので、実験しながら死へ向かいます。
人間の世はウソにまみれ、正義と悪の判別が難しくなってきた。神様がいるならばこんな世にはしないはずで、神の存在も人が作ったでっち上げな訳です。
自然だけはウソをつかないので、人里離れた山間部で社会と多少の折り合いをつけながら半自給の生活をします。
この世に産まれた理由など何もないんですよ。
ただ産まれただけ。生きたければ自分の力で生きる。人生100年時代?冗談じゃないですよ。自力でご飯が食べれなくなったら死ねばいいんです。
ななしさん
主さんと同じ考え。早く死んだほうがマシだと思う。
ななしさん
このぼーっとした毎日も、仕事に行くことも、まだまだ続けていたいから生きていたいなぁ。
世界旅行に行きたい、結婚出産してみたい、明日クッキーを食べたい、大きな願望も小さな願望も、思いつく限り、それを経験してみたいと思う。
生きていることで想像できないような苦痛、不安を抱えたとしてもそれもまた人生。乗り越える努力をするのが楽しみです。
せっかく「生」を宿されて「感じる」ことが出来るのだから、面倒な思いもしても、感じてみたい、と私は思います。
ななしさん
私も同じ考えです。
寝ている時が一番楽です。何も考えなくていいから。朝目覚めるときに、また1日が始まってしまったと思いながら、変わらない毎日を過ごしています。
これから先、生きている限り、大変なことがたくさん待ち構えていると思います。それらのことを考えると、健康なうちに、何も問題がないうちに、早く死んでしまいたいとよく考えます。死んだほうが楽に感じてしまいます。
ななしさん
僕と同じ考えですね
ななしさん
死んだ方が楽とは思います。結局、自分が産まれたのは親が産みたかったからとの事でした。産まれた理由に深い意味がないならば、生きることにも意味はないと感じます。そう考えますと、死を選ぶのは当然の事。ですが、死ぬことには苦痛が伴うので今はその苦痛を少しでも和らげるにはと日々考えます。この結論さえ出れば心置きなく死ねるのですが、こればかりはぶっつけ本番になるのでなんとも言えません。実行し、亡くなられた方に痛みの程を聞けないことが残念です。
ななしさん
何もしたくない。死んだ方が、絶対に楽だと思います。何もしなくていいのですから。
ただ私が死ねないのは
自分が死んだ時家族が悲しい思いをするかもしれないという僅かな可能性です。
夫であれ親であれ、いくら愛されていても
死というものはすぐに忘れさられます。
それでも、少しの間でも、そんな思いだけは、させられないと思う自分が、まだいます。
生きるのがつらいという自分のわがままだけで、愛する人を不幸にさせたくない。
でも、今の生活を続けていても、不幸にさせてしまう。
離婚すればいいのでしょうけど、その勇気もありません。
自分の話になってしまいましたが
ひとりで生きているわけではないから、
みんな生きているのではないでしょうか。
ななしさん
なんで生まれたのかなんで生きてるのかって絶対答えが出ないんだろうな日々思っています。それを探すために生きてるとか生きているうちにいいことは必ずあるからとか、そういうって所詮綺麗事で、理解はできるけど、冷静に考えて死んだ方が楽だなってこの頃考えています。主さんが睡眠のことを上げられてますが、本当に睡眠と死って次の日起きるか起きないかの違いだと思います。人間の営みにおいて1番楽なのって睡眠だし……いや本当に惰性で生きてるのかな……?
ななしさん
すごくわかります。
私は惰性で生きてるって感じです。
生きてるより死んだほうが楽とは思うけど、死にたいわけではないし死ねないから生きてるって感じです。
生きてて楽しいことも幸せだと感じることもあるんですが、大変なことや辛いことの方が強く感じてしまいます。
いっそのことこの感情が何かの病気で治療して治せるのなら治したいです。
ななしさん
自分と同じ考えの人を初めて見ました。私は家族が厳しく、嫌なことを言われたりしてそれが当たり前だと思ってました。友達に行っても相談に乗ってくれなくて、自殺しようとすると辞めてって言われて、もう分からなくなってきて今でも辛くて死ねるのなら死にたいです。だけど自殺するのが怖いし痛いと思うと自殺出来ません。そんな時に私の初めての推しが出来ました。その人に生きる理由を教えて貰って生きてていいんだな。と思いました。もし死ぬならウィルスや病気などを無くしてから死にたいですw
ななしさん
自分と同じ意見を持っている人が初めて見つかりました。どうせ死ぬなら生きてる意味ないのではないかと思います。でも死ぬのは怖いしこれから先もどうせ今まで挫けなくて良かったと思うことがあるように思えなくなってきました。死んだ方が楽だと思うけど死にたくない。矛盾してるんですよね。自分はヒーローになって地球を守って死にたいなっておもってます笑笑
ななしさん
今生きているから、寝るというような無に安心する
今面倒なことに直面しているから、寝るという無に安心する
今たくさんのことに頑張って取り組むから、寝るという無に安心する。死にたいと思う。死ねばずっと無だから。当然だと思います。
でも、死んだらその無ですら楽しめなくなると思うですよ、ずっと無なので。だから、私は生き続けたいと思います。人生の中に寝るという楽しみがあれば、私は今のままの人生でも許容範囲です。
ななしさん
私も別に病んでるわけじゃないし、莫大なコンプレックスがある訳でもないんですけど、死ねば無だから死んだ方が楽なんじゃねってずっと思ってました。病んでませんよ!!
みんな何を思って毎日生きてるんでしょうね。ひとりひとりの価値観が気になります。覗いてみたいですね!
ななしさん
この頃、痛感します。もちろん、色々な理由があって生きたくても生きられなかった方を聞いたり、見たりもしました。人間いつかは亡くなる運命ですし、これから生きててどうなるのか、1秒先もわからないのに、なんで生きてるんだろうと思います。頑張っても頑張ってもどこがゴールなのかわからない。そんな毎日です。頑張ってもなんだか幼い時に描いていた未来とは違う気がする。何が正解なんでしょうか。考えれば考えるほどわからないです。もう全部捨てて死ねれば、楽になるかなっておもいます。そんな保証もないですが…。
ななしさん
めちゃくちゃ分かります
そういう感じで検索して引っかかったページですし笑
でも意外と違った意見の人もいて割と意外です
そんでもってやっぱ死にたいです
無が恋しくてたまりません
ななしさん
本当にその通りですね。個人的に好きではない事を、楽しいと思えない事を毎日繰り返した結果このような思考になったと思います。寝る、何もしない。これが一番の安心と感じる状態を変えたいですが、そう簡単じゃありませんね。苦痛なく死ねる薬が簡単に手に入るなら欲しいです。全て終わらせられる。痛み、苦しみがない死は生きている人間の希望になると思います。
ななしさん
私も思います。
終わりは、考える事を放棄できる最高の幸せの瞬間だから、それを味わいたいんだと思います。
なんで生きてんでしょうね…答えはないですよきっと
ななしさん
その通りだと思います。自分は23歳ですが2、3年前からそう思うようになりました。85年ほどの人生が予定されてて、その大半を仕事という理不尽で苦しくて、そんなことをしないと人間生きていけません。さらに僕はコミュ力もないので人より苦しみます。はっきり言って人間に生まれるくらいならゴキブリに生まれたほうがマシだと思います。
ななしさん
全く同じような価値観です。
そもそも生きている意味なんて考えたって、わかるはずもないと思います。
だって、生きる意味なんてないので。
生きていると人間の嫌なとこ、汚いとこ、などばかり目に付きます。
好きでもない労働をさせられて、楽しいと思う方がおかしいと思います。
今の世界では早く死んだほうが、よっぽどいい気がしますね。
ななしさん
あなたは私ですか?と思うくらい、同じ考えを持っています。
少しの嬉しさや幸せ+苦痛、苦悩、絶望よりも、死んでどちらもゼロの方が好ましいですね。
生きているとコストもかかりますしね。
私も死ぬ勇気がないから仕方なく生きてます。
ななしさん
私も今すぐ死にたい
楽になれそう
毎日つらい
ななしさん
気持ちわかる気がする
ななしさん
私は性格上恐らくうつ病を繰り返している者です。大学受験から発病し、かれこれ4回再発しています。
よく分かりますよ。
私が私であるためには、うつ病になる自分でないといけない気がするのです。元々産まれてきて、頼まれてもないのに自分の性格や考え方でこうもうつ病になっています。私はどこにいっても優秀と言われますが、それは生真面目で努力家だからです。
でも、私には承認欲求もないし出来て当たり前の精神なので何の無理もしていないのです。
ただ自分らしく生きるだけで、うつ病になる。
毎度繰り返しているうつ病は、繰り返す度に症状が重くなり、今や若くして死ぬのが私の性格上運命なのかと思います。
私の寿命はもう恐らく僅かです。
しんだほうが楽、というよりかは、自殺して死を迎えるのが私の生き方なのかなーと思います。
私の生き方は自殺すること
ななしさん
私は受験生なのですが
勉強をしながら一年後に志望校に行けるかに怯えながら生きていて、ふと、こんなに苦しいのになんでわざわざ生きているのかと思います。
死んだ後、楽かはわからないけど、今の苦しみから逃れらるのなら死にたいとよく思います。
似たようなことを考えている人がいてなんだか安心しました。
ななしさん
人それぞれですが、
私も死んだ方が楽だと思います。
寝ることも大好きです。
そのときを楽しみに待ってます。
まりちゃん
自分と他人の区別がついていないんじゃないかなぁ?と
読んでいて思いました。
幼児期って、誰でも、そういうもんらしいです。
あくまで、人によっては、ですが
その時期以降、暮らしの中でチャレンジ!することを
諸事情で、規制されたり、
抑圧されたり(あなたのことを思って・・も込み)
とにかく、自発性を封じ込まれて
大きくなると、
幼児期のまま、大きくなって、大人になる人も
いっぱいいるってさ。
私ね、すごいバカな子だったから
30過ぎまで、
自分も他人も「人間」だから
自分=他人だと思っていたよ。
自分の普通=他人の普通だと思ってたの。
で、他人と自分が違うと、
相手がおかしい!(これが、すでにバカ)って
相手を糾弾してました。
だから、人間関係うまくいかなかったです。
表面的には、折れてばかりいたんだけどね。
(話ずれたね)
友達に、倫理観のこと聞いても、病気だと疑われたとのこと。
年齢の問題も、あるかもかもです。
(まだ、そういう視点で、考えるという発想自体が
ないのかもしれない。それはそれで幸せかもしれない)
同じ人でも
もう少し、大人になって同じ質問をしてみると
人生の中で、何かに気づいて昔とは違う反応が
あるかもしれないですよ*
いろんな世代の人、いろんな環境の人と
お話しして見ると、世界が広がるかもしれないね。
宛メは、文字のつながりだけど
それができるからおもしろいよ〜〜
(前は、おじいさんもいたよ)
じゃーねー!
ななしさん
死ぬ方が面倒
名前のない小瓶
論理学に片足突っ込んでる者です。
死んだほうが楽、なぜだか分からないけど私もそう思います。
論理的に言いたいのであれば、死んだほうが楽なことを証明しなければなりません。どの角度から批判されても答えられる、鉄壁のような論理を考えなければなりません。
しかし、「1回死んでみたけどやっぱ死んだほうが楽だわ」と実証するのは、不可能に近いと思います。
ですから、「死」というものに対する価値観は人それぞれで良いのではないでしょうか。
ななしさん
死んだ後のことは誰にも分からない。
死んだら楽になれる保証がない以上、論理とはほど遠い。
名前のない小瓶
考え方、価値観、物事の捉え方は
人によって様々です。
もし、私が論理的に考えるのが
嫌になったら、直感的に考えて
みようと思います。
論理的とはまた違った
視点が見えてくるからです。
柔軟な考え方を
身につけることも
できるからです。
ななしさん
主さんの価値観は別に犯罪でもなく、人それぞれだと言える範疇のことなので、もちろん否定しません。そう思う人もいていいと思います。
ただ、死んだ方が楽という結論自体は論理的ではないなと思います。
死んだら不幸にはならない。
でも幸せにもならない。
不幸にならないのが幸せという考え方もありますが、本人が死んでいる以上、その幸福感を感じられないので、実際は無いと同じです。
主さんが言う「楽」というのが「不安や不満なく、ストレスを感じないでいられる状態」であるのなら、それは本人が「何もストレスなくて楽だわ~!私は幸せ!」と感じて、満足して、初めて成り立つものです。
つまり、本人が生きていないと「楽」は成立しない。死んでしまい、その幸福感を感じとれなかった場合、本人は「楽になった」とはいえないわけです。
だから死んだ方が楽というのは論理的には違うなと私は思います。
名前のない小瓶
はじめまして、豆と申します。
わたしの意見としては
生きているほうが「楽しい」
という考えです。
小瓶主さんの
「生きるのは面倒ごとが多い」
という点に思わずなるほど〜と共感
しました。
確かに生きていると嫌なこと、
面倒なこと、つらいこと、
いろいろあります。
決して「楽」ではないですよね。
私自身、生きるのがつらくて、
死にたい時期もありました。
ただ、死ぬほうが楽というのは
疑問符が浮かびます。
なぜなら、死んでしまったら
何も感じない、残らないというのが
わたしの考えだからです。
苦痛も不幸も無くなりますが、
同時に、楽という感覚もなくなるのでは
ないでしょうか。
生きていればほんの小さな
幸せも感じることができます。
(それこそ、寝てるときがいちばん楽!
とかね)
人、事、物との出会いがあります。
(良いも悪いも含めてね)
自分にも周りにも変化があります。
ずっと同じではないから、
あるときすごい発見をして、
ひとりでふふふと笑ったり。
そういうのって、面白いと思うんです。
楽なことばかりじゃないから、
面倒ごと、嫌なことがあるから、
ふと身近な相手が尊く思えたり、
小さな幸せに感謝したりできるのでは
ないかと思います。
長くなってしまいましたが、
以上の理由から、生きているほうが
「楽しい」とわたしは思います。
ななしさん
仕事が忙しい時は大変だけど、やることが全くなくて暇を持て余すのもつらい。
そんな感じ。
ななしさん
価値観は人それぞれなんで小瓶主さんが変とは思わないけど、死にたいとは思わない。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。